#3

 壁掛け時計に内蔵された振り子が刻を告げる。

 ポーン、ポーン……と無機質な音は10回打ち鳴らされ、どうりで腹も減るわけだとエイイチは息を吐いた。


 言われた通り適当なチェアに腰かけ窓を見やる。外の夜闇の奥は霧が濃く、ときおり野犬の遠吠えのようなものまで聞こえてくる。エイイチには地質学者見習いという設定がある。明日以降もし設定に基づいて仕事をするなら、日が落ちる前に館へ戻らないと危なそうだ。などと頬杖をついてぼんやりと、他人事みたいな考えを巡らせていた。


 アヤメはまだ食事の準備中。手持ち無沙汰にエイイチは、着ていたパーカーやジーンズのポケットをまさぐってみる。スマートフォンの類はなく、キャンディの包み紙が入っているだけだった。


【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】の冒頭では、電車内で主人公がミント味のキャンディを食べるシーンがある。だがエイイチの手に乗る包み紙はどう見てもソーダ味。なんならラムネ瓶のイラストまではっきり描かれている。


「まあ……些細なことだよな」


 独りごちて、エイイチは握り潰した包み紙をまたポケットへ突っ込んだ。


 実は【豺狼の宴】冒頭にて、森へ迷い込んだ主人公が口内で転がしている飴こそがソーダキャンディなのだ。舞台背景、キャラクター、序盤の進行のみならず細かな小道具まで似通うことに他意はあるのか。真実を知るものは制作者以外にないのだが、両ゲームともにシナリオライターは不明となっている。


 ただ一つ言えることは、パッケージの発売日では【豺狼の宴】が先だった。もしこのホラーゲームが一定の認知を得るほど売れていたなら、エイイチの信奉するエロゲーはパクりの汚名を着せられていたかもしれない。


「……お待たせいたしました」


 食事の乗ったトレイを片手に入室してきたアヤメを振り返り、エイイチは目を輝かせる。まるで主人の帰りを喜ぶ犬が尻尾を振るかの様子に、アヤメは細めた瞳で心底嫌そうにエイイチを見下した。


「初日にアヤメさんの手料理が食べられるなんて、俺うれしいです!」

「そうですか」


 そっけなく相槌を打ち、アヤメはエイイチの前にスープを提供する。品数は一品。どうせテーブルマナーもわからないだろうと、皿にはあらかじめスプーンが差し込まれていた。

 特筆すべきはスープの色味と具材である。油脂の浮いた液体は黒ずんだ紫色をしており、てらてらと照明を反射する。およそ食材に見えない球体や、昆虫の前肢らしき節くれ、ステンドグラスを思わせる翅などが水面で漂う。


「ぉお、わぁ……」


 顔を皿へ寄せ、エイイチはまじまじとスープを観察した。鼻をヒクつかせて匂いを嗅ぎ、しきりに首をひねる。

 エイイチの背後で、アヤメがゆっくりと給仕服のスカートをたくし上げ、ガーターベルトに留められたナイフを抜き取った。


「どうしました? エーイチ様……お召しあがりになられないのですか?」


【豺狼の宴】プレイヤーが最初に直面する選択肢。とはいえシンプルに“食べる”“食べない”の2択である。グロテスクな見た目を敬遠し“食べない”を選んだ場合、背中を鋭利なナイフで心臓ごとつらぬかれゲームオーバーとなる。

 画面が赤く染まりながら、身を刻まれる効果音が何度も挿入される“BAD END1”。この理不尽な死は恐怖感よりもアヤメの多面性、異常性をプレイヤーへ知らしめるため。物語の方向を示すためのチュートリアル的なエンディングだった。


 しかし、ここで死ぬのはゲームキャラクターではなくエイイチなのだ。生存するための選択は“食べる”1択なのだが。


「エーイチ様、やはりあなたは――」

「いっただきまーす!」


 アヤメの予測通りテーブルマナーなど知らないエイイチは皿を片手で持ち上げると、斜めに傾けスプーンでさらうようにして液体を掻き込んでいく。予測を超えたエイイチの豪快な食べっぷりに、アヤメはただ唖然と立ち尽くす。


