#2

 狼戻館ろうれいかん

 選択肢の一つ一つが様々な即死級トラップを引き起こす、知る人ぞ知る高難度ADVノベルホラーゲーム【豺狼さいろうの宴】の舞台となる洋館である。


 館のトラップや霊障は主要キャラクターにも容赦なく牙を剥き、主人公含めて凄惨な死を迎えるバッドエンドの数々は枚挙に暇がないほど多岐にわたる。CGが美麗であるがゆえに悲壮かつグロテスクなキャラクターの最期はプレイヤーに鮮烈なトラウマを刻みつける。


 一部熱狂的なユーザーを生み出したものの売上は振るわず、ひっそりと時代の影に埋もれていった異色作。現在入手は困難を極め、ネットオークションやフリマサイトにもめったに出回ることはなかった。


「はー……やっぱりすげえ……」


 そんな最恐ホラーゲームのことなどつゆ知らず、エイイチは開放感のあるエントランスホールできょろきょろと感心しきっていた。豪華なシャンデリアを見上げ、シューズのソールをふかふかの青絨毯に何度も沈めて子供のように振る舞う。


「やっぱり、とは?」

「いや、こっちの話ですアヤメさん。それより二階に上がってみてもいいですか?」


 エントランスホールの中央で、上階へと伸びる二本の幅広い階段を指差すエイイチ。不躾な願いを口にするエイイチへ、アヤメは不快感を隠そうともせず告げる。


「エーイチ様。いまは夕食のお時間とお伝えしたはず。その場にて皆さまにご紹介するつもりなのですが」

「あ……そうでした、ごめんなさい。ええっとダイニングはこっちですよね!」


 申し訳なさそうに頭をかいて、エイイチはエントランス左手の扉へ向かう。この時点でアヤメはすでに客人をもてなす目をしていなかったのだが、軽率な行動をエイイチが控えることはなかった。憧れの館へ招かれ浮かれていたのだ。散策気分で廊下を飾る壺や絵画を眺めては、発見した原作との違いに頷く。


 館の間取りまで知る不届き者。その背を見つめる瞳が警戒を放っていた。片方の目は未だ黒髪の奥へと秘めながら、アヤメは一つの目で平面的にエイイチを捉え続ける。

 わずかでも脳の処理を軽くするため。少しでも対象の情報を多く得るため。無意識下で行われるプログラムのような合理性はアヤメの冷徹な一面であり、エイイチに向けられた敵意のあらわれなのだ。


 むろん、弛ませっぱなしの頬でにへらにへら笑うエイイチがアヤメの思惑に気づくことはなかった。




 軽くノックをしたのち、アヤメが音を立てずに扉を開く。


「失礼いたします」


 アヤメに促され、入室したエイイチはダイニングを見渡した。淡い間接照明。天然木を使用した迫力ある一枚板のテーブルにはハイブランドの食器が並ぶ。高級フレンチのコースを思わせる料理が皿に盛られ、上質な無垢材のチェアや豪勢な調度品等々たくさんの見るべき所があった。


 にも関わらずエイイチの視線は一点、いや二点。席次でもっとも遠い位置に座る黒衣の女性と、テーブルの中央付近に陣取るやや粗雑な印象の金髪少女に吸い寄せられる。

 一見では喪服にも似た刺繍とスパンコールが施されたドレス。女性は手にするナイフとフォークを静かに置くと、エイイチの目線を遮断するかのようにフェイスヴェールで口元を隠してしまう。しかし、上唇のすぐ左隣でエロいほくろが小さくも存在を主張していたことをエイイチは見逃さなかった。


「アヤメさん。そちらの男性は?」

「例の、ご依頼を引き受けていただいた――」

「はい! 先生です! バリバリ働くエイイチです! よろしくお願いしまーす!」


 腰を直角90度に折り曲げ、エイイチは深々とお辞儀した。ダイニングは静まり返っていた。食事をやめて冷めた目を向ける二人の女性も、今にも射殺さんばかりの瞳で見下ろすアヤメのことも文字通りエイイチの視界には入らない。


 あまりに冷え冷えとした空気だけは肌で感じとり、名字も名乗るべきだったろうかと的外れな反省をエイイチが抱いた直後。


「はじめまして、ようこそおいで下さいました。ですが、クロユリ先生がお越しになるとばかり。……若い男性と接する機会もあまりありませんので、少々驚いてしまいました。エーイチさん、とお呼びしてもよろしいのかしら」


