#51
エイイチが久しぶりに訪れたボイラー室は、真っ白い霧のようなスチームに包まれていた。
とはいえタンクやパイプの破損、不具合ではなく、これはあくまでホラー的な演出。なんとなく咳き込みながらエイイチが奥を目指すと、その進行に合わせて少しずつ霧は晴れていった。
天井から一条の光がカッと降り落ち、スポットライトに一人の人物が浮かび上がる。
男だった。見た目はエイイチと同じくらいの若さだろうか。苦々しい表情をしたまま男は微動だにせず、面食らうエイイチだったが、どうも近づいてみれば
肌の質感も服のディテールも本物そのもの。非常にリアルなこの人形が、“慶悟”という猟幽會所属の男がモデルであることをエイイチは知らない。
高精細な慶悟人形を感心しきりにまじまじと眺めていると、エイイチの背後にスポットライトがまた下りた。振り向けば、今度はそこに“全裸のマリ”が立っている。
「な……っ!?」
さすがに声も出せずに慄いたエイイチは、しかしすぐに状況を把握する。
そう、これも人形なのだ。
マリ人形は掴んだバスタオルでなんとか大事なところを隠しているようだが、背後に回り込めば尻など丸見えである。前傾姿勢で、長い黒髪は浮遊感を有し、顔には怒りと恥じらいの表情を貼りつけている。
「ほぉ……」
まさに等身大フィギュアといった様相で、自立し言葉も発する“ドッペル”とは異なる正真正銘のリアルドール。戯れに二の腕をつついてみると、人肌の弾力まで再現されている。
どうにかしてお持ち帰りすることはできないだろうかと、エイイチは慶悟人形よりも念入りにマリ人形を全方位から眺め回していた。
と、
マリ人形と慶悟人形。相対する二体を見守るように並ぶ十数体の人形は、すべて
どれもこれも歪めた口を開き、苦悶を浮かべる様は獄門に処された罪人のようだ。これらはすべて、エイイチの滞在後に狼戻館で散っていった猟幽會の面々である。そのためY氏やビーチ、絶苦などエイイチの知っている首も多々あった。
人形とはいえ、十数体もの晒し首に囲まれて平常心でいられる者は多くないだろう。だがエイイチは最近お気に入りの探偵
ちなみに晒し首が並ぶ台座には、不気味な血文字で【断末魔の真実】と記されている。
「これもまた時代……多様性か。いや、俺が知らないだけで前からあったんだろうけどな」
エイイチの呟きの真意は、今はまだ理解できない。
ともかく原作【豺狼の宴】を例にしても、ボイラー室は二度入る意味の薄い場所なのだ。選択肢をあえて選んで突入したプレイヤーは、ほぼノーヒントでこの難題に挑まなければならなかった。
マリと慶悟の人形は、それぞれのポーズからして戦闘前の一場面を切り取ったものである。その後にマリの一撃によって慶悟は絶命する。つまり【断末魔の真実】とは、慶悟人形の顔を最期の表情へと変化させなければならない。
具体的に言えば、口。
他の晒し首を参考に、慶悟人形の口をこじ開け、実際に慶悟が断末魔をあげた際の口の直径と一致すれば封印は解除される。
ただ、直接対峙したマリならいざ知らず。正解の直径である三センチ三ミリを初見で探り当てるには運を味方につける他なかった。
失敗すれば居並ぶ人形の口という口からボウガンの矢が射出され、全身に穴が空く惨たらしい死に様を披露する羽目になる。
エイイチは当然、慶悟の最期など知るはずがない。けれど
ツキハの見立て通りなのかもしれない。エイイチの死亡回避率はもはや運だけで済ませるには神がかっている。エイイチが今回も無事に罠を突破するようなことがあれば、この男の底に沈む真相へと付け入る隙をツキハは見出すのかもしれなかった。
「ええ……と、これは平常時だから……と」
エイイチは己のジーンズのウエストを引っ張って、中身を見下ろしていた。なんの確認を終えたのか、それからおもむろに慶悟人形の口をグイグイと開いていく。
最初に一応マリ人形の唇にも触れてみたのだが、封印解除に関係ない対象だからなのかどうやってもこじ開けることができなかったのだ。
「うん。まあ、こんなもんだな」
開かれた慶悟人形の口は三センチ八ミリ。エイイチは自身の息子の膨張時の大きさを正確に反映させた。いったいどんな用途の人形と勘違いしているのだろうか。
言うまでもなくこれでは失敗である。
しばし満足気に頷いていたエイイチは、あっと過ちに気づいて再び人形の口へ手をかけた。
「いかんいかん俺としたことが。大きさが一緒だったらスカスカになっちゃうだろっての。はは」
何が可笑しいのか一人で軽口を叩き、慶悟人形の口を少しだけすぼめさせるエイイチ。これにて口の直径は三センチ三ミリとなり、いい具合の締めつけを得られると共に封印解除の要項も満たすこととなった。
もし魂が宿っていたならば――物言わぬ険しい顔の慶悟人形は、良いように弄ばれてどのような気持ちを抱くのだろう。
あまりにも手際よく解を導き出したエイイチは、このまま【豺狼の宴】世界を圧倒し続けるのだろうか。素知らぬ顔で、本当はすべてを理解し盤上を操る神の如く振る舞い続けるのだろうか。
……否。
否なのだ。
これまで順風満帆にホラーゲームの世界を歩んできたエイイチは、ここではじめての失策を犯すことになる。
すなわち、封印の解除に失敗する。
