#18
エイイチは大あくびをかましながら裏庭へ向かった。そういえば何も食べてないなと思い出した瞬間、腹がぐうと空腹を主張する。
添い寝は魅力的な提案なのだが、あのマリのしっとりとした視線。エイイチは完璧に惚れられている自信があった。となればいずれマリとのベッドインは確実なのだから、貴重な褒美を添い寝に費やすのもいかがなものか。
「ここは……手料理だな。マリちゃんの」
メシマズでもそれはそれでいい。エイイチはそろそろ萌ゲーならではの胸キュンシチュエーションを体験してみたかった。食後に“次はわたしをおいしく食べて”なんて言葉を頂戴できれば言う事はない。
「そうと決まれば、さっさと終わらせるか!」
エイイチの行く手には即死トラップが仕掛けられたボイラー室の封印解除イベント。これは原作【豺狼の宴】でも進行通り四日目の晩に起こる。エイイチは本来のところ滞在十五日目に遭遇するシアタールームでのトラップを体験済みだが、原作主人公はここで初めて猟幽會の執念に戦慄することとなるのだ。
封印を示す青白く光る扉を気にもとめず開け、ボイラー室に入ったエイイチはすぐに違和感を覚えた。先刻来たときにはなかったテーブルと椅子が室内に置かれている。テーブルの上には鈍い輝きを放つ鉄塊――誰がどう見ても拳銃とわかる代物が無造作に放置されていた。
「モデルガン……? だれか遊んでたのかな」
だが館の住人は最年少のセンジュでもJCもしくはJKほどの年頃と見受けられる。果たしてモデルガンなんかで遊ぶだろうか。もしもツキハが夜な夜なスパイごっこでもしているというならそれはそれで捗る。様々に妄想しながらもエイイチは、誘われるままにオートマチック・リボルバーを手に取り椅子へと腰を下ろした。
警戒心の無さが際立つエイイチの行動も、こと封印が施された室内においてはそれが最適解となる。ここでもしリボルバーを無視するようなら、見えざる手がたちまち足元に絡みつき、身動きが封じられたところで天井から降り注ぐ超酸に身を焼かれる羽目となる。
あまりに凄惨な内容のため詳細は省くが、壮絶な最期を遂げるBAD END10。それは多くのプレイヤーをあ然とさせると同時、封印解除のギミックは決して回避しようとしてはならないのだと強く心に刻みつける。脈絡のないトラップを事前に対処するなど不可能であり、これなら勝負の席についた方がいくらかマシだと。
しかし最適解を引いたからといって生き残れるとは限らない。椅子へ座ったエイイチの腰へ鋼鉄のベルトが瞬時に巻かれ、肘当てに乗せたリボルバーを持つ腕もやはり複数のベルトで固定されたのだ。
「お? おお――!?」
肘当てがゆっくりと内側に回転しつつ持ち上がり、リボルバーを自身のこめかみへと突きつける形になってしまうエイイチ。すぐにロシアンルーレットを模しているのだと気づくも、乾いた笑みがこぼれる。
ただの遊びにこんな専用の椅子まで用意するのはセンジュの仕業と考えにくい。つまりツキハかアヤメの趣味なのだろうが、せめて遊び相手くらいは務めてほしいと呆れたのだ。
「こんなもん、一人でやってもなぁ」
エイイチがぼやいていると、ふとノイズ音がボイラー室に響く。ノイズは徐々に鮮明に、やがて人の声を成す。
『――……そりゃ戦いの中で死ねりゃ本望だべ。闘争こそが、おらぁが一番輝く瞬間なんだ』
見渡しても、音声がどこから発せられているのかわからない。どのみち椅子に固定されて動けないエイイチは声に耳を傾ける。
『争いは駄目だと言う奴がよくいっけどよ、戦場の最前線で戦う人間をいざ前にして、同じこと言える奴が何人いんだ?』
ゲーム特典のボイスドラマか何かだろうかとエイイチは考える。しかしそれならこんな寝取りの竿役じゃなく、せめてヒロインの語りを流してほしいものだ。
『大昔から変わりゃしねぇ、人は戦士を崇めんのさ。将門記にもそう書いてあらぁ。へっへ』
Y氏の死生観のような語りは続いているが、エイイチの目の前で木製テーブルの中心部に小さな火が灯った。火はわずかに燃え広がり、黒い焦げ目が文字を記す。
