#5

 熟考ののち、己で出した答えにエイイチは凛々しい顔でうんと頷く。前を見据えた瞳に迷いはない。


「……やっぱり、せめてセンジュちゃんの誤解だけは解いておかなきゃな」


 廊下に全裸でたたずむ男のいったい何をセンジュが誤解しているというのか。センジュはエイイチという人間を正しく理解して距離を置いたのだ。


 それでもエイイチは走る。たとえ過酷でファンタジーな生い立ちを背負っていても。思わず二度見してしまうような特徴的な語尾を持っていても。関わる内にいつの間にか世界の命運を分ける岐路に立たされていたとしても。


「聞いてくれ! 俺は怪しい者じゃない!」


 決して見捨てることなく親身に寄り添う。ベッドでは絶倫と超絶技巧を駆使してヒロイン達に確かな幸せと満足を与え続ける。そんなエロゲー主人公に己を重ね、センジュを追って最奥のドアを勢いよく開け放つ。


「なにか悩み事があるんじゃないか!? あるよね色々! 俺ならその悩みを解決した上で今ならなんと夜のパートナ――……あれ?」


 訪問販売員のセールストークのごとく自己PRを叫ぶエイイチは、飛び込んだ部屋にセンジュの姿が無いことをようやく認識した。

 女っ気の欠片もない質素な細長い部屋である。物の類は一つも置かれておらず、飾り立てられた洋館の内装としては剥き出しの石壁がひどく似つかわしくない。


「なんだ、ここ」


 用途も不明な長方形の部屋には、エイイチが入ってきた扉の対角線上の奥にもう一つ別の扉があった。室内のどこか寒々しい空気が肌に突き刺さる感覚もあり、エイイチは肩をさすりながら足早に部屋を横切る。

 奥の扉を開くとまた廊下に出る。右手は行き止まり、左には浴室がある。なんのことはない、ぐるりと一周してきただけだ。石室は二つの廊下をコの字型に繋ぎ、回廊を形成する役割を担っていた。


 しかしそれなら回廊らしく通路で繋げばいい。わざわざ一室を設ける意味はあるのだろうか、と【豺狼の宴】の主人公ならば長考に陥るところ。バックには不穏なBGMも流れる。


「じゃあ反対側に行ってみるか」


 エイイチは即座に切り替えた。エロゲーにおいて、移動先に攻略対象がいないときほど無駄なことはない。時間ばかりが過ぎていく虚しさ。遅い時間の食事と入浴だったこともあり、すでに日を跨いでいるはずだった。


 エントランスホールを通り抜け、東側の三階廊下へやってきたエイイチ。西側と部屋の並びや景観は変わりない。長時間裸でいるせいか体は冷え切り、さすがのエイイチも何か着たい欲求が高まる。このさい、自慰によるなにかしらの体液くらい付着したままでもいいから服を返してほしかった。


 初心に立ち返りまずアヤメを探そうとしたものの今は深夜だ。大声で呼びかけ寝ている住人を叩き起こしてしまうのはエイイチも気が引ける。つい先ほど叫びながらセンジュを追いかけ回した経緯はあるが、攻略対象が絡む話とはまた別なのだ。


 ノックをすることも憚られたため、とりあえず目についた扉のドアノブをそっと捻ってみる。鍵はかかっていなかったようで、扉にあっけなく隙間が生まれた。

 すると何処からか飛んできた1羽の蝶がエイイチの目線を横切り、扉の中へと消えていく。夢か幻か、蝶を探して部屋を覗き込む。蒼白く発光する蝶は光の帯を引きながら、真っ暗な部屋で幻想的にパタパタと飛び回っていた。


 誘われるようにエイイチが入室した途端、蝶は消え失せた。代わりに月明かりが差し込まれ、ベッド上に腰かける人影を浮かばせる。


「こんばんは」


 薄暗く顔はよく見えないが、人影は少女の声でエイイチに語りかけた。エイイチにはわかる。鈴の鳴るような声とは言い得て妙だ。聞いただけで心をくすぐられるこんな美声の持ち主が、美少女じゃないはずがないと。


「こんばんは。ごめん、広いから迷っちゃって。裸なのはその、風呂上がりだからで。俺はエイイチ」


 未だかつてないしどろもどろな自己紹介も、同じ轍は踏みたくないというエイイチの心境が見て取れる。センジュと遭遇したときのようなミスは犯したくない。さほど状況は違わないにも関わらず、全裸のエイイチがにじり寄ろうとも少女は驚くことも逃げもしなかった。


「今日からここで暮らす先生だって、お姉ちゃんが言ってたから。ちょっとだけ見てたの。聞いてたより歳が近そうでよかったぁ」


 見てたと言うからには、ダイニングかバスルームか何処かで覗いていたのだろうか。ともかくエイイチが想像した通り、実際それ以上の美貌を少女は持っていた。

 大きな瞳にあどけなさは残るが、整った顔のパーツに修正点などない。やや赤みがかったストレートロングの頭髪は、うっかりすると触れてしまいかねない魔性の輝き。ボタンがすべて留められたパジャマ姿に露出はないものの、程よく押し上げられた上衣を見れば肉感的な身体つきをしていることが十分に伝わる。


