夏の果て

第13話

 次の日、起きたのは昼過ぎで少し前に美咲さんから面会ができるようになったと連絡をもらい私は急いで病院に向かった。


 受付の人に場所を聞き、私はエレベーターに乗る。エレベーターが着くまでの時間さえ、じっとできずに階段で行こうかと悩むくらい急いでいた。蒼空の病室は個室みたいだった。私はドアの隣にあるネームプレートを見上げた。そこには矢野蒼空様と書かれている。


 ドアに伸ばした手をぴたりと止めた。どうしよう、今になって緊張してきた。中に入ってどんな顔をして会えば。いきなり頭が冷静になり私はドアの前で固まった。けれど、蒼空に聞かなきゃいけないことがある。


 私は深呼吸をし覚悟を決めるとそっとドアを開けた。


 あっ、蒼空だ。


 蒼空はベットを起こし、窓の外を眺めていた。美咲さんから無事だとは聞いたけどやはり自分の目で確認するまでは気が緩まらなかった。その姿を見て安心していると、


「早く入ってこいよ」


 部屋に入らずに眺めていた私に蒼空は気づいてたように窓から視線を移し、そう言った。


「お、お邪魔します」


 部屋に入るとそっと視線を蒼空に向ける。蒼空はドラマとかでよく見る青い服に手には点滴が繋げられていた。


 私は近くに置いてある丸い椅子に腰をかけた。言いたいことはたくさんあった。本当なら無事でよかったと抱きつきたい。


 ふたりの間になんともいえない空気が流れる。


「ありがとな」


 急にお礼を言われ、私は「えっ」と短く言った。


「母さんから聞いた。お前が救急車を呼んでくれたんだろ?俺、結構やばかったらしくてさ」


 そんな蒼空はなんでもなさそうに笑って話した。私は笑えずにその話を聞いていると蒼空は、はぁと息を吐いた。


「どこまで聞いたんだ。母さんから話聞いたんだろ」


 そう言われ、私は一瞬口を噤んだが私は顔を上げた。


「長くは生きれないかもって、でもこれ以上は私からは言えないって言われた」


 なんら変わらない朝に昨日のことはすべて夢だったんじゃないかと、一瞬期待した。けれど、昨日のことは現実でそれは一日たった今でも信じられなかった。私は昨日、美咲さんから伝えられたことを蒼空に話した。


「ねぇ、お願い蒼空。どういうことなのか教えて」


 美咲さんからその話を聞いたとき、ずっと一緒にいたのになにも知らなかったことが悲しかった。深く踏み込んではいけないのかもしれない。そう思ったけど、知りたかった。たとえそれがどんな話でも、


 私は真剣に蒼空の目を見つめる。


 すると蒼空は「隠せねぇか」と独り言のように呟いた。


「余命宣告された。すぐってわけじゃねえけど、だいたいあと三から五年だと思って欲しいって」


 蒼空が口を開いた瞬間、太陽に雲が重なりあたりが薄暗くなった気がした。


 覚悟していたはずだった。でも想像していたよりも衝撃が強く、私は息が止まってしまうんじゃと思った。指先から一気に冷えて、私から温度を奪っていく。


「神経系の病気でだんだん体が動かなくなるんだって」


「余命宣告っていつから」


 私は混乱する頭を必死に回転させ、口を開いた。


「お前と屋上で会った日の前日」


 私がそう尋ねると蒼空は外を眺めながらそう言った。私と屋上で会った日ってことは最初から蒼空は余命宣告を受けていた状態だったってこと?


