#53
「……豺狼の……宴?」
モニターに映るタイトルを読み上げて、エイイチは眉をひそめた。背後に立つツキハが、パイプ椅子を差し出したことにも気づいていない。
「もしかしてこれ、ゲームですか?」
「ええ。……よろしければ、少し遊んでいかれてはどうかしら」
「あ、いや、でも俺は」
「遠慮なさらず」
振り返ろうとするもツキハに肩を掴まれ、エイイチはやや強引に着席させられる。仕方なくモニターへと向き合い、手元のマウスをクリックした。
「……なんか意外です。ツキハさん、ゲームとかするんですね」
「ちょっとした息抜きに、ね」
赤文字のタイトル画面が暗転し、明かりのついていない部屋にしばし闇が落ちる。
漆黒に佇むツキハは、エイイチの後頭部を冷酷に見下ろしていた。夜目を利かせ、まるでエイイチの底に隠れた闇まで暴かんとする眼差しだった。
やがてモニターが灯ると、エイイチの眼前には深い森の一枚絵が映し出される。慣れ親しんだテキストアドベンチャーゲーム。主人公の独白から察するに、仕事で訪れたが道に迷ってしまったらしい。
「うわぁ。やっぱりこれ怖い系のやつなんじゃ……。俺、苦手なんだよなぁ」
ひとりごと。というよりも、同意なり何かしらの反応を求めた発言だったのかもしれない。しかしツキハは応じず、黙して成り行きを見守っている。
テキストにより森を彷徨っている経緯が語られると、場面と共に背景の一枚絵も切り替わった。
「…………あれ。これって……」
マウスをクリックする手が止まる。その後エイイチは、わざわざテキストウィンドウを非表示にしてモニターへ顔を近づける。背景の館をまじまじと見つめた。
「どうなさったの? ほら、お話を進めないと」
「あ、ああ……はい」
エイイチの中で違和感が募る。既視感と言い換えてもいい。
九死に一生を得たゲーム世界の主人公が館へ立ち寄ると、ドアノッカーを叩く。どうやらこの館を訪ねることが目的だったようだ。
【……はい】
館のメイドらしき人物のグラフィックが表示され、再びエイイチは画面を食い入るように凝視する。
【ようこそおいでくださいました、先生。私はこの館でメイドを務めております。“アヤメ”と申します】
「ええーーっ!?」
エイイチはパイプ椅子にのけぞって大声をあげた。思わずひっくり返りそうになったが、それどころではない。
ゲーム内でアンニュイに俯くメイドは、2Dグラフィックに落とし込まれた確かにアヤメなのだった。
「アヤメさん!? ど、どういうことですかアヤメさん出てますよこのゲーム! どこの誰が勝手にこんな――権利はどうなってんですか許諾は!?」
「許諾? 必要ないわ。だってこのゲーム、わたくしが制作したのだから」
「ええーーっ!?」
エイイチは大声をあげながら勢いよく振り返った。顎が外れんばかりに驚いてしまったが、それも致し方ない。
「ツ、ツキハさんが作ったって言うんですか!? このゲームを!」
「そうよ」
「マジで!? すげーー!!」
いたって澄ました顔のツキハ。しかし内実、エイイチの尊敬の眼差しは心地よかった。
苦労したのだ。不慣れなキーボードを懸命に打ち込んだ日々。シナリオ、スクリプト、背景及び人物グラフィック。すべて一人でこなした。頭がどうにかなりそうだった。日に何度も休息を取った。
無限に等しい時間はあれど、進捗は牛歩。マスターアップまでにかかった膨大な年数は、今思い返しても辛く厳しい道のりだった。にも関わらず完成後の売上、評判共に芳しくはなく、現在に至るまで痛みをもたらしている。
【豺狼の宴】とは、ツキハにとってそんな我が子同然の存在なのだ。
「そういうわけだから、ぜひフィードバックをいただきたいの」
「もちろん構いませんけど……でもこれ、もう発売してるんですよね?」
「そうね。けれど今でもアップデートは続けているわ。……努力は継続するものよ、より良い未来のために。そうでしょう?」
まるで
さて――制作者不明の【豺狼の宴】がツキハの作だというのなら、いくつかの疑問が生じたことだろう。
まず当然ながら【豺狼の宴】本編において、このような制作者云々のメタな話は出てこない。だが登場する人物、舞台背景、各種BAD ENDで垣間見える罠や呪いの数々は、多くが
ツキハは狼戻館で起きた出来事を、そのままゲーム【豺狼の宴】へと落とし込んだのだろうか。
しかしそれでは時系列の説明がつかないのだ。
たとえば猟幽會。現実ではエイイチが館を訪れたのちに襲撃してくるジェイクやY氏が、十数年前に発売されたゲーム【豺狼の宴】へすでに登場しているという事実。しかも行動や結果も現実と酷似した形で、である。
