第23話

昼間忙しかった病院も夜になると静かだった。今日はもう大丈夫かなと思いながら私は明日の手術予定である患者さんを確認する。


今考えるとこんな時間に病院を抜け出すとかたまったもんじゃない。今、自分の立場でそう考えると血の気が引いた。あのときはまだまだ子供だったんだろう。


それにしても今日は疲れたから何事もありませんようにと私は願った。


「プルルルッ!」


静かな中、電話の音が響き渡り私は急いで電話に出た。


「はい、整形外科の中野です」


「救急部です。中野先生、救命緊急センターまでお願いします」


「どうしましたか」


電話越しに慌ただしく動いてるのが伝わった。事故だろうと私は今いる人でのオペをすでに頭で考えていた。


「交通事故です。三人家族と思われますが後部座席の三十代女性は意識不明の重体。男性は先程死亡が確認されました」


こういう事故では時間が生死を左右する。


「後部座席の十代女性は右脛骨と腓骨の骨折です。脳にも損傷の可能性あり。足は潰れておりぶらんぶらんです。オペは中野に任せると」


「わかりました」


私は電話をきり急いで準備をする。


「吉田先生と柏木さんッ!交通事故で緊急搬送です」


「わかりました!すぐに向かいます」


私はふたりに声をかけると救命救急センターに向かって走り出す。一気にみんなが動き出し、さっきまでの静けさはもうなくなっていた。


「中野先生こっちです!」


「右脛骨と腓骨の骨折ですよね」


「はい!他にも胸部と腹部の打撲と開放骨折です」


私は話を聞きながらストレッチャーで運ばれてきた高校生ぐらいの女の子を頭から指先まで触れていく。


「大丈夫ですか?今からレントゲンを取ります。意識ありましたら右手を握ってください」


私は軽く肩を叩きながら大きな声ではっきりと言った。すると、触れていた右手がかすかに動いたのを感じた。


「すぐに麻酔外科医に連絡を」


指示を出しながら女の子をオペ室に運んだ。足がだいぶやばいな。私はどうするべきか悩んでいた。


「これは切断ですかね」


隣で状態を確認する吉田がそう呟いた。吉田の通りここまで酷いと切断することが一般的だ。でもきっと、この子が目覚めたとき親が亡くなっただけでつらいのに足までなくなっていたらどう思うだろうか。


「いえ、切断はなしでいきます。機械出しは柏木さんお願いします」


私の判断に周囲は少しざわめいたが、このオペは私に任されてる。みんな自分の役割を確認し位置についた。


「それでは緊急オペを始めます」


その言葉を合図に手術が始まり、約十時間にも及んだ。


「は〜、終わった」


私は疲れ果てた体を伸ばした。手術は無事に成功し、命に別状はなかった。がしかし、先ほどお母さんだと思われる女性の方も亡くなられたと連絡が入ってきていた。


「中野先生さすがだな。あんな足まで治しちゃうなんて」


長時間の手術にみんな体力を奪われて疲れ果てていた。なのに吉田は割と元気そうだった。


「でも問題はあの子が目覚めてからだよ」


そう言いながら私は血に染まった手袋をゴミ箱にほおり投げた。吉田も静かに「だな」と呟いていた。



「中野先生!日比野菜奈さんが目を覚ましました」


「わかりました。すぐ向かいます」


私は昼ごはんとして食べていたメロンパンを机に置いて、歩き出す。うしろから吉田先生もついてきた。あれから菜奈ちゃんがまる三日眠ったままの状態が続いている間にわかったことがある。


名前は日比野菜奈。今年で十七歳になる高校二年生だ。そしてお亡くなりになったのはやはりご両親だった。


「失礼しますね」


そう言って病室に入ると菜奈ちゃんはぼーとただ外を見つめていた。私が歩いていくとゆっくりとその視線をこちらに向ける。


「目が覚めて良かった。気分が悪いとかあるかな」


うしろから顔を出した吉田が笑顔でそう言った。吉田の質問に菜奈ちゃんは首を振る。


「菜奈ちゃんは交通事故でここ三日間眠ってたんだよ」


「あの...」


菜奈ちゃんの足について話そうとすると、菜奈ちゃんはここで初めて声を出した。


「あのお母さんたちって、どこにいるんですか?」


そう聞いてくる菜奈ちゃんの顔に私はもう本当はわかっているように思えた。それでもこう聞いてくるのは信じられないからだろう。


菜奈ちゃんの質問に笑っていた吉田も口を閉じてしまった。私は大きく息を吸ったあと、ゆっくりと吐いた。


「交通事故によって、その日にお母さん方はお亡くなりになりました。菜奈ちゃんが目覚めたので先程親戚の方に連絡をとらせてもらってます」


自分でそう話しながら私は苦しくなった。私の話に微かに目を見開いた菜奈ちゃんはなにかを言おうと開けた口を閉じていた。


「そう...ですか」


菜奈ちゃんはただ一言そう言うと、それっきり黙り込んでしまった。きっと今話している私の話も聞こえていないだろう。


私は一通りの説明を終えると吉田と一緒に病室を後にした。


「菜奈ちゃんお母さんたちが亡くなったって聞いても落ち着いてるって言うか、思ったより冷静でしたね」


「あれはまだお母さんたちの死を受け止められていないだけだよ」


今までこんな場面は何回も体験している。家族の死に泣き叫ぶ人よりも死を理解していない子供なんかは心配だ。特に菜奈ちゃんのような年頃の子は難しい。死はすぐに受け入れられるものじゃない菜奈ちゃんには時間が必要だ。


医者は病気や怪我を治して終わりではない。精神面でもサポートしてあげなければならない。


それから私はできるだけ菜奈ちゃんと話す時間を増やした。けれど、菜奈ちゃんが笑っている顔はいまだに見ることができなかった。






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