第三章 ニンギョウアソビ【待雪ツキハ】

#46

 これは記憶である。


 あの日――少女が神皮と出会い、狼戻館へと襲撃をかけた日。

 館に棲んでいた異形五名を滅殺した少女は五体満足のまま、残り二名を屠るべく追いつめた。


 何も問題はなかった。ラウンジのような一室で、奥のグランドピアノの影に隠れる異形はガタガタと震え、もう一名の異形の足にしがみついている。


 少女は自分とそれほど外見年齢の変わらなそうな、しかし怯えるだけの異形へ侮蔑の目を向ける。

 過保護に守るような手のひらが異形の目元にかざされ、少女の殺気が込められた鋭い視線を遮った。


「マリちゃん。大丈夫よ」


 紫紺のドレスを纏った大人びた異形が歩み出て、少女の前に立ちはだかる。こちらは気後れした様子もなく、争いに応じるようだ。

 けれど何も問題はない。先に滅ぼした異形の方がずっと圧があったし、実力を同程度と見積もっても神皮の力が加わった少女に敗北はない。


 すがるものがなくなり、代わりにらしきぬいぐるみをぎゅっと胸に抱きしめる異形弱者から目線を外し、少女は紫紺の異形へ敵意を定める。

 紫紺の異形は柔和な笑みをたたえていた。


「侵略されたのだもの。抗ってもいいわよね」


 所詮弱者の強がり。真の強者に語る口は必要ない。数多の異形を狩ってきた少女の経験則がそう告げる。これまでと同じように無言で得物を抜き、駆ける。勝敗は刹那で決まる。


 少女の確信は、果たして現実となった。


「……ああ。さみしい。さみしい。皆さん、とてもよくしてくれたのに。そうだわ、ねぇ……あなた」


 自身を見下ろす紫紺の異形が少女は信じられなかった。何が起きたのかさえ把握できず、混乱する少女にあろうことか異形は手を差し伸べてくる。


「わたくし達の家族になって? そうなれば、きっと楽しい。ね、楽しいわ」


 少女はこのとき植えつけられた屈辱を決して忘れない。これが恐怖なのだと。Z9以外に己へ恐怖を与えられる存在がいたのかと。


 この日から少女は――X10は異形の望むまま狼戻館の住人となったのだ。


「X10? だめよ、かわいくない。そうね……」



◇◇◇



「それでね、エーイチさん。わたくしがそこからどう名付けたかというと――」

「ああ〜はいはいなるほど。Xはローマ数字で10だから、X10で1010せんじゅう。つまりセンジュってわけなんですね!」


 時流しによる五十年の経過を考えず、エイイチの体感にて数えること十四日目の夜。

 ツキハとの約束通り寝泊まりするため書斎を訪れたエイイチは、提供されたアッサムミルクティを傾けつつ思い出話を聞いていた。


「でもセンジュちゃんにそんなヤンチャな反抗期があったなんてなぁ。今じゃすっかりかわいいだけの妹みたいな子になっちゃって」


 へらへらしているエイイチが、ツキハの話をどう曲解したのかはわからない。

 過去を語ったツキハは、センジュの名の由来を言い当てられて少々不機嫌そうに口をつぐむ。悩むエイイチへ名付けのからくりを自慢気に披露したかったのだ。


「……わたくし、そろそろ休ませていただこうかしら」

「え、もうですか? いや、でもツキハさんお疲れですもんね。ゆっくり休んでください。書斎お借りします」


 立ち去り際に、書斎奥の扉へと目配せをするツキハ。


「エーイチさん。書物や茶器は自由に使っていただいてかまわないけれど。くれぐれも……奥の部屋を覗き見ては駄目よ」

「はぁ……」


 意味深に言い残し、ツキハは書斎を出ていった。

 そもそも謎の扉には王冠をかたどった窪みがあり、施錠されているはずである。秘蔵のアダルティグッズでも保管しているのだろうかとエイイチは興味を示した。


 だが家探しなどするつもりはない。ツキハが覗くなと言うのであれば、エイイチが意向に沿うのは当然。

 あるいは恐怖を失った状態のエイイチならば、ヒロインに嫌われることも恐れないため鍵を探していたかもしれない。細かな変化ではあるが、つまりエイイチに課せられた呪いは解けていることが証明されたといえるだろう。


