#17

「……あなた、猟幽會?」

「化物に名乗る名は持ち合わせちゃいねぇんでな、気安く“Y氏”とでも呼んでくれや」


 ブラジャーの残骸を投げ捨て、マリはY氏へ向き直った。表情からようやく戸惑いの色が消え、中年太りも甚だしい男をじっくりと値踏みするマリ。やがて興味が失せたかのように首を振る。


「呼ぶことなんてないから、必要ない」

「あーこれから死んじまうんだもんなぁ。大物じゃねぇのはちぃと残念だが、他のヤツらもすぐ嬢ちゃんと同じとこさ送ってやっからよ」


 Y氏の煽りにもなんら心は動かない。マリはこれまで猟幽會と接触したことはなかったが、噂に聞こえるほどの脅威も特異性も感じなかった。


 男など皆同じだ。

【待雪マリ】の根底にはそんな思いがある。マリにとって男とはヒツジを表し、相手が猟幽會であろうと見据える眼に大差はない。


 現在よりはまだ精力的にナワバリを巡り争っていたあの頃――具体的にどれくらい前だったのかは忘れてしまったが、あの頃の記憶をマリは振り返る。


 狼戻館に迷い込んだヒツジは餌であり、贄なのだ。来たるべき“宴”のため、住人はヒツジを取り入れようと躍起になる。信頼を得るためにもてなし、誘惑し、虜とする。ヒツジとの絆を結ぶことが出来れば宴の主催となれる。


 マリに向けられるヒツジの目は様々だった。庇護欲でも刺激されたのか優しく細められた目。それとは反対にギラついた支配欲まみれの暴力的な目。エイイチのように情欲を隠そうともしないものや、このY氏という男と同種の殺意が込められた目もあった。


 どれも嫌いではない。どれも強くマリを意識した瞳であり、心の大半にマリを宿していることがわかるから。ヒツジの思考も動機も己で埋め尽くされているとわかるからこそ、どんな欲望をぶつけられても慈しむことができる。


 それなのに、宴の最後――今際の際に限っては皆同じ目をする。非難や呪詛の声よりも、まるで化物を見るかのような目がマリを萎えさせるのだ。最初からわかってたくせにどうして。互いに恍惚としたままどうして終われないのだろう。


 マリは次第に宴への興味を失くしていき、以降ナワバリに執着することもなくなっていった。

 男など皆同じだ、と。




「――愚鈍だべおめぇ。ほれ、死ね」


 ぼうっと呆けたままでいるマリに対し、Y氏は躊躇なく猟銃を発砲する。耳をつんざく発砲音と同時。ディスプレイ上のティアリング現象の如くマリの姿は垂直に分断され、ズレる・・・

 ボイラー室に未だ銃声の反響が残る中、変わらぬ姿勢でマリは三メートルほど左に立っていた。


「ちっ」


 Y氏もすぐさま銃口をスライドさせ再度放つ。しかしマリの実像は乱れ、今度は右に。二射目以降、Y氏は回避先を見越して偏差射撃を実施している。しかしそれでもマリを捉えることは叶わず、銃撃はボイラー室の壁面を破壊していくだけだ。


「速ぇ速ぇ! 気色悪りぃ動きだなぁ!」


 腹巻きに手を突っ込んでマズルアタッチメントを取り出し、銃口へと素早く装着するY氏。歪んだ笑みを浮かべ、気怠そうに棒立ちするマリへ狙いもそこそこに猟銃をぶっ放す。


「全身穴だらけにしてやるべ!」


 単発式だったはずの猟銃がガトリング砲並に震えつつ轟音を撒き散らした。銃口から赤く輝く何十もの弾丸が連続で射出される。

 マリは跳躍した。常人では考えられぬ跳躍力で、ボイラー室の高い天井付近まで跳び上がる。だが放たれた真っ赤な弾丸は、すべてがほぼ直角に軌道を変え上空のマリを追いかけた。


