#48
すでに逢瀬は禁止されている時刻だったが、マリの危機ならばと特別にツキハが許しをくれ、エイイチは三階へ足を運んだ。
「マーリーちゃーん!」
ノックをしながら、懐かしき少年時代の誘い文句の如く間延びした呼びかけを行うエイイチ。
しかし返事はなく、マリは姿を見せない。内鍵はかかっておらず、エイイチはそっと扉を開く。
「マリちゃーん……?」
マリは部屋のカーペットに膝を立てて座り、頭を抱えて塞ぎ込んでいた。よく見ると肩を小刻みに震わせ「見ちゃった……どうしよう……やっちゃった」とうわ言のように繰り返し呟いている。
「だ、大丈夫?」
「どどどうしようエーイチくん! わたし、死んじゃう! 殺されちゃう!」
素早くズザザと足へしがみついてくるマリに意表をつかれ、エイイチは思わず身を引こうとするもふくらはぎに食い込む指が離れない。
「ちょっ、痛てて! 死ぬとか殺されるとか大袈裟だって!」
「ドッペルゲンガーだよ!? エイイチくんがこうして話してるわたしがわたしだって確証がどこにあるっていうの!? 今に本当のわたしに成り代わってドッペルが台頭して! 我が物顔で館を闊歩しだして! わたしという自我は空に放出されて! つまりわたしは死ぬ!」
「無理に小難しい理屈考えないでいいって! そういうのマリちゃん苦手なんだから!」
「どういう意味!?」
マリは半狂乱に陥っていて埒があかない。こんな恐怖で取り乱すような役回りは、本来ホラーゲームの世界に放り出されたエイイチにこそ相応しいものだ。
思うにマリは、力で解決できなさそうな現象を恐れる傾向にあるのかもしれない。
エイイチは子供に対するそれのように、屈んで目線をマリの高さに合わせる。
「落ち着いて、ゆっくり深呼吸しよう」
「だだ大丈夫わたしは落ち着いてるッ……わたしは絶対王者ッ……フー! フー!」
「目が血走ってるけど……そうそう偉い偉い。んじゃ聞くけどさ、見間違いってことはないの?」
「……ない。わたしは毎日十数回は鏡を見てる。顔がかわいいから」
「お、おう。そう」
「あれは、確実にわたしだった」
とはいえエイイチは半信半疑だった。
ドッペルゲンガーという怪異、現象はエイイチも知るところである。自身と瓜二つの存在を目撃した者は、遠からず死に至るという。
怪現象の一つとして、エイイチも可能性を否定するつもりはない。しかしここがアダルトゲームの世界であることを考慮すれば、実に食い合わせの悪い話ではないか。なぜ純愛エロゲーにわざわざ恐怖体験を盛り込まなければならないのか。
かといって、マリが嘘をついているとも思えない。詳しく聞けばノックをされたのち、扉を開けると至近距離で目撃したのだと言う。見間違いの線も薄いだろう。
エイイチは名探偵よろしく再度脳を震わせる。
ここは【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】という極上のエロゲー世界。ここで起きるあらゆる事象は、アダルトシーンへと直結するのが道理なのだ。
ようするにこのドッペルゲンガー事件には、アダルトゲームならではのエッチなロジックが隠れているに違いなかった。
「じゃあ、目の前の“ドッペルマリ”に驚いたマリちゃんはすぐ扉を閉めた。その後“ドッペルマリ”の行方はわからないってことだな?」
「うん、そう。廊下を西側に走っていく足音は聞こえたけど。……エーイチくん、ドッペルマリってなに?」
まだ事件の概要をつまんだだけなのに、エイイチは一人でうんうん頷く。
「よし、調査を開始しよう。まずは他の住人にも話を聞いてみなくちゃ」
「え? ていうか、わたしも行く流れ? 行きたくないし、一人で調べてきてよ」
「だって言い出したのマリちゃんじゃん。それにこういうときって、優秀で美人な助手がつきものだろ?」
「優秀で、美人……」
あくまで渋々の体は取りつつも、うまく乗せられたマリはホイホイと後をついてくる。エイイチもマリの扱いに大分長けてきた様子だ。
ともかく二人は狼戻館三階を西へ、話を聞くためセンジュの私室前まで移動した。
「センジュちゃーん! ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ノックをしたのちおもむろに扉を開けるエイイチ。すると、ベッドに腰かけていたセンジュが慌てて何かをシーツの下へと押し込む。
「おまっ――エーイチ! 返事するまでドア開けんなよ! ……ったく。マリまで一緒になって何? なんの用?」
あきらかに不自然なセンジュの挙動を前にして、エイイチとマリは無言で顔を見合わせた。
「……センジュちゃん、今なに隠したの?」
「べべ、別に何も隠してなんかない!」
誰の目から見ても動揺は激しく、センジュのナワバリに踏み込めないマリは、顎をしゃくってエイイチを促す。
「ドッペルマリがいるのかも。やっちゃって、エーイチくん」
「あいよ! ごめんセンジュちゃん!」
もはやどちらが助手なのかわからない。「やめろー!」と必死に抵抗するセンジュを可哀想に思いながらも、エイイチは事件解決のため心を鬼にしてシーツを剥ぎ取った。
