#47
裏庭にてガンピールの運動も兼ねたアクティブな遊びをたっぷり堪能したエイイチは、午後も忙しく働いていた。
なんとツキハたっての希望により、ダイニングを住人全員の共有ナワバリとしたい旨がエイイチに伝えられたのだ。現状のナワバリ保持者であるツキハ、センジュに加え、マリとガンピールにも臨席の権利を与えるというのである。
建設的な提案をエイイチが反対するはずもない。再びツキハの願いを聞き入れる形で、ダイニングのマーキング作業に勤しむのだった。
すべては、狼戻館に住まう家族の絆を堅固なものとするために。
「嬉しいわ。またこんな日が訪れるなんて」
ツキハは微笑んでシャンパングラスを傾ける。普段は夕食時にアルコール摂取などしないのに、よほど気分がいいらしい。
ツキハの両斜め前に対面で座るマリとセンジュは、共に顔をしかめて怪訝な様子だった。
明暗分かれる対照的な空気は末席のエイイチからも見て取れる。
「ほら、マリ。遠慮しないでサイダーでも飲みなさい」
マリの目前に置かれたクリアなグラスに、ツキハの手によって清涼感満載な炭酸飲料が注がれる。しかし歓待を受けるマリの瞳は、瓶サイダーの色と同じく冷ややかだ。
「エーイチくん。先に飲んでみて」
「え? べ、別にいいけど……」
完全に毒見役である。
エイイチがグラスを三分の一ほど空けて返すと、残りのサイダーをマリは一息にあおる。
「ふふ、変な子ね。何を警戒しているの」
一部BAD ENDによってはマリ殺害の実行者ともなるツキハだ。マリが気を張るのも無理はない。
「センジュはこれが好きよね。おかわりもたくさんあるのよ」
そう言ってツキハは、センジュのグラスになみなみとトマトジュースを注ぐ。絞りたての真っ赤な液体に目を落としながら、センジュは不満げに口を尖らせる。
「好きとか言った覚えねーけど。あきらかにあたしのイメージで選んだだろ」
とはいえ別に嫌いではないフレッシュトマト。ツキハがそのつもりならばとっくに殺されていることを知るセンジュは、毒見を頼むこともなくグラスに口をつけた。
「今夜の料理はわたくしが用意させてもらったわ。お口に合うといいのだけど」
ダイニングテーブルを飾る料理はいつもの洋食メインとは異なり、白米に味噌汁、肉じゃがにきんぴらと家庭的なものが並ぶ。
センジュとエイイチの間の床へ座るガンピールにはスペアリブが山盛り用意されていて、食欲旺盛な黒狼はすでにガッツガッツと骨ごと肉に喰らいついている。
「……お姉ちゃん、なに考えてるの?」
「何って、言ったでしょう。こうして家族で過ごしたかっただけ。わたくしは今、奇跡のような幸せを噛みしめているわ」
白々しく聞こえるかもしれない。だが実際、原作の展開を思えば奇跡のような光景なのである。
【豺狼の宴】の三章冒頭でも家族団欒の食事風景が描かれるのだが、承知の通り原作のマリは一章にて死亡している。センジュは二章で自我崩壊し、神皮が真にセンジュと成り変わるため、ガンピールもこの場には存在しない。
原作本来のシーンは、歪んだ第三人格を宿すセンジュと意味深な笑みを浮かべるツキハ。そんな二人にただただ怯える主人公――と、地獄の如き重苦しい食卓が描かれる場面だった。
ゆえに既プレイヤーの視点でいえば、一見普通の……あるべき家族の食卓が垣間見えるこの瞬間は、奇跡と呼んでも決して誇張ではないのだ。
「さあ、冷めないうちにいただきましょう。エーイチさんも遠慮なさらず食べてね」
しかしエイイチは料理には手をつけず、辺りをきょろきょろ見渡した。家族の食卓を語るには足りない人物がいる。
「あの……アヤメさんは?」
どれほどの期間をここで暮らしているのか知らないが、アヤメは館のことを知り尽くし完璧に業務をこなしている。メイドといえど家族と遜色ない人物のはずだ。一人欠けていては、本当の意味でこの会合をエイイチは祝う気になれない。
「作業で疲れているのよ。そっとしておくのが賢明だと思うわ」
だとしたら、なおさらしっかり食べて英気を養ってもらった方がいいのではないだろうか。どうにもツキハの対応は冷淡に感じた。
だがせっかくの食事会に水を差すのも躊躇われる。
「……いただきます!」
エイイチは両手を合わせて箸を握ると、勢いよく茶碗をかきこんでいく。
「あっうまい! 肉じゃが最高ですよツキハさん! 煮っころがしも染みてるぅ〜!」
おかずと白米に交互へ箸を走らせ、圧巻の食べっぷりを披露してエイイチは他の者を黙らせる。冷えた緑茶を喉に流し込めば、あっという間に自身のお膳を空にしてしまった。
「ぷはっ――うまかったですマジ。でも食べ足りないなぁ! こんなにあるんだしちょっと持ち帰っていいですよね!? マリちゃんタッパーある?」
「え。……知らない」
それならばと空き皿を手にしたエイイチは、主菜や副菜をバランスよく皿に並べていく。最後に白米を山と盛り、席を立つ。
「ぅえっへへ! 行儀悪くてすんません、食べ盛りなもんで。みんなはゆっくり楽しんでくださいね! ――おわっとと! ちょ、離してくれガンピール!」
いったいどこへ行くのかと言わんばかりに前足を振り上げ、のしかかってこようとするガンピールの顔を必死で押し返す。
唖然とした皆の視線に見送られながら、エイイチはそそくさとダイニングを後にするのだった。
ツキハは礼節を重んじるような人物にも見える。ダイニングでの振る舞いは好感度の下降に繋がったかもしれない。そうは思いつつ、エイイチはどうしても放っておけなかった。