 空中では逃げ場がない。歯を剥き出しに笑むY氏は勝ちを確信したことだろう。しかしマリもまた、宙空で突如軌道を変えたのだ。背に生えた翅には幾何学的な模様が浮かび、青く光る微細な粒子できらきらと尾を引いてマリはボイラー室を飛び回る。


「くっ――虫けらが。んなもん、いつまでも保つもんじゃねぇべ!」


 猟銃は休みなく火を吹いた。弾丸は間断なく空へ撃ち上がり、高速で飛来するそれをマリは弾道予測しながら避け続ける。意思を持つかのように曲がりくねる赤い弾丸と、青い光と共に空を駆け巡る少女の高機動空中戦。追尾性を失った弾丸が次第に壁や天井へ衝突して爆発し、ボイラー室を激しく揺らし始める。VFXやCGで脚色されたように派手な戦闘は、もし見物客などいれば大いに盛り上がったに違いない。


 しかし無限とも思えるY氏の追尾弾を前に、このままでは確かにジリ貧だった。ボイラー室はそれなりの広さがあるとはいえ屋外とは比べ物にならない。徐々に壁際へと追い込まれたマリは、前方上下より挟み撃ち気味に弾丸が迫ると目の色を変えた。


 マリは競泳のターンの如く後ろの壁を蹴り、翅をたたんで正面から弾丸の雨へ突っ込む。複数の恐ろしい風切り音とすれ違い、開ききった瞳孔は真っ直ぐその先のY氏を捉えている。

 ミサイルと見紛う速度で斜めに降り落ちてくるマリを、けれどY氏もまた待ち構えていたのだ。


「ほれ。おらぁの胸に飛び込んでおいで」


 Y氏が猟銃をマリへ向ける。銃口のアタッチメントはいつの間にか別の物へと換装されていた。

 これまでの銃撃よりあきらかに重みのある衝撃。激しいマズルフラッシュ。

 一瞬で放射状に広がった散弾に翅を穿たれ、失墜したマリが地面を滑り転がった。


「が……ぐ、う……」


 顔から突っ伏したマリは、体を起こそうと震える腕でもがく。Y氏は不用意に近づかず、マリの頭部へと銃口で狙いをつける。


「無様だなぁ嬢ちゃん。へっへ。その姿、虫けらそのものだべ。助けでも呼ぶかぁ?」


 今度こそ勝利を確信してY氏は、存分にマリを嘲った。Y氏の言う通り、マリはここで虫けら同様の末路を迎えるのだろうか。助かるにはエイイチによる選択が必要なのだろうか。


 答えは否である。【豺狼の宴】において、マリがY氏に敗北する展開は一つとして存在しない。狼戻館の住人はゲーム上あらゆる生物を超越した化物なのだ。ゆえに白馬の王子に助けられる展開など必要としない。


「なんだぁ……?」


 倒れ伏すマリの全身が、モザイクの如く大小の枠組みで覆われ明滅する。枠に収まった腕や足、頭が順に背景へと同化していく。

 焦るY氏の目前で、マリは倒れたまま忽然と消え失せてしまった。


「習性……擬態か――!?」


 気配を察して左前方にY氏は猟銃を突き出す。歴戦の戦士であるY氏の勘と考察は大したもので、たしかに銃口を突きつけた位置にマリはいた。

 光学迷彩を解いたマリは、Y氏の眼前ですでに跳躍状態にあった。


 彼の名誉に関わるので語らねばならないが、Y氏は決してロリコンではない。いやらしい言動が目立つ部分はあれど、敵を煽り隙を誘うための方便であり本心ではない。捲れたミニスカートの中身にコンマ一秒、わずかに視線を奪われたとしてもそれは男のサガでしかないのだ。戦場だろうと、命のやり取りの場だろうと関係ない。そもそもとしてノーパンのマリが悪い。


