第12話
あんなに気合いを入れておいて、いまだに私は蒼空に話しかけられずにいた。
「まじか〜」
なんだか賑やかな廊下に私は視線を向ける。すると、私は思わず固まってしまった。
「朝から手繋いで登校かよ」
そう周りが茶化す中、蒼空は私の知らない女の子と手を繋いで廊下を歩いてきた。隣の女の子は照れながらも嬉しそうに笑っている。
いつもとなんら変わらない蒼空に私は心が痛んだ。蒼空と私はもう別れていたことを再認識した。
「美月ちゃーん次の授業、美術だからそろそろ教室移動しよ」
「あー、そっか。ちょっと待って」
すっかり忘れていた私に葵が声をかける。私は急いで教科書を机からあさり、荷物を持って教室を出た。
「美術の授業めんどくせぇ」
「絵描くだけだから楽だろ」
その中にいる蒼空に視線を向けると、蒼空とばっちり目があった。すると、蒼空はなんにもなかったかのようにすぐに視線を私から外す。笑いながら私の横を通り過ぎた。
本当に今までのことがなかったかのように蒼空は私を気にもとめなかった。少し前までの私たちみたいだった。
私が都合よく思っていただけで蒼空にとっては面白かった本当にただそれだけだったのか。
「ねぇー美月ちゃん、話聞いてる?」
「あっ、うん、聞いてるよ」
「ほんとかなぁ〜」
葵とそんな会話をしながら私たちは美術室に辿り着いた。葵は蒼空と私が別れたことをまだ知らない。それにあの場にいなかった葵はさっきのこともまだ知らないようだ。
「はーい、じゃあ今日は前回書いた『大切な思い出』の作品をみんなで鑑賞したいと思います」
そう言いながら先生は鑑賞のプリントを各列に配り始める。壁に張り出された作品は名前が見えないようにしてあり、代わりに番号が右下に書いてあった。
今は授業なんてどうでもよかった。蒼空はあの子のことが好きなのだろうか。まだ蒼空となにも話し合っていないのに。
「ついでに一学期までに書いた作品を返却します」
私は返された自分の絵をすぐに裏向きに隠した。あまり絵を描くのは得意じゃないから鑑賞は正直気が乗らない。
「それではみなさん鑑賞を始めてください」
穏やかにそう言って手を合わせる先生の声を合図にみんな席を立ち上がった。
私は近くの絵から鑑賞を始める。周りでは友達同士で感想を書き合う子が多かった。ふらふらとみんなの作品を眺めていると私は足を止めた。
うわぁ、これ私の絵だ。上手いわけでも下手なわけでもなく、どちらにも振り切れていない感じが自分的に恥ずかしかった。
私が描いた絵は蒼空と七夕祭りに行ったときに見た夜空に咲く花火だった。あのときのような花火は再現できなかったけれど、私なりに頑張って書いた作品だ。
「中野さん、絵の捉え方が少し変わりましたよね」
ひとりで自分の絵を見つめていた私にうしろから先生が声をかけてきた。
「そうですか?あまり自分では意識したつもりはなかったんですけど」
「なんというか、色使いが鮮やかになったといいますか。本当に大切なんだなと、感情が伝わってきました」
先生は嬉しそうに私の絵を見て微笑んだ。確かに今までとは違って、ちゃんとテーマに沿ったものがかけた感じはあった。
「ほら、昔から中野さんってお花をよく書いていたでしょ。でも今回はお花はお花でも花火だったから珍しいなと思って」
私はそういえばと思って、先程返却された絵を思い出した。風景画を書く授業では決まって、花を書いていた。でも特別好きだったわけでもない。それにどの色も単純に一色で塗られていたのに対して、今回は白を混ぜたりと、先生がいったとおりいろんな色で鮮やかに彩られていた。
しばらく自分の絵を眺めているとわかったことがあった。それは今まで花を描いていたのはそれしか私には見えていなかったからだと。下を向いて生活する私には地面から咲いている花しか目に映っていなかったんだ。
先生は捉え方が変わったって言ったけど、変わったのは見え方だった。
ひとりで見る景色はただずんでいるのに蒼空と見る景色はいつも色鮮やかに映って見える。人というのはなにを見るかではなく、誰と見るかが大切なのだと私は思った。
再び歩き出した私は少ししてまた足を止めていた。名前が書いてなくてもすぐにわかった。これは蒼空が描いた絵なのだと。なぜならそれは私も見たことのあるひまわりが描かれていたからだ。