「えっと。君は、マリちゃん?」


 マリは肯定する代わり、エイイチの目を真っ直ぐに見つめてはにかむように微笑んだ。それだけでエイイチの心臓が跳ねる。


「先生のこと、なんて呼べばいいかな?」

「そ、それはもうエイイチ先生とか。なんならエイイチ先輩でも」

「エーイチくんって呼びたいな」

「いや、俺はエーイチじゃなくてエイ――」

「エーイチくんって呼んでいい?」


 少し手を伸ばせば届きそうな距離まで接近して、マリを見下ろしていたはずのエイイチは静かに膝を折る。月明かりを背景に浮かぶ赤い瞳。その目に魅入られたまま、気づけば正座をしてマリを見上げていた。


「……うん。好きに呼んでいいよ」

「うれしい」


 マリはベッドから下りると、腰を落としてエイイチと目線を合わせる。湯上がりのソープと甘い体臭が混じり、媚薬香となってエイイチの脳を痺れさせる。膝の上に置かれたエイイチの手に、マリがそっと自身の手を重ねた。


「エーイチくん、約束してね」

「約束?」

「なにがあっても、わたしを守るって」


 否定の言葉は浮かんでこなかった。だからエイイチは【豺狼の宴】の主人公とまったく同じ間、同じ言葉で答えを口にする。


「……うん。約束、するよ。なにがあっても俺が絶対に守る」


 マリは心底嬉しそうに頷くと約束の証に小指を絡め合わせ、エイイチに身を寄せていく。あとは柔らかな身体で抱きしめてやれば、自身の傀儡となって動いてくれることをマリは確信していた。

 エイイチが続きの台詞を口にするまでは。


「マリちゃん。結婚しよう」


 裸で両手を広げ、受け入れ態勢バッチリのエイイチを前にして動きを止めるマリ。


「……ちょっと、よく聞こえなくて」

「結婚しよう。マリちゃん」


 要求の順序を入れ替えただけである。しかしエイイチからすれば当然の帰結だった。攻略対象からあきらかな好意を寄せられたのだから、応じる以上は果てにある婚姻へと結びつく。


「もう一度、わたしの目をよく見て。静かに……そう、深呼吸しながら……」

「見てるよ。綺麗だ、吸い込まれそう。マリちゃんいい匂いするし、まじで好きです」

「聞いて? エーイチくん。ね? そういうこと聞いてるんじゃないの。喋らなくていいから」


【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】では、たしかに次女と結婚の約束を交わしながら致すシーンがある。だがそれは六つあるアダルトシーンの最後、個別エンディング間近での行為。出会って何秒で云々のこんな状況でする話ではなかった。


 そもそも最初からチャーム状態で館を練り歩いていたエイイチなのだ。マリのことなど一目見た瞬間から恋に落ちている。そのことにマリも気づいたからこそ逡巡していた。このまま手順通りエイイチを抱きしめることに意味はあるのかと。

 エイイチはエイイチで、胸に飛び込んでくる気配を見せながら中々実行しないマリにもやもやしていた。いっそ男らしく自分からいくべきなのだと認識を改め、お伺いを立てる。


「えと、抱きしめていい?」

「いや……じゃないけど、ううん。やっぱりわたしからいく」

「そ、そうか。わかった」


 並々ならぬ覚悟を決めたマリは、エイイチの首へ腕を回して身をあずけた。胸が押し当たらない程度にしっかり隙間を空けて。少し釈然としないエイイチだったが、耳元のマリの艶めかしい吐息に不満も吹き飛ぶ。


「今日のところは帰って。エーイチくん」

「え!? いやでも、だって」

「あと5秒ね。はい、さーん、にーい、いち……」

「ちょ、カウントダウンやばいって!」

「ぜろ。終わり。出てって」


 マリから突き放され、これまで堂々と晒していた前をなぜか隠しつつのろのろ立ち上がるエイイチ。まさか初日から個別ルートに入れるのかと期待しただけに、お預けを食らった犬のような切ない表情を見せる。


「ごめんね。わたしはここから出られないし、疲れてるの。エーイチくんもゆっくり休んでね」


 エロゲーでの次女も病弱設定だったことを思い出し、それなら仕方ないとエイイチは得意のポジティブシンキングを働かせる。エッチなことはしたくとも、互いに多幸感を得られなければ行為の意味などないのだ。


「それと、これ。学校に通ってたときのだけど、よかったら着て」

「あ、ありがとう! 何から何まで。ちゃんと洗って返すから」

「返さなくていいから。おやすみ、エーイチくん」


 あれよあれよと部屋の外まで押し出され、扉がばたんと閉まってエイイチは締め出された。寝るにしても泊まる部屋などわからなかったが、マリの服をもらえてとても嬉しそうにしていた。さっそく袖を通すと、再び深夜の狼戻館を徘徊する。


 洗濯したエイイチの服を抱えるアヤメが、エントランスホールの階段に座り込むエイイチを発見した頃には午前二時を回っていた。ぱつぱつの運動着を着ていたエイイチは、腕の可動域がほとんどなくハンガーに吊るされているようだった。

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