 黒衣の女性の柔和な表情とゆったりとした語り。室内の緊張もいくぶんか和らぎ、エイイチも安堵の息を吐く。そしてさっそく悪い癖を披露する。


「……あの。エーイチじゃなくて、エイ――」

「エーイチ様」

「はい! 好きに呼んでいただいてかまいません!」


 アヤメのドスの利いた低い声を受け、背を伸ばすエイイチ。黒衣の女性は手を口元にクスクス笑うと、ゆっくり席を立つ。


「わたくしは“ツキハ”と申します。一応はこの“待雪まつゆき”の当主となるのですが、若輩でごめんなさいね。事情はクロユリ先生からうかがっているのでしょう?」


 先ほどもツキハの口から出た名だが、当然エイイチに心当たりはない。しかし件のエロゲーで主人公は“地質学者見習い”である。ならば教えを請う師匠や先生のような立場の人物なのだろうと推察する。


「はい、ええっとクロユリ先生はその、ぎっくり腰やっちゃって……それで代わりに俺が」

「まあ。まだお若いのに大変ね。……そういうことでしたら、どうぞエーイチさん。我が家のようにくつろいで下さいな。“マリ”もきっと喜びます」


 話を終えるとツキハは、一礼して優雅にエイイチの隣を通り抜ける。背に流れる長い黒髪。品のいい香りに鼻腔をくすぐられ、エイイチは熱に浮かされたかのように呆然とツキハを見送る。


「アヤメさん、少し気分が優れないの。わたくしは先に自室へ戻らせてもらうわね。あとのことは“センジュ”に任せようかしら」

「は? ざけんな。めんどい。あたしも部屋に帰る」


 粗雑な金髪少女はセンジュという名前らしい。ロリポップキャンディが似合いそうな幼さの残るサイドアップテール。健康的なショートパンツスタイルはこの淫靡な館にそぐわない格好だが、太ももへ食い込むニーソックスはそれだけで素晴らしい。エイイチの感想はそんなところである。

 けれど結局エイイチとは一言も交わさないまま、センジュもツキハに続いてダイニングを出ていってしまった。


「……どうなさいますか」


 ぽつんと残されるエイイチとアヤメ。やや寂しい状況へと展開したものの、エイイチは悲観していなかった。

 はじめから好感度マックスのエロゲーなど攻略のしがいがない。好感度ゼロ、もしくはマイナスに振り切った状態からエッチまで持っていくことにカタルシスがあるのだ。あとめちゃくちゃ興奮する。

 と、脳内で持論を展開したエイイチはさらに現状を整理していく。


「エーイチ様……?」


 攻略対象は4人。アヤメ同様、名前は原作と異なる。しかし設定は原作に準拠している。ならばツキハ、センジュ、そして名前の出たマリは三姉妹のはずだった。これにメイドのアヤメを足して4人。攻略対象、つまりエッチが出来る4人。めちゃくちゃ興奮する。


「エーイチ様」


 エイイチが考えているのは攻略の順番である。マリとはまだ顔を合わせていないが、ツキハもセンジュも魅力に溢れていた。どちらかと言えば大人びたツキハがにゃんにゃん甘えるところを見てみたい気もするのだ――と、そこでエイイチはふとアヤメの存在を思い出し、ハッと振り向く。


 アヤメは無表情で、テーブルナイフをエイイチの脇腹へ突きつけるようにして立っていた。


「危ねえ!?」

「エーイチ様、お食事はどうなさいますか?」


 反射的に飛びのくエーイチを尻目に、アヤメはあらためて問う代わりとして顎をテーブルへ向けしゃくってみせた。もはや客扱いでもなければ敵意ですらない。完全に格下へみせる侮蔑の態度だ。

 しかし言葉遣いだけは丁寧なので、エイイチにその機微は伝わらない。


「あ、じゃあいただきます。なんならそこの残り物でもぜんぜん――」

「そういうわけにはまいりません。たいしたものは用意できませんが、すぐに準備しますのでそこら辺に座って適当にお待ちください」


 エイイチに対して唯一まともだった言葉遣いでさえも崩れてきた。エイイチの所作や視線、とくに女性を前にした際の緩みきった顔。アヤメはこれらを踏まえて、エイイチという人間の底の浅さを垣間見た。

 この狼戻館に招くような男ではないと判断し、苛立っていた。先ほどまではつとめて冷静にエイイチを見定めようとしていたアヤメだが、裏腹に激情家な面も持ち合わせているのだ。


 そんなアヤメの一端をエイイチも知ることになる。【豺狼の宴】初見プレイヤーの多くが踏んできたバッドエンド直行の選択肢が、間もなくエイイチの命運を秤にかける。

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