「へぇ……帝王学……経済……パソコン入門? 意外といろいろ読んでるんだな、ツキハさん」


 適当な歴史書を手に簡易ベッドへとエイイチは寝転がる。ペラペラとページを捲る速度はすぐに鈍り、やがてハードカバーを顔に乗せたまま熟睡するのだった。




 狼戻館滞在十五日目の朝。

 起床したエイイチが簡易ベッドを折り畳んでいると、ツキハが朝食のパンを二人分持って書斎へとやってきた。

 いつもの手の込んだものではなく、質素な食パンとバターを受け取るエイイチ。居候のような身分でケチをつけるわけではないが、疑問は口に出る。


「アヤメさん、寝坊かなんかしたんですか?」

「そういうわけではないのだけど、ひどい有り様でしょ? 上階。アヤメさんには補修作業にあたってもらっているの。だから、しばらくは簡単なお食事で悪いのだけど」

「いえ、構わないですよ。それより業者が見つからないなら俺も手伝いましょうか? 補修作業」


 度重なる猟幽會の襲撃で狼戻館はボロボロである。しかしエイイチの善意の申し出はやんわりと拒否される。


「プロ意識の高いアヤメさんはきっと良い顔をしないわ。あなたは自分の仕事を全うなさって」


 メイドのプロとはいったい。建築物の修繕も行わなくてはならないとは、かくも厳しい道なのだろうか。

 エイイチは唸りながらも、ツキハに従う姿勢だ。


「わかりました。それじゃ、さっそく今日も裏庭へ行ってきます」

「……庭」


 ツキハは怪訝に眉をひそめるも、仕事の方針に口出しはしない。代わりに今思い出したとばかり、棚の引き出しから何かを掴み取った。


「エーイチさん。これを、庭のどこへでもいいから植えて欲しいの」

「これは……種、ですか?」

「ええ。中々時間が取れなくて。植えて、水を撒けばいいだけだから。なるべくなら早めにお願いね」


 つまんだ小さな一粒を、エイイチは朝日に透かしてみる。特に変わったところもない普通の種に思える。大した手間にはならないと考え、ツキハ直々の願いということもあり快諾したのだった。




 さて、本日エイイチはもう一つ重大イベントを行うつもりでいた。すなわちガンピールを庭へ放つ。


 裏庭はエイイチが課外授業を行うと信じたツキハの計らいで、今やガンピールを除く全員の共有ナワバリとなっている。おかげでマリはオオカムヅミを栽培できたし、結果としてセンジュを救うことにも繋がった。

 そこへもう一度マーキングの手順を踏み、ガンピールを加えたのだ。ドッグランは未完成ながら諦めたわけではなく、ガンピールの運動の見守りと並行して製作は続けていく。


 猟友会の動向こそ気になるが、センジュから“あれだけ派手にやられたらしばらく来ないだろう”とお墨付きをもらって此度の実行へ至った。

 あのときマリが拘束したアイナを取り逃がしたりしなければ、もっと安心できたかもしれない。けれど気絶したエイイチを心配している間の出来事だったので、センジュもマリを責めたりはしなかった。


「なんか、前より草伸びてない?」


 訝しむエイイチに対し、隣に並んだマリ、センジュ、ガンピールの三名は誰も何も答えない。


 エイイチの視点ではあれだけ刈った草が急に伸びたように感じるのだろうが、時流しにより五十年が経過した割には膝程度までの長さしかない。

 これには狼戻館自体が放つ“魔力”とも呼ぶべき瘴気が大いに関係している。


 敷地内の植物は一定の割合を超えて伸びることなく、ぴたりと成長を止めてしまうのだ。建物に蔓を巻きつけるなどもってのほかで、まるで外観を損なうことのないよう気を使っている風情でもある。

 オオカムヅミの如き魔性を帯びた植物はまた別なのだが、植物には植物なりの魂や心が存在する証たり得るのかもしれない。


「ま、いいか! よし、好きに走ってこいガンピール!」

「ガフッ!」


 地下暮らしの鬱憤を晴らすかのように、ガンピールは駆けた。巨躯に見合わない俊敏さは裏庭でも手狭に感じるかもしれない。だが青空の下、躍動する黒い毛並はたしかに艶を増して輝いていた。


「あ、花植えたところは踏み荒らしちゃ駄目だぞ! エーイチ、あたしちょっと行ってくる」

「わ、わたしも遊んでこようかな。エーイチくんもおいでよ」


 スポーティーな格好のセンジュに続き、おそるおそる走り出したマリが手招きをする。言動とは裏腹に長時間屋外で過ごす想定の麦わら帽子などかぶり、最初から遊ぶ気満々だった。


 エイイチとてすぐにでも合流したくはある。けれどまずはツキハの頼みを完遂するべく、だだっ広い花壇に種を植える。ジョウロで水を与えれば、あっという間に任務は完了した。


「よーしガンピール! 俺と競争しよう!」


 なんという青春だろうか。エイイチが待ち望んだ、これこそ恋愛系アダルトゲームの一コマ。狼戻館を知る者には到底信じられない光景なことだろう。

 存分に庭を駆け回り、大声をあげて楽しむ活動的な時間は過ぎるのがとても早く感じられた。




 気がつけば太陽が直上にある。

 草っぱらに座り込み、休憩するエイイチへセンジュが水筒を差し出す。

 現在は、マリがガンピールとフリスビーで遊んでいる。


【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】で次女は病弱設定があり、思えばマリも長い時間を部屋に閉じ籠もって過ごしていた。ガンピールの境遇に共感や同調する部分があるのかもしれない。