もっとも、イレギュラーなエイイチの存在で細部は変わってしまったのだが。おそらくエイイチがよほど特異な選択を取らない限りは、ゲーム【豺狼の宴】で示される結果の範疇に収まったはずなのだ。
ツキハは猟幽會の面々をどのように知り、どう先行きを予測しゲームに組み込んでいたのか。そもそもゲーム世界に降り立ったと思われていたエイイチが、真に流れ着いたここはどこなのか。
これはツキハが仕掛けた心理戦。ツキハの見立て通りなら、謎を解き明かせるのは今は嬉々としてモニターへ向かうエイイチだけなのだろう。
未来視などではない。
ツキハに関して、現状で断言できることは以上のみである。
◇◇◇
薄暗い作業場兼デバックルームに、大笑いするエイイチの声が響き渡る。先ほどまで漂っていた緊迫感の欠片もない。
理由はゲーム【豺狼の宴】初日にて、アヤメの提供するグロテスクなスープを断ったからだ。背後から滅多刺しにされるBAD END1をエイイチは迎えてしまった。
「……笑うところではないと思うのだけど」
「あは! あはは! いーひひひ! はー……。いや、だって! 本物のアヤメさんの優しさを知ってるものだから、つい。んもーいくらゲームだからって趣味悪いですよツキハさん!」
未だ可笑しさが治まる気配はなく、小刻みに肩を揺らしながらエイイチは涙目を拭っている。
一歩間違えば自分もこうなっていたとは夢にも思っていないのだろう。
「ああ、あと……プレイしてみて気になるところがありますね」
「聞かせていただけるかしら」
「主人公の視点というか、最初アヤメさんの包帯した手ばっか気にしてましたよね。そりゃ俺だって初めて会ったときすぐ包帯に気づきましたよ? でもせっかくのヒロイン登場シーンなんだからもっと他に見るべきところあるだろって。バストサイズとかヒップサイズとか、リビドー全開に性癖の一つでも語ってくれないもんかと。総じてユーザー目線がわかってないっていうか――あぁ、まぁ怖い系の話だからそこまで望んでも仕方ないかぁ」
「…………」
エロゲーマーの目線でダメ出しをしてくるエイイチに、ツキハが自身の直感を疑うのはこれで何度目になるだろうか。
本当にこの男であっているのだろうか。エイイチに深淵の闇なんて存在せず、そこらの池程度に浅い男なのではないだろうか。不安になる。
そして同時に、エイイチの指摘がツキハはとても腹立たしかった。
「もういいわ。今夜はこれくらいにしておきましょう」
「えー!? もうですか? これから盛り上がりそうなのに!」
「また明日、続きをお願いするわ」
「……俺だけここでプレイしてちゃだめですか?」
「駄目よ。ほら早くセーブなさい」
「ちぇ」
渋々とエイイチは従い、席を立つ。
作業場に王冠型のオーナメントキーで施錠すると、ツキハは机ではなく胸の谷間へとしまい込んだ。
動揺を見逃さないためにも、【豺狼の宴】をプレイするエイイチは間近に監視しなければならない。隠しているのは尻尾か、鋭利な牙か。いずれにせよ隙を晒せばツキハは容赦しない。血の一滴すら搾り取るまで、世にもおぞましい責め苦をエイイチに課すだろう。
「いやー楽しかったなぁ。明日が待ち遠しいや」
冷酷無残に算段するツキハとは対照的に。ゲームという共通の趣味をツキハに見出したエイイチは、どことなく捉えどころのなかった長女へ一気に親しみを覚えるのだった。
◇◇◇
ツキハの秘匿、その一つがあきらかとなった深夜。同時刻。
素っ裸にバスタオル一枚を巻いたあられもない姿で、マリはダイニングルームを大股で闊歩した。濡れそぼった髪を苛立たしげにワシャワシャやりながら。
「な、なんで!? いったい、何がどうなって――」
「……何やってんの、おまえ。そんな格好で」
ソファで身を横たえるセンジュに咎められ、マリは存在を認識したばかりの相手へ食ってかかる。
「そんなのわたしが聞きたい! あんたこそ、こんな時間になんで――……まさか、あなたも……?」
「その様子じゃ、おまえもか。……あたしもわけがわかんねーよ。長年住んでて、なにせこんなこと初めてなんだから」
激流の只中にあるのはエイイチだけではない。
万物流転……
――今朝方は意味深にそんな忠告を残し、自身も館と共に生まれ変わるのだと嬉々として語ったアヤメもまた、自室の前で途方に暮れていた。
結局エイイチは現れず、十数時間に及ぶ屋根の修復作業を一人で終えて帰ってきたばかりだった。
アヤメの部屋の扉は、封印を示す青白い光を放っている。
「……これは困りましたね」
この日。狼戻館に残る猟幽會の怨嗟――
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