第3話 という訳で、美味しいご飯を
結論。
僕に必要な物は美味しいご飯。
いくらまだ若い独身男性とはいえ、人生経験も多分同年代より薄い自覚がある、僕はご飯の経験値があまりに乏しい人間だ。
逆に言えば、コロッケ一つで時代旅行のトリガーを引ける、とってもお得でお買い得な男ではあるわけだけど。
それでも、今後の計画(野望)に必要な事だから。
美味しいご飯を食べる事が、今僕がすべき事の全て。
とは言うもののなぁ。
新しい部屋に来たものの、台所にあるものはフライパンと片手鍋一つ。100均で買った包丁と菜箸だけ。
冷蔵庫の中には、んーと、卵とベーコンと、冷凍のカット野菜一袋。あ、あと水で流して晒すだけで食べられる蕎麦。
うん、カップ麺すら無いぞ。
引越しに備えて、片付けられる物は、片っ端から片しちゃったからなぁ。駅前まで行けばそれなりに主に飲み屋が充実してたけど、国道を越えないと、スーパーとかお惣菜屋とか見当たらなかった。コンビニすら駅前まで行か必ずないと。それだけ住宅地に特化しているとでも言うのかな。
まぁ、特に今は行きたい所(時代)があるわけで無いけれど。それでも新しい部屋の最初の晩だし、ちょっと良いご飯が食べたいなぁ。
スマホで出前でも頼もうかしら。
僕は、いくら覗いて見たところで
中身が変わる事も増える事のない冷蔵庫を、なんとはなしにまた開けてみる。
おや、冷凍庫の奥に何か転がってるな。適当に箱詰めして、適当にバラしたから、気がつながったのかな?
って、いやいや、おかしいでしょ。昔のハッシュドビーフのCMじゃあるまいし、あらこんな所に鯨のベーコンがって、買った覚えも、貰った覚えも、今まで見た事もないぞ。
というか、何故僕はこのタッパーの中身が鯨のベーコンとわかるんだ。鯨なんて物、高くて食べれないぞ。昔、会社のレクで南房総まで行った時に、竜田揚げを食べた事があるだけだ。その時も興味深く記憶に残っているのは、さんが焼きと鮑の肝焼きだったなぁ。鮑の肝はともかく、大葉と鯵のタタキがあれば簡単に出来た筈。
…鯵あるよ。あったよ。しかも生鯵。
さっきまでは、この棚にはマーガリンとキムコしかなかった筈なのに。何この冷蔵庫。
引越し屋からさっき届いたばかりなのに。
誰よ。数瞬前には無かったヨーグルトなんか入れた人は?
あれあれ、野菜室に大葉、キャベツ、人参、白菜が入ってる。
…まぁ良いか。
僕はほら、時間旅行なんてあり得ない能力を持って生まれた、自分でもよくわからない存在だから、そんな変な事もあるよね。いくらでも。きっと。
今までそんな事、一度たりとてなかったけど。
…それに、鯨のベーコン以外は食べちゃっても、直ぐに買い足せるし。きちんとした事考えるのはやめよう。うむ。思考停止、思考停止。
俎は割と結構な物があるんだよね。取引先のお宅に伺った時に、丁度敷地内の別棟(お子さん夫婦の別宅と聞いたね)の建前をやっていて、さすがにお餅や小銭を貰う集団に混じる訳にもいかないので、遠巻きに拍手を送っていたら、大工さんが檜の端材で作ってくれた物だ。檜の端材って何?どんだけ立派な家建ててんの?と感心したもんだよ。
それまで使って居た白いプラ俎とは、100均包丁の切れ味がダンチで驚いた驚いた。
という訳で、檜の俎を狭い調理台にどばんと置いて(俎が少し重たい)、まずはぜいご(尻尾の方の硬い皮)を削ぎ落とします。
次に包丁の背を立てて、鱗をざりざり落として、頭と尻尾を切り落とします。
腹に包丁を入れ、血合を残さず内臓を綺麗に抜きとりましょう。
最後に頭の方から背骨に沿って包丁を入れ、左右剥ぎ取れば、簡単三枚おろしの完成です。
で、今回はこの肉を叩きます。
叩け!叩け!叩け!
某ボクシング漫画の主題歌みたいに鯵がぐちゃぐちゃになるまで叩いたら、大葉の上に乗せ、調理酒で溶いた味噌で蓋をします(被せます)。
これを魚焼き用の網で、焦げつかない様にじっくりと焼き上げれば完成!
…味噌も調理酒もどっから出て来たのかな?
味噌はインスタント味噌汁しか我が家にはなかったはずだし、お酒類は殆ど飲まないから、備蓄などなかった筈だけどなぁ。
まぁ良いか。
って言うか、シンクの下開けたら、森伊蔵のサラが入ってるし。ん?何故今シンクの下なんか開けた?