 眺めるエイイチは感慨深く頷いた。


 マリの豪腕で投げるフリスビーは、しかしそんなしんみりムードを吹き飛ばす勢いだ。

 人の首くらい落としかねない回転をもって飛翔するフリスビーを、ガンピールは顎でジャンピングキャッチした。空中で身をひねり、殺傷力そのままにマリへ円盤を返す。

 風を裂く音はおよそオモチャが発していい類いのものではなかったが、マリは二本指で軽くフリスビーを受け止める。


「すごい、すごーい! 最近の柴犬って、ほんとすごいんだねエーイチくん!」


 エイイチが半分飲んだ水筒を返してもらい、ためらいなく口へ運ぶセンジュ。「ぷは」と息を吐く顔は完全に呆れていた。


「あいつ……本気でガンピールを柴犬とか言ってんのか」

「マリちゃんは、ほら……ピュアだから」


 人外二名の終わりなきラリーが続く。

 センジュも休息のためか、エイイチの横へと腰を下ろす。やれやれと首をすくめつつも、元気に駆けるガンピールを見る瞳は優しげだった。


「そういや、エーイチ。さっきおまえ、何してたんだ?」

「え? ああ、俺はそこの花壇に種を――」


 後方の花壇を振り返り、エイイチが固まる。無理もない。植えたばかりの花壇に早くも緑の芽が出ている。


「うそだろ、まだ二時間くらいだぞ」


 センジュを伴って花壇へ近づき、エイイチは屈んだ。芽というよりも、二枚の大きな瑞々しい葉が土から飛び出していた。

 興味本位に葉を掴んで少し引っ張ってみると、白く太い根の部位がズズッと覗く。


「ん? なんだこれ、大根?」


 さらにずるずる引き抜いていくエイイチ。

 眉間にしわを寄せ見守るセンジュの視点からは、大根に口のような亀裂があるのを確認できた。何か気づいた様子でセンジュは「あ」と目を見開き、エイイチへ訴える。


「ま、待てエーイチ。それ、マンドラ――」

「こ、これは……!?」


 驚かせて刺激を与えてはマズいと思い、センジュは両手で自身の口を押さえ言葉を飲み込んだ。

 植物の名はマンドラゴラ。引き抜く際に絶叫し、聴いた者を絶命させるというアレである。実は狼戻館周囲の森にもぽつぽつと自生している。


 先に説明した通り。魔性の館の敷地内で急成長する植物など、同様に魔を帯びた存在でなければありえないのだ。

 原理としては、抜くときにつく微細な傷がマンドラゴラ絶叫の引き金となる。


「……見なよ、センジュちゃん。この大根」


 エイイチは落ち着いた手つきで、慎重にマンドラゴラが埋まる土を周辺から掻いていく。あらわになった本体部分は二股に分かれ、まるで組まれた人の足のようだ。


「白い肌。ほどよい肉付きの太さ。なんてセクシーなんだろう」


 女性の足に見立てた大根を、エイイチが雑に扱うはずもない。

 センジュは“何言ってんだこいつ”と白い目を向けたが、どうやら無事にマンドラゴラは引き抜かれた。


 葉を掴んで掲げ、エイイチが恍惚とマンドラゴラを眺めていると。


「あ――よけてエーイチくん!」

「え?」


 焦るマリの声に振り向いた直後、凶器と化したフリスビーがエイイチの頬を掠めた。戦輪チャクラムの如くマンドラゴラの身を切り裂くと、フリスビーは狼戻館の外壁に突き刺さった。

 エイイチが手に提げるマンドラゴラはぷるぷると震え、亀裂が大きく広がっていく。


「エーイチ! 早くそれ捨てろ!」


 この距離で鳴かれてはセンジュも無事ではすまないし、エイイチの即死は免れない。

 口の開ききったマンドラゴラが“ギィ――”と声を発する寸前。


「ガァウッ!」


 ガンピールが大顎でマンドラゴラに喰らいつき、その絶叫ごとガリボリシャクシャクと咀嚼する。何事もなかったかのように飲み込むと、ガンピールは舌で顔を舐め、その後手でごしごしと拭いていた。


「お、おお、そんな腹減ってたの? まあ、根菜だし大丈夫か」


 エイイチの発言を受け、場に安堵の空気が流れる。これもまた、のちの笑い話の一つに加わるのかもしれなかった。




 そして、そんな緩い集団にサンルームからじっと視線を向ける者がいる。

 いつもの調子で死の局面を回避したエイイチを見て、ツキハに動じた様子はない。むしろ何かの確証でも得たのか薄く笑みを浮かべている。


「……おや、ツキハ様。このような場所に何用ですか?」

「息抜きにね。わたくしはこれで失礼するわ、アヤメさん」


 入室してきたアヤメと入れ替わりに、ツキハはサンルームを出ていった。


 アヤメはまっさらなシーツ類を抱え、屋外に足を運ぶ。裏庭では狼戻館でおよそ聞いたことのない楽しげな笑い声が響いており、何事だろうかとアヤメは顔を上げた。


 エイイチやマリ、センジュに混じって庭を走り回るガンピールこと“神皮”を目にした時、アヤメの瞳と口が呆然と開いていく。


「な――……」


 言葉もなく立ち尽くすアヤメの手からシーツがドサドサと落ち、せっかくの洗い立てを土くれで汚してしまうのだった。

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