 本家【豺狼の宴】の主人公は“食べる”を選択した場合、顔をしかめつつようやく一口、二口とスプーンを口へ運ぶ程度。最後にはえずき、涙すら流す。その様子を後方でにやにやと眺めるのが本来のアヤメの役割なのだ。


 だのにエイイチは早くも完食した。空になった皿にスプーンをカランと転がし、汚れた指まで舐めている。おそるおそる歩み寄ったアヤメが信じられない思いでテーブルを覗き込む。


「あ、あの……」

「アヤメさん、おかわり!」


 満面の笑みでおかわりを要求してきたエイイチに驚愕し、アヤメは知らず後ずさった。言葉を失ったアヤメの態度を勘違いし、エイイチが恥ずかしそうに鼻頭をかく。


「あ……もう残ってないですか。すいません無理言って。腹ぺこだったから、つい」

「その……不快に思わなかったのですか……?」


 アヤメが絞り出した疑問は震えていたのだが、エイイチには意味がわからず口をぽかんと開ける。


「スープのことです。色も、材料も、変に思われないのですか」


 エイイチは未だこの洋館をエロゲーの舞台だと信じ切っている。アヤメは攻略対象なのだ。かのエロゲーにおいて攻略対象の言動は肯定以外にありえない。


「そりゃあ色も食感もちょっと独特だったけど……毒が入ってるわけでもなし。せっかくアヤメさんが作ってくれた料理、喜んで食べますよ俺。めちゃくちゃうまかったです!」


 再びアヤメは無言となった。返す言葉を探すも見つけられなかった。瞳にエイイチの笑顔を映し、悟られぬようナイフを後ろ手に隠し続ける。

 エロゲーの攻略法は、ホラーゲーの住人であるアヤメをたしかに揺るがした。純粋なエイイチの謝意に、アヤメの心が上下左右のどちらかへわずかながら振れたのは間違いなかった。


 人形のように精巧かつ無機質な顔のまま、エイイチが目をそらした一瞬の隙を逃さずナイフをガーターベルトへ納めるアヤメ。エイイチが視線を戻すと同時、捲れていたスカートがふわりと落下しストッキング履きの足を覆う。

 エロゲーフィルターを通して見るアヤメの姿は“客の目を盗み自らスカートを摘まみ上げるエッチなメイド”そのものであり、これぞ羞恥プレイ上級者が興じる遊びなのだとエイイチはいたく感銘を受けた。


「アヤメさん、いまパン――」

「すぐにおかわりをお持ちします」

「……え、おかわりあるんですか!?」

「はい。ですがその前に、これを飲んで下さい」


 アヤメの胸もとから取り出された小瓶が、エイイチへと差し出される。栄養ドリンクに似た小瓶にはアヤメの体温が生々しく残り、あらぬ妄想を膨らませたエイイチはその場で一気飲みする。まさか初日の夜からアヤメとファイト一発出来るかもと期待しての躊躇いの無さだった。


「にっっっが……!?」

「ではしばらくお待ち下さい、エーイチ様」


 空になった皿を下げ、アヤメはダイニングから出ていった。表情の変化は読み取れなくとも、敏感な者ならば以前よりも少し足取りが軽く見えたはずだ。

 エイイチはといえば、そんなアヤメの機微を察することもなく、あまり股間が熱くならないなと栄養ドリンクの効能を疑問視している最中である。


 エイイチが飲み干したのはただの解毒薬・・・・・・。媚薬系の効果など望むべくもない。

 スープには毒が盛られていた。原作にはなかったアヤメの行動だった。招かれざる客のエイイチはアヤメの不信を煽り、結果【豺狼の宴】と異なる展開を呼び起こすに至ってしまったのだ。


 つまりあの2択は、どちらを選んでいてもエイイチには死が待っていた。詰んだ状況だったはずなのに、エイイチはまだこうして生きている。

 ただの幸運か、それとも定められた運命か。既存のプレイヤーでさえも今後の予想はつかない。


 狼戻館の夜は更けていく。外では野犬の群れがけたたましく遠吠えの頻度をあげる。血肉を求め徘徊する飢えた牙から、獲物と認識されぬよう立ち回る必要があることをゆめゆめ忘れてはならない。




 ちなみにエイイチが要求したおかわりはさきほどの毒々しい液体スープではなく、バゲットの沈んだ極上のオニオングラタンスープへと成り代わり提供された。

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