細かく丁寧に書かれたひまわりにただ周りは「綺麗」だと言っていた。でもその絵は私を切なく感じさせた。どうしてだが、そんなフィルターでも貼られているように私にはそう見えた。
蒼空の絵は帰り際に見た夕暮れに照らされたひまわりだった。私がもし同じひまわりを描くのなら、きっと、まだ太陽の明るいきらきらと輝いている瞬間を選ぶだろう。
蒼空が悲しそうに見えたと、ななちゃんが言っていたことを思い出した。蒼空にはこんなふうにひまわりが映っていたんだ。
「キーンコーンカーンコーン」
私がまだ鑑賞の紙を書き上げるより先に終わりを告げるチャイムが教室中に響き渡った。挨拶をすると私は最後まで書くことを諦め、途中の紙を提出した。
あれから数日がたってしまい私はなにもできないままでいた。
「雨か」
私は独り言のように呟いた。少し前から梅雨に突入し、薄暗い空から雨が降り注いでいた。天気予報を見る習慣があまりない私は傘を忘れて、少しでも雨が弱くなるのを下駄箱で待っていた。土の独特な匂いが鼻をくすぐる。
みんな帰ってしまい、雨の音だけが私を包み込んだ。結局、蒼空と話せなかったな。そんなことを思いながら私は弱まることのない雨を見つめていた。
もうこれは走るしかないかな。私は少しでも濡れるのを防ぐためにカバンを頭に載せようと肩から下ろした。
「あっ、ごめんなさい」
持ち上げようとしたカバンが誰かに当たってしまい私は咄嗟に謝り振り返る。すると、目の前にいた蒼空に心臓がどくんと大きく音をたてるのがわかった。
「これ使えよ」
私の状況を理解したのか、少し悩んだように見えた蒼空は簡潔に傘を差し出してそう言った。
「えっ、でも蒼空が」
「俺は大丈夫だから」
「蒼空、一緒にかえ」
「蒼空くーん」
話をするチャンスだと勇気を出して言った言葉はうしろから駆け寄ってきたあの女の子にかき消されてしまった。
「待たせちゃってごめんね。あれ、蒼空くん傘ないの?じゃあ、結衣の傘で一緒に帰ろ」
「ありがと。そういうことなら遠慮なく」
女の子は嬉しそうに傘をさすと、蒼空が傘をさりげなく自分で持った。あの子、結衣ちゃんっていうんだ。
「蒼空、待って」
走って呼び止めたいのに、その光景に私の体は固まってしまった。
「あれ、今あの子なんか言ってなかった?」
「俺には聞こえなかったけど」
「気のせいか」と楽しそうに話すふたりに私は拳を強く握った。蒼空の隣にいるのは私のはずだったのに。
私が蒼空じゃないとダメでも蒼空は私以外の選択肢がたくさんあるんだ。これ以上は蒼空にとって私は迷惑かな。
そんなことを考えながらも蒼空が一度も私を見てくれなかったことがなによりも悲しくなった。なにがこんなにも切実にさせるのだろうか。
私は結局、蒼空から渡された傘を使うことなく、ただ真っ直ぐに降り注ぐ雨に体を濡らしながら歩いた。
どうしても、さっきまでの光景が頭の中に張り付いて、消えなかった。苦しいのに、いっそ忘れてしまいたいのに、そう思うほど増している気がした。
しばらく立ち止まっているといきなり雨に当たらなくなった。私はもしかしてという期待をして、うしろを振り返る。
「先輩は蒼空くんのなんですか」
目の前には泣きそうな顔で眉を寄せている結衣ちゃんがたっていた。
「蒼空と...付き合ってる子だよね。どうしたの?」
質問の意味がよくわからずに驚きながらも私は首を傾げた。
「もう付き合ってないです」
「えっ?」
「いまさっき別れてきました」
さっきまでって、一緒に帰ってたのに。私の頭はより混乱して、はてなでいっぱいになった。
「蒼空くん、すごく優しくしてくれるし、私は大好きです。でも蒼空くんは私のこと見てないんです。いつもぼーとしていて、視線を辿るといつも先輩がいるんです」
結衣ちゃんは悔しそうにこぼれてしまいそうな涙を堪えていた。
「蒼空くんに私のこと好きかって聞いたら、ちゃんと好きだよって言ったんです。告白したときに好きな人がいるって言われて、それでもいいからと言ったのは私だけど」
だけど、と結衣ちゃんは繰り返して言った。
「蒼空くんは先輩が好きなんですよ。それに先輩も蒼空くんが好きなんでしょ」
「えっ、どうして」
「いつもあんなに見られてたらわかりますよ。よく蒼空先輩と目合ってますよね。視線ってお互いに見てないと合わないんですよ」
私は結衣ちゃんの話を聞きながらよくわからないでいた。好きな人がいるってそれは誰のことを言っているの?蒼空はどうして結衣ちゃんと付き合ったの?