「アヤメさーん! アヤメさーーん!」
三階にて一見すると物置などに見えなくもない、こじんまりとした扉をノックしてエイイチは声を張り上げる。返事はなかったが、原作エロゲーではここがメイドの私室だったはずだ。
「アヤメさ――」
『何用ですか、エーイチ様。他の方々のご迷惑になります』
ようやく在室の確認は取れたものの、アヤメは扉を開かない。声にはいつもの冷静さを感じられるも、やはり姿を見せないのは不自然に思えた。
「その、アヤメさんまだ夕飯食べてないんじゃないかなって。ツキハさんお手製の食事を持ってきたんですよ」
『不要です。少々気分が優れませんので』
「だったらなおさら食べないと。みんな心配してますよ。この食事も、えっと……ツキハさんに持って行ってくれって頼まれたんですから」
『嘘ですね』
秒で看破されてしまう。
エイイチが考えていた信頼とは違う、ツキハとアヤメの二人はまた別の関係性で結びついているのだろうかと頭を捻る。
『お帰りください。そもそも何をしにいらしたのですか? 私を嘲笑いに来られた。もしくは愉悦、同情』
「い、いや俺はそんなつもりじゃ……」
初めて見せるアヤメの態度に、エイイチは戸惑いを隠せない。引きこもり時代のマリよりも堅牢な扉は一切の光も漏らさず、天岩戸と化している。
「食事、ここに置いておくんで。アヤメさん」
現状は出直した方がよさそうだ。エイイチはそう判断し、お膳を扉前に置いて踵を返した。
『……エーイチ様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか』
呼び止められ、立ち止まったエイイチは顔だけ扉へ振り向ける。
『もしや、あなたは――未来が視えておいでですか?』
未来なら、たしかに見えている。エイイチは自信を持って深く頷くのだ。
「はい。ハッキリと。アヤメさんが、俺の性技で心を開く姿がね」
『正義とは……意外ですが、またずいぶんと青臭いことを』
「でも事実ですから。俺は――アヤメさんと全力でやり合うのを心から楽しみにしてるんです」
エイイチが立ち去ったのち、しばらくしてカチャリと扉に隙間が生まれる。
給仕服ではなく、アヤメは部屋着にしているキャミソール一枚の姿だった。
首や腕、太ももに足首と包帯だらけの身体が、いつもより薄いアヤメの表情と相まって痛々しい。
「……あの方は、全力で、成しただけ。やれることを全部。目的に向かって。私にも、それを求めている」
アヤメは床に置かれたお膳を見下ろすと、弱々しくも口元をほんの少し緩めた。
「まだ、やれることはある。求める力は……まだ、ここに」
昏い瞳に、けれど青白い熱が確実に灯った瞬間だった。
エイイチは知らない。
己の発言が、原作【豺狼の宴】での役割を超える領域までアヤメを至らせてしまうことを。
エイイチが書斎へ入ると、中ではツキハが椅子に腰かけ湯呑みをすすっていた。
「あれ。早かったんですね、ツキハさん。食事会はもうお開きになったんですか?」
「誰かさんが早々に退出してしまったから。あの子達の心根の深いところに、すでにあなたは入り込んでいるのよ」
「は、はあ。す、すみません」
意味はよく理解できないながら責められているような気になり、バツの悪くなったエイイチは書斎のカーテンなど開けてみる。
「今夜も月が綺麗ですよツキハさん。お……またUFOがいる」
「いるわね」
「いますよね!?」
初めて同意を得られたことに興奮し、書斎机に身を乗り出すエイイチ。が、ツキハに手で制されてしまい大人しく身を引く。
「そろそろ教えていただけないかしら、エーイチさん。あなたの秘密を」
「え? 秘密なんてないですよ。性的な秘密とかはまだちょっと、公にするのは恥ずかしいし……」
「そう。それならここで、あなたと一戦交えてみるのも興……かしらね」
「一戦、交える……っ!?」
思いがけない誘いに興奮し、ここは乗るべきだとシャツをおもむろに脱いだエイイチ。が、ツキハがエアコンの強冷風をリモコンで起動したため大人しく服を着る。
「さ、寒い」
「エーイチさん。たとえば、こんな言葉をご存知ではなくて?」
片手でリモコンを操作し、エアコンを停止させたツキハは組んだ手を口元へ。勿体ぶってゆっくり、はっきりと台詞を発する。
「――
原作【豺狼の宴】においてツキハがこのような台詞を口にすることはない。
件のホラーゲームのタイトル。メタな発言とも取れる単語を、どうしてツキハはエイイチに問うたのか。それがどのような意味を持つのか。ただの偶然か、それとも――。
どちらかが口を開く前に、書斎の内線が突如鳴り響いた。
エイイチが困惑してコードレスフォンを見やるも、ツキハは出る気がないようだ。
「出た方がいいわ。きっとあなた宛よ」
ツキハに促され、納得できないままにエイイチは受話器を手に取った。
『ア!? ヒツジィ! イマスグコイ! キテ! デタ! デタノダ!』
「ちょ、ちょっと落ち着いてマリちゃん。何が出たって?」
『アレ! マリジャナイケドアレミタノ! ワタシシンジャウ!』
「死んじゃうほどのアレって、まさか……ごきぶ――」
『ドッペルゲンガー!!』
「…………」
耳から外した受話器を見下ろし、またマリの癖が始まったと眉間にしわを寄せるエイイチだった。
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