【Y氏は問う。君が望む死を】
さらに文字はこう続いた。
【引き金を5回引け】
ボイラー室の封印解除の方法はロシアンルーレットそのものである。銃口をこめかみに固定されたリボルバーは六連装のシリンダーが備わり、実弾が一つ込められている。
このオートマチック・リボルバーは非常にめずらしい代物で、撃鉄を起こす必要がないダブルアクションと引き金の軽いシングルアクション両方の特徴を併せ持つ。簡単に言えば、大した力を使わなくとも容易に連射が可能なリボルバー。Y氏は銃器コレクターでもあり、それが反映されているのだろう。
もちろん撃たないという選択肢はなく、内容も実は運否天賦に任せたものではない。【豺狼の宴】主人公は滞在二日目にジェイクと出会い、猟幽會の封印というものについても講釈を受けている。手順を誤れば即死という図式を十分に認識しており、まさにこれがそうなのだと恐怖に足を竦ませるのだ。
ギミックを解く鍵は“君が望む死”という一文。エイイチの参考になるかは甚だ疑問だが、原作主人公の行動を例としてここに記す。
Y氏が争いを好む性格をしているらしいことは、ボイラー室に流れている音声からも明らかだ。死の淵に立とうとも好戦的な荒々しい感情をぶつけるのが正解と思われる。しかし原作主人公は非戦を説いた。
何度も言葉に詰まり、辿々しく声を震わせながら争いなど好まないと自己を主張する。ぎゅっと目を閉じて一度目の引き金を引き、カチンとシリンダーが次の薬室に移る。
過呼吸を発症し、涙すら流して。こんなところで死にたくないと。起伏のない穏やかな日常を、友人や家族と共に老いていく生活を、生涯を振り返る余裕のある最期を。訴えかけるように“望む死”を語り、一つ一つ祈りを込めて引き金を引いていく。
肉体も自我も消失し、悪意のトラップと化したY氏の情へ訴えることが有効に働いたとは考えにくい。だが実際にやりきってのけた。見事に引き金を5回引いてみせた原作主人公は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で天井を仰いだ。全身の震えは未だおさまる気配がない。
これがみっともなく、情けない姿に映るだろうか。違う。これこそが正しく【豺狼の宴】主人公の姿。怪異に染められず悪意に屈さず、一人の人間を貫いた高潔な姿だ。
さて、以上を念頭にエイイチの行動を見てみよう。
「君が望む死……ねぇ」
遊びにしてはお題が堅苦しい。姿勢も苦しくなってきたので、エイイチは両足を行儀悪くもテーブルの上へと乗せる。
「それにはまず、俺の夢を語らなきゃいけない」
壮大な夢を語ることが、望む死とやらにも繋がる。リボルバーを突きつけているというのに平然と、エイイチは宙空に視線を定めて思い描く理想を語る。
「……激しい日々でありたい。例えるなら“死闘”。性も根も尽き果てるような、そんな日々」
意外なことにエイイチの思想は、Y氏とそう遠くないのかもしれない。初弾には実包が込められていたのだが、シリンダーが独りでにカチリと回転して空の薬室が割り当てられる。
「春も、夏も、秋も、冬も。昼夜問わず熱狂に包まれて。想像してみてほしい、上と下がひっくり返る激しい攻防。汗がしたたる肉弾戦を。四人をいっぺんに相手するんだ、俺だって無事じゃ済まないさ」
エイイチは夢想するあまり笑みすら浮かべていた。続きを促しているかのように、リボルバーのシリンダーは沈黙している。
「静かな雨が降る日だって、朝からベッドをぎしぎし軋ませる。蝉がうるさい日中もそう。寒い日に部屋から一歩も出ずシーツをしわだらけにするのなんかも最高だ。ベッドの軋みこそ最高のASMRだと、そう思わないかい?」
シリンダーが左右へ揺れはじめた。実包の入った薬室へとやや傾きつつある。
「生半可な気持ちでハーレムやるんじゃない。俺にはある。館の全員を幸せの絶頂へと導く覚悟がな」
ここでシリンダーに再び実包が装填された。エイイチは気にも止めず、というかそんな事実を知ることもなくとどめの台詞を放つ。
「つまり“腹上死”。これこそ俺が望む死。いや世の男すべてが望む死に様だ」