…なんか、なんかまぁ良いか。良い事にする。
思ったよりも「お手軽さんが焼き」が美味しいので、ご飯が食べたくなった。
お米。買っとけば良かったなぁ。と米櫃を覗く。
って米櫃なんか、この部屋になかったし。
あぁ、お米が入ってる。キラキラ白く輝く、美味しそうなお米が、こっちの櫃には少し茶色い玄米が入ってるよぉ。
そりゃ炊くわな。うわっ!なんだこの米。
水に浸す時間も勿体無く、適当に研いで蛇口の水道水で炊いただけなのに、すんげえ美味え。
あ、あれだ。茨城で農家さんでご馳走になった自主流通米を、その家で漬けたお新香だけで、今まで味わった事ない感動で、美味しく頂いた事があったけど、あれだなぁ。
野菜室に、これも何故か茗荷が転がっていたので、出汁の素(そんなん買った事ないし、使った事ない)を入れた味噌汁をちゃっちゃと作る。
さんが焼きの定食、晩酌に森伊蔵の晩御飯出来上がり。
ヤバいなあ。大葉とか茗荷とか、野菜が美味しいよう。鯵も味噌もご飯も、みんな美味しいよう。
芋焼酎は多分初めて飲んだけど、僅かに残る芋の風味があと引くなあ。
★ ★ ★
「この焼酎は、初めて飲むが随分と口当たりの軽い味じゃのう。」
でしょうね。
思わず飲み過ぎちゃうのが、良い焼酎なんですよ。しかも、酔い醒めが良く、翌日に残らない。
「ふーむ。普段は白酒やどぶろくばかりだったからのう。」
さんが焼きも美味く出来たなぁ。こんどはなめろうを作ろうかな。秋刀魚や鰯も混ぜてね。
「うむ。楽しみにしとるぞ。」
そうですか。
「………」
………
「………」
………
「何故驚かん?」
どれに驚けとおっしゃいますかね。
目の前に突如現れた、
アルビノイタチが喋った事?
アルビノイタチが酒盛りをしている事?
アルビノイタチが胡座をかいている事?
「一応、フェレットのつもりなんじゃが?」
屁ェ放いたら、問答無用で追い出しますよ。
「姿を借りているだけで、習性までは真似しとらんから安心せい。」
なるほど。
「…呆れる程、冷静じゃの。何か儂に聞きたい事ないんかの?」
んじゃ。この食材、いくらすんの?無職には、些か重たい高級品があるから。鯨とか森伊蔵とか。
「そこ?そこなの?ほれ、さっきから不思議な事満載なのに、必要経費が気になるのかい?」
そりゃ、僕は時折領収書の管理に追われていた、元経理課の会社員でしたから。
推理!推理ターイム!
多分、あなたは母方の御先祖の誰か。
それか。
神様とか仏様とか。どっちにしても、超常現象的な何か。
「当たっているけれども。当たっているけれども。まずは色々おかしな事があるでしょうが!」
そんな事言うなら、死ぬ前に息子に変な事言った母親も変だし。大体、19歳からこっち。変じゃない事なんか、なかなか体験してないし。さっき、僕の食経験が浅薄な事を嘆いたけど、碌でもない超常現象を体験し続けているから、今更フェレットが喋ったくらいで誰が驚こうか。いやいない。
あと、あなた。本当に御先祖さんなの?もしくは神様?
「残念ながら、神ではないの。浅葱家初代、浅葱国麻呂じゃ。」
あぁ。浅葱さんってのは、母の旧姓だったっけ。
「“旅人“というのは、我が一族代々のうち数代おきに突然変異的に覚醒する能力でな。儂はその管理・指導の為に、身体は終わりかけじゃが、意識だけなら自由に動く事を許可されとるんじゃよ。」
誰に?
それに意識だけって、身体有るじゃん。
「それはな、お前のせいじゃて、19代目。」
僕、19代目なの?というか、苗字は父方なんだけど。
「色々紆余曲折はあったがの。正確に言えばあと他にも12~3代は当主頭目がいたんじゃけど、ただいただけ。力も受け継がず、ただ血を受け継いだだけ。今で言う奈良時代末期から平安時代初期が、儂が生きた時代じゃが。濃淡はあるにせよ、力の発露を見たのは、奈良時代からこっち。お前さんを含めて19人しか居らなんだ。」
「それもじゃ。お主の力は強い。ここまで力を自在に操れる人間は、儂の他には歴代いなかった。儂が小動物の姿を借りているとはいえ、実体化出来ているのは、お主の力が、儂の芯を触発として儂の力を増幅させている。だからじゃ。だから、食材を取り寄せる事も出来た。」
ふーん。
「感動が薄い子じゃのう。」
一つ良いかな?
「なんじゃ?」
フェレットは可愛いけど、年寄り口調で喋られると、なんかもの凄く残念なので、なんとかして下さい。
「そうかの。ま、お主の側ならば、それも可能じゃろ。」
あ、そうそう早急に確認する事がもう一つ。
「なんじゃえ?」
この食材は、初代御先祖が用意したと言って良いのね。
「うむ。美味しゅうございましたな。」
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