 そのマリはマリで“エーイチくんより先に見られちゃった”などと瞬間的に考えてしまったのだから、つまりは対等な条件下であり単純にマリが速かった。


「がはっ!?」


 散弾が放たれるより先に、跳躍中のマリは素足でY氏の顔面を足蹴にした。たたらを踏んで後退するY氏へ向けて、野球の投手のように片腕を振り下ろすマリ。

 極めて短射程だが高威力を誇る、毒針毛という鉤状の毒針が複数本Y氏の心臓部を貫いた。


「……ほら、またその目。ほんと萎える」


 何人も忘れてはならない。

 狼戻館は難攻不落の魔窟である。挑む者は、死を以てそれを思い出す。


 糸の切れた操り人形よろしく崩れ落ちるY氏がどのような表情をしていたか、マリの胸中から吐き出された言葉で推し量ることしか出来なかった。




 猟幽會の人間が死亡した。マリは勝利を掴んだが、ナワバリは失われる。

 ボイラー室の床の一部がふいに黒く泥状化し、Y氏の亡骸の下部から飲み込んでいく。狼戻館の怨念は仲間を増やそうと死した魂を捕らえるのだ。


 ボイラー室の封印が始まった直後、マリは弾かれるような衝撃を受けた。そして気がつくと自室の入り口付近に佇んでいた。


 人様のベッドでエイイチが気持ちよさそうな寝息を立てている。マリが死闘を演じている間、この男はただ寝ていただけである。

 マリがゆっくりベッドへ歩み寄ると、エイイチが身じろいだ。


 ヒーローではないエイイチは、当然助けには来なかった。だがマリとてエイイチにそんな姿を望んでいたわけではない。

 仮にそのような事態が訪れた場合、プライドを傷つけられたマリが怒りに任せてエイイチを殺してしまう可能性すらあった。

 戦闘行為でヒツジに助けを乞うなど狼戻館に巣食う化物の姿ではない。それは狼戻館の流儀ではない。

 マリが今欲しているものはたった一つ。


「んぁ……? マリちゃんおかえり……風呂上がりはなんか、やっぱめちゃくちゃかわいいね……」


 寝ぼけ眼なエイイチの寝ぼけた台詞なのだが、不思議なことにこの男はこうしてマリが欲しかった言葉をくれるのだ。

 本当にエイイチはこれまでの男とは違うのかもしれない。マリは期待していた。


「……ね、エーイチくん」

「なに?」

「エーイチくんは、萎えないでね」

「な、萎えるわけないだろマリちゃん相手に! そりゃもうバッキバキの絶倫だから!」


 おそらくエイイチは少し外れた想像をしているのだろうが、あながち間違いとも言い切れないかとマリは微笑みかける。


「本当? ……じゃあさ、今から――」

「いっ今から!?」

「今からボイラー室にもう一回行ってきて」

「……え?」


 ベッドから跳ね起きたエイイチの煩悩が、みるみる萎んでいった。


「あのさ……なんで?」

「いいから行ってきて。洗濯に頼んだ下着もう一枚持ってるでしょ。それ置いてきて」


 乾いたパンツを返却していない事実を引き合いに出され、後ろめたいエイイチは口を結んで下を向く。


 封印が施された部屋をもう一度解放出来るのかマリは試したかった。エイイチにそれが可能なら、本当に唯一無二のパートナーとなれるかもしれない。

 それに結局まだ今日は入浴も出来ていないのだ。


「終わったら、一緒に添い寝してあげる」


 ヒツジが命を顧みず盲目的に想いを寄せてくれるのなら、マリも相応に捧げる覚悟はある。

 どろどろと溶け合うように最後まで――いや、最期を迎えてもそのままで。かつて捨てた理想を再び胸に抱いて。


「マリちゃんってなんか、ほんとずるい」


 悪態を吐きながらも出かけるエイイチの背に、マリは心中で“がんばって”と呟くのだった。

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