もうシリンダーが回転することはない。引き金を引けば初撃で実弾が発射され、エイイチの頭は確実に吹き飛ばされる。
エイイチが望むのは狼戻館の住人四名とハーレムを築くこと。まだ最初の一人であるマリとの性交にも至っていないというのに、ここで夢は潰えるのだろうか。
エイイチは空いた手をポケットに突っ込んだ。引っ張り出したサテン生地の白パンツを、何を思ったかリボルバーの銃口へとかぶせる。
マリのパンツが垂れ下がる銃口をこめかみに突きつけるという珍妙な光景。そんな構図を生み出したにも関わらずエイイチは不敵に笑った。
「寝取り間男野郎。おまえなんかにマリちゃんは渡さない」
これはエイイチの皮肉を込めた暗喩である。Y氏の魂――男の象徴とも言えるリボルバー。かぶせたパンツはマリの貞操を表現している。品位の欠片もない行為だが、撃てるものなら撃ってみろ、穿ってみろとY氏を挑発しているのだ。
繰り返すがすでに死亡したY氏には自我も残されていない。ただの悪意の罠と化してなお、シリンダーは激しく回転し始める。まるで動揺しているかの如く、魂が拒絶しているかにも見えた。
Y氏にとってマリは憎むべき敵に他ならず、情欲を抱く対象であるはずがないのだ。しかしエイイチが仄めかした行為には間違いなく
実弾が発射されればエイイチの頭に穴は開くが、パンツにも穴が開くのだ。それほどまでにマリの貞操を欲していたのかと、死に際にエイイチは笑うかもしれない。もしY氏が俯瞰でそんな状況を目の当たりにすれば、屈辱に魂まで汚された気分となるに違いなかった。
逡巡を表すかのように回転するシリンダーを尻目にエイイチは。
カチカチカチカチカチン――と。
一息に引き金を5回引ききった。
ボイラー室は静寂に包まれていた。生きている人間など一人しか存在しないので当然だが、そのエイイチも何も言葉を発しなかった。
往年のエロゲー主人公のように前髪で隠された奥の瞳。エイイチの瞳孔は開ききっていた。
Y氏は戦慄していたのかもしれない。可能なのだろうか、と。たとえ拳銃をモデルガンだと信じ込んでいたとして、頭に当てたリボルバーを躊躇なく引ける人間は何者なのだと。
これはもちろんY氏が思考出来ていたらと仮定しての、単なる想像でしかない。
腰と腕のベルトが外れ、エイイチはテーブルから足を下ろす。リボルバーをテーブルへと転がすと、ボイラー室の奥へ向かう。
サテン生地の白パンツを給湯配管の“還り”と記されたバルブにくくりつけた。振り返るとテーブルも椅子もリボルバーも、ロシアンルーレットの痕跡がそっくり消えていた。
無事に封印が解かれたのだ。
「あばよ。Y氏」
入り口で少しだけ立ち止まったものの、エイイチは振り返ることなくボイラー室を後にした。
マリの私室へ戻ってくると、わがままな次女はベッドですやすやと寝息を立てていた。
悪態の一つでも吐きたくなるエイイチだったが、ベッドへ横向きに包布もかぶらず眠るマリを見下ろし、きっと寝落ちするぎりぎりまで起きて待っていたのだろうと笑みが漏れる。
「んむぅ……」
シーツをかけてやろうとした瞬間、マリに腕を掴まれたエイイチはベッドへ引き込まれてしまった。
「ちょ、ちょっとマリちゃん?」
マリは寝ている。狸寝入りというわけでもなさそうだ。頭を胸に抱きかかえられた状態でエイイチは、マリの柔らかな温もりを堪能する。あきらかにブラジャーをしていない感触があり、仕事を終えたご褒美におっぱいの一つでも揉んでやろうかと下心が芽生える。
けれど良い匂いだった。性欲に睡眠欲が勝るなどあってはならないと思いつつ、精根尽き果てる寸前のエイイチに抗えない睡魔が襲いかかる。
「……マリちゃん……ボイラー室、なんかめちゃくちゃ穴だらけであれもうダメだよ。……業者とか……呼ばないと……」
起きたあとに言うとなんとなく理不尽に怒られそうな予感がしたので、寝耳にそう囁きかけてエイイチは深い眠りへと落ちていった。
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