「難病らしくて、今は治療法がないから手術もできない。せいぜい進行を遅らすぐらいしかできないんだ」


「それって」


 手術できないって、死ぬのを待つしかないの?こんな絶望的な話なのに蒼空はなんでもないように笑っていた。その姿が私にはどうしても切なくて仕方がなかった。


「俺、余命宣告されたとき頭真っ白になって、なにも考えられなかった。でもお前だけが頭の中に浮かんだんだ」


 私は蒼空の話に黙って耳を傾ける。点滴の液が落ちるたんびに私は息を飲む。


「あの日なんとなく屋上に行ったんだ。そしたら、お前がいた。なにをしようとしているのかすぐにわかった。そしたら考える間もなくとめてた」


 私は蒼空のいうあの日を思い出していた。


「残りの時間をお前といたかったから。ははっ、結局は俺のわがままだったんだよ」


 そんなことない。そう言おうとしたが、そんなこと言ったことろできっと蒼空は納得しないのだろう。


「残りの生活を満喫して、死ぬときに後悔がないようにって。なのに、日に日にお前が好きだってことだけがわかって。死にたくなんてないって思ったんだ」


 蒼空は自分の拳を見つめた。「そんなの無理なのにな」そう悔しそうに眉を寄せる蒼空にどう声をかけたらいいのかわらなかった。


「これから俺は体が動かなくなって、ひとりじゃきっと、なんにもできなくなる。お前のためになにもしてやれない」


「なのに」蒼空はそう言葉を続けた。


「俺、お前から離れられなくて」


 蒼空は自分で苦笑しながら話した。


「お前が言ったとおりもっと早く離れるべきだった。でもまた明日、次こそは言うからまた明日、明日こそはって」


 蒼空は私の隣で笑っていたとき、ずっとそんなことを思っていたのだろうか。蒼空の気持ちを考えると胸が痛くなった。


「でも俺、お前に好きだって言われたとき、今なら死んでもいいって本気で思ったんだ」


 蒼空は切なそうに笑った。


 あの星空のした蒼空がそう言っていたのを思い出す。あの一言でそんなに喜んでくれるのなら、もっと早くたくさん言ってあげたかった。もっと話を聞いてあげていたら、昔の後悔に胸が締まった。


「でも思ったんだ。いつか俺がお前の重りになるんじゃねぇか?俺は死んでもお前は生きていかなきゃいけない。今もこうやってお前の時間を奪ってんのかなって」


「そんなことっ」


 私がそう口を開くと蒼空は下に向けていた視線を私に向け、優しく微笑んだ。


「俺は美月が好きだ。でも、だからこれ以上一緒にいないほうがいい」


 蒼空の言葉にひとつひとつに胸が締め付けられる。


「俺が結衣と付き合ったら、さすがに嫌われるかなって思って、軽い気持ちでいいよって言ったんだ。結衣も巻き込んで俺なにやってんだろうな」


 たしかに一緒にいるほど、好きになるほど、きっと別れるときが辛くなる。だったらお互いのことを思って、別れてしまったほうがいいのかもしれない。


「だからお前は俺なんかよりも」


「蒼空よりいい人なんていないよ」


 私は話を重ねるように話し出した。


「私、昨日ね。もしこのまま蒼空がって考えてた。蒼空がいなくなるなんて考えられなかった。蒼空がいない明日を生きたいとは思わなかった」


 そう蒼空が隣にいることがいつの間にか当たり前になっていたから。


「さっき蒼空は自分のわがままだって言ったけど、蒼空がいてくれたから私は生きたいって思うようになったんだよ」


 蒼空があの日、声をかけてくれたから。


「私も死のうとした瞬間に蒼空の顔が浮かんだんだ。心残りなんてないって思ってたのに」


 そうだ。あの日、私は蒼空に止めて欲しかったんだ。自分でも今わかった。蒼空なら、もしかしたらなんて思ったんだ。死ぬなら家でもどこでもよかった。でも学校を選んだのは唯一、私と蒼空が会える場所だったから。


「蒼空は生きる意味がないのなら探してくれるって言ったけど、もうわかったんだ。蒼空が私にしてくれたように私は蒼空のために生きたい」


 私は蒼空を見つめる。けれど、蒼空は口を噤んだまま私から視線を逸らした。どうしたらわかってくれるんだろう。どうしたら伝わるんだろう。


「こんなに好きなのに、別れろだなんて無理だよ。私の知らないところで蒼空がいなくなっちゃうほうがつらい。だから最後まで隣にいさせてよ」


たとえいつか別れるときが来るとしても隣にいるのは私がいい。なにもできないなんて嫌だ。


「お見舞いだって毎日来るし、なんでもするから......だからお願い、別れようだなんて言わないで、私のことが好きだっていうなら側にいてよ」


 途切れ途切れになる言葉を繋いで、今にも溢れだしてしまいそうな熱いものを奥歯でグッと堪えた。


 必死の思いでそう言うと蒼空はやっと私の目を見てくれた。その顔は悲しそうにそしてつらそうに歪んでいて、蒼空は私の顔にそっと触れると私を抱き寄せた。


「もう言わないからそんな顔するな」


 背中にある蒼空の腕がぎゅっと強くなる。


「本当に俺でいいのか」


「蒼空がいいんだよ」


 少し震えているその声に私はしっかり聞こえるように言った。


「体が動かなくなったら、どこにも行けないんだぞ」


「いいよ。蒼空がいればどこでも」


「あと余命一年しかないし」


「うん。ずっと一緒にいる」


 背中に回された腕を私もぎゅっと握り返す。蒼空がどこかに行ってしまわないように。


 蒼空と一緒にいる時間が限られているなら、私はその残り少ない時間ずっと蒼空の隣にいる。


 蒼空が私にたくさんのものを与えてくれたように私も少しずつ返していこう。

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