「先輩が行かないなら私が今からもう一度蒼空くん追いかけますよ」
結衣ちゃんは強い口調でそう言った。この子は強いな。このまま付き合うこともできたのに蒼空のことがほんとうに好きなんだなと思った。
「ごめんね。私も蒼空が好きだから」
私がそう言うと結衣ちゃんは笑っていた。笑うと同時に目からは涙が流れていた。
「ありがとう」
私はそう言って、蒼空の家に向かった。この公園を通った方が早いよね。そう思った私は公園の中に入る。
そのとき、私は驚きで足を止めた。
「...蒼空?」
私は自分で認識するようにそう呟いていた。
「蒼空ッ!」
そして急いで蒼空の元に駆け寄る。
「ねぇッ、蒼空!しっかりして!」
倒れ込んでいる蒼空に私は急いで声をかける。どうしよう、返事がない。
なにがどうなっているのかわからない。とにかく救急車を呼ばなないと。焦りながらもそう思った私はカバンから携帯を取り出す。
「なんで、こんなときに限って」
充電が切れて画面が開かない携帯に余計、焦りを感じながらもしっかりしないと、と深呼吸をする。あっ、蒼空の携帯なら。私は倒れている蒼空のカバンから携帯を取り出した。
よかった、電源もちゃんと......。私は携帯を開いた手を止めた。
「......なんで、なんで私の写真にしてるのよ」
蒼空の携帯を開くとそこにはたくさんのひまわりに囲まれ、楽しそうにこちらを振り返っている私の写真があった。
私は携帯を握る力が強くなる。泣きそうになるのを抑えた。今は泣いてる暇なんてない。あとで全部、話してもらうんだから。
私は緊急で救急車に電話した。初めての電話に戸惑いながらも場所や状況など聞かれたことをできるだけしっかりと答えた。
すべての質問に答え「急いで向かいます」と言われた電話を切ると、私は蒼空の手を握った。雨で冷たくなった蒼空の手を必死に握り続けた。
とにかく無事であって欲しい。ただそれだけだった。
しばらくして到着した救急車に付き添いとして私も乗り、運ばれたのはバイトで来たあの病院だった。
蒼空は酸素マスクをはめられ、ストレッチャーというもので、病院の中に運ばれていった。救急車の人たちの会話では知らない言葉が飛び交う。けれどこの緊張感のある空気に危険な状態だということは私でもわかった。
「これから緊急オペに入りますのでこちらでお待ちください」
そう言われるがまま私は向かい側にある椅子に座った。目の前では手術中のランプが赤く光った。
それからどれだけ経っただろう。何時間も待ったと思っていたが案外、時間は経っていなかった。
「美月ちゃん!」
廊下から走ってきた美咲さんを見て私は立ち上がった。
「美咲さん、蒼空が!」
私は美咲さんに駆け寄り、息を切らしていた美咲さんを椅子に座らせた。
それから私は今日あったことをゆっくりと説明した。別れ話をされたことも含め全部。それを聞いた美咲さんはいつも優しく微笑んでいる顔を悲しそうに歪ませた。
「美咲さん、蒼空はなんで」
私がそこまで言うと美咲さんはふーと息を吐くと私にしっかりと向き合った。
「本当は私が言ってはいけないんだろうけど、このままじゃあの子、きっとなにも言わないだろうから」
なにを言われるのか怖い。聞きたくないと思うのと同時に蒼空がどうしてあんなことを言ったのか知りたいと思った。美咲さんにまっすぐ見つめられ私も真剣に美咲さんと視線を合わせる。
「蒼空は長くは生きれないかもしれないの」
「えっ」
頭が真っ白になった。あまりにも衝撃の大きい話に自分の耳を疑った。
「蒼空が......どうして」
「これ以上は私からは言えないわ」
私はどうしてもその話が受け入れられなかった。
「嘘!だって蒼空さっきまで普通に」
「美月ちゃん、落ち着いて」
私は感情が強くなり思っていたよりも大きな声でそう言っていた。そんな私に美咲さんは強く私の肩を掴んだ。掴まれた手に私は、はっとする。美咲さんの手が震えていた。そうだよね、美咲さんが一番辛いんだ。
「ごめんなさい」
「きっと、まだ手術に時間がかかるから美月ちゃんは一度帰ったほうがいいわ。終わったらすぐに連絡するから」
納得しなさそうに黙った私に美咲さんは優しく微笑んだ。
「蒼空は大丈夫だから」
「はい」
私はそう答えるしかなかった。私がここにいてもできることはなにもない。
ひとりで帰れるか心配してくれている美咲さんに頭を下げて私は家に帰ってきた。
帰り道はもうなにも考えられなくて、自分がどうやって帰ってきたのかも覚えていなかった。
帰っても寝れるわけもなく、ただなにをするわけでもなくぼーとしていた。
しばらくして静寂の部屋に着信音が響き、私は急いで携帯を手に取った。
「無事、手術が終わったわ。今は集中治療室に移動したみたい。明日からは入院することになったわ」
その文を読み私はやっと肩の力が抜けた気がした。とにかく生きていてくれてよかった。私は今日一日いろいろありすぎたせいか、安心したから返事もしずにそのまま眠ってしまった。
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