「こ、これは――……ぬいぐるみ?」
なんのことはない。隠されていたのはセンジュがいつも抱いていた羊のぬいぐるみだ。しかし縫い目には糸の通された針が刺さったままで、どうやらお手製のようだった。
エイイチはベッド脇に並んだ十四体のぬいぐるみを見渡し、センジュに意外な趣味があることを感心する。
「それ、十五代目ヒーちゃんか。まさか手作りだとは思わなかったよ」
「覚えてたの? まあ別に……悪いかよ。暇つぶしだよ」
少し赤くなって口を尖らせるセンジュ。既製品と変わらぬ出来栄えのぬいぐるみをエイイチが褒める中、マリは違った。
「ふふ、ふふふ。あなたがぬいぐるみ? ふふ」
肩を小刻みに揺らすマリの態度に、センジュもまた怒りに身を震わせる。
「あーもー! いい機会だッ!」
サイドアップテールの金髪をわしゃわしゃかき乱すと、立ち上がったセンジュはぬいぐるみを掴んで大股でマリへと向かっていく。
「な、なに。やる気!?」
ファイティングポーズを取るマリの胸に、センジュは羊のぬいぐるみを押しつけた。思わず受け取ったマリは、意図が理解できずにセンジュとぬいぐるみ間で視線を行き来させる。
「その……昔、おまえ抱いてたろ、そんなやつ。あのときは、ビビらせちゃった……から」
センジュが狼戻館に襲撃をかけた際の、二人の出会いの話である。ツキハの後ろで怯えるだけだったマリに対する贖罪か、そもそも襲撃自体に罪悪感があるのか。
いつも羊のぬいぐるみを抱えて館内を歩き回っていたセンジュが、マリにぬいぐるみを渡すタイミングをずっとうかがっていたなどという事実は、【豺狼の宴】本編でもついぞ明かされなかったエピソードだった。
無言で俯くセンジュに、出鼻をくじかれたマリは黒髪ロングを撫でつけながら目をそらす。
「……もらってあげる。でもわたし、ビビってなかったし」
「あ? ビビってたろ完全に」
「は? あれは、どう料理してやろうかっていう武者震いで――」
「なんていい話なんだ!!」
ヒートアップしそうな二人の間に、美しい姉妹愛に胸を打たれたエイイチが割って入った。マリとセンジュの肩を抱き寄せ、今にも頬ずりしそうなほど感極まった様子で涙ぐむ。
これが姉妹百合を描いたゲーム世界だったらエイイチは死んでいたところだ。
「ちょ、離れてよエーイチくん! 暑苦しい!」
「だいたいおまえら何しにきたんだよ! 用がないならさっさと帰れよ!」
「――はっ。そうだった」
両側から手で顔面をプレスされ、エイイチは正気に戻った。そして事の経緯をセンジュに説明する。
状況を理解したセンジュは片眉を吊りあげる。
「……それで“ドッペルマリ”ね。あたしは見てねえよ、そんな馬鹿みたいな怪異」
「あっそ。じゃあこんなやつに用はないし、行こうエーイチくん」
悪態を吐きつつ、踵を返したマリはしっかり羊のぬいぐるみを抱えていた。
片手を立て“ごめん”と謝罪して、マリの後を追うエイイチに声がかかる。
「エーイチ! ……せんせ?」
振り向いたエイイチは、恥じらうセンジュの姿を見た。金髪のテール部分をしきりに指へ絡め、センジュはパクパクと声にならない声を絞り出す。
「その……あた、あたしのドッペルが出ても……え、えっちなイタズラ、しちゃダメだよ……?」
ひさしぶりの小悪魔モードなセンジュにエイイチは胸を撃ち抜かれた。その上目遣いには、これまで以上の破壊力が感じられた。
ポイントは羞恥心だ。センジュのメスガキ人格は、ガンピールが乗り移ったものではないということが先日証明された。つまり紛うことなきセンジュ自らが内なる性を解放した姿であり、本人も未だ戸惑いや後悔を抱えている。
それでも少しずつ認めようと、少女は大人になろうと懸命に恥ずかしさと向き合っているのだ。それが表情やしぐさに現れ、醸し出す未成熟な色気へと繋がっているのである。
エイイチがたっぷり十秒近く、目を奪われてしまっても仕方ないことだった。
「エーイチくん、なに固まってるの? あんな下品なの見ちゃだめでしょ! 行くよ、ほらほら!」
マリに耳を掴まれても痛みを感じず、エイイチは足をもつれさせながら廊下をずるずる引きずられていった。
これは余談になるが、センジュの色ボケた性格について。ガンピールが乗り移ったものではないのだとすれば、どこから湧き出したものなのか。
戦いに明け暮れていたセンジュの中から自然発生したとは考えにくい。再現とは言わないまでも、無意識下で参考にした人物が存在するはずなのだ。
◇◇◇
鈍色の壁に囲まれて、ベッドに寝そべり半身のみ起こしてダーツバレルを投げ放す。
緩い放物線を描き、チップは見事ダーツボードのインナーブルに突き立った。
「……はぁ。つまんなぁ」
アイナは独りごちると、次のダーツを手に隣のベッドへ目を向ける。
もう二度と帰ることはないであろう、敵同士となったかつてのルームメイトへ思いを馳せたのかもしれない。
「うちは、けっこう……楽しかったんだけどなぁ」
先ほどと同様の軌跡でボードの中心へ飛んだダーツは、けれどすでに刺さっていた
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