失敗はイコール死の図式が成立するはずなのだが、エイイチの命運は果たして――。
「……違うな」
気づけば、エイイチの顔から笑みが消えていた。
三センチ三ミリに開かれた慶悟人形の口を、真一文字に閉じさせる。せっかくたどり着いた解答をエイイチは自ら手放した。
急速に気持ちが萎えた。それもある。元よりエイイチにそのケは無いので、男性型の人形相手に何をはしゃいでいたのかと賢者の境地に至っていた。
ただしごく個人的な心境は差し置いて、エイイチに性の多様化を否定するつもりはない。エイイチにとってここはエロゲーの世界。どのような性にも寛容であるべきという考えは変わらない。
では何が“違う”というのか。
エイイチは踵を返すとスポットライトから離れ、転がっていたドラム缶に腰かける。足を組み、頬杖をつき。現場を“引き”の映像で視界におさめてみる。
エイイチが愛する【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】はたしかにエロゲーだ。その世界へとやってきたのだから、発生する事象のすべてがエロに直結もするし、下ネタ上等で渡り歩くことに躊躇いもない。
だが忘れることなかれ。そんじょそこらのエロゲーとはわけが違うのだ。【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】は“萌ゲーアワード”という映えある賞を受けた特別なエロゲーなのである。
アダルトシーンのみ秀でていればいいわけではない。魅力的なヒロインをさらに際立たせる脚本、背景、シチュエーション。細かな仕草や台詞の一つ一つでもって、プレイヤーの胸をキュンキュンに悶えさせてこそ“萌ゲーアワード”の栄冠は輝く。
エロだけではなく、つまるところ恋愛模様も同じくらい大切なのだ。
そのことを念頭に、今一度現場を見渡してみるとどうだろう。
並ぶ晒し首はまるで聴衆だった。二人の行く末を固唾を呑んで見守る野次馬のようにエイイチは思えた。二人とはもちろん、マリ人形と慶悟人形のことだ。
口をへの字に結んだ慶悟からは並々ならぬ覚悟が読み取れるし、対するマリは怒りつつも頬に朱が差している。
萌えとは青春。未熟な青さ。ここは薄暗いボイラー室などではなく、たとえば学び舎なのだとエイイチは夢想する。
病弱な体質を改善したマリが、学校に通うという今後あり得る未来にこそ萌えを見出した。エイイチの創作欲がぐんぐんと高まった。居ても立ってもいられなくなり、ドラム缶を後ろ蹴にすると再びスポットライトの下へ歩む。
「もっとこう、頭を下げて」
慶悟の腰を折り、片手を差し出させる。
マリは手を口もとに、姿勢をやや後傾させる。
すると、どうか。たったこれだけの動作で告白のワンシーンが完成したではないか。
「……う〜ん」
これぞまさしく青春。コミカルな恋愛を描いた萌えるシーンのはずなのだが、エイイチはどことなく面白くなかった。
エイイチに寝取られ趣味はない。しかしヒロインに向けての、モブ男の玉砕覚悟の告白すら許さぬほど狭量でもない。だが面白くないものは面白くないのだ。
何かいい案はないかと辺りへ目を配ると、スポットライトも当たらない奥の隅に、
「なんだよ、こんなとこに。いいのが用意されてるじゃんか」
エイイチは暗がりから、
一連のやり取りを見守ったあと、しどろもどろのマリをからかうもよし。マリの口から存在を仄めかされ、慶悟から嫉妬の目を向けられるもよし。こんな日常もまた萌えエロゲーの大事な一コマなのである。
納得のいく箱庭を創り上げたエイイチは、満たされた表情で踵を返した。
その瞬間――スポットライトに照らされた人形の首が、すべて一斉にエイイチの背を向いた。
当然だった。ボイラー室の封印は何一つ解かれていなかった。
「マリちゃんは譲れないけど、あんたにもそのうち良い相手が見つかるさ。きっと」
その命が風前の灯火だとはつゆ知らず、エイイチはボイラー室の扉へと手をかける。
本来ならばボウガンの矢が射出されるところ。十数体の人形の口からは、より殺傷力の高い鉄球が砲弾のように発射される。ふざけた寸劇に巻き込まれた腹いせなのかもしれない。
着弾の轟音と、ボイラー室の扉が重々しく閉まる音が重なった。
――……一切の光が遮断されたボイラー室では、エイイチ人形がその身を穴だらけにして立っていた。
いや、人形ではない。原作では本来、この場に主人公の人形など存在しない。
エイイチの姿をしたそれは“ドッペル”だった。
エイイチを殺すべく飛来した砲丸を“ドッペルエイイチ”がその身に全部受けきったのだ。
ドッペルエイイチの身体から、肉片がボタボタと剥がれ落ちる。
否。それは肉片ではなく、極細の繊維が束ねられた毛髪だった。
……違う、毛髪でもない。
それは、極限まで薄く削がれた
藁人形を編み込むように、糸ほどにも細い木材によってドッペルの身体は構成されていた。
「……なにが豺狼の宴だ。笑わせるな、クソが」
ボロボロになった自身を見下ろし、ドッペルエイイチは口を引きつらせて嗤うのだった。
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