生きていく
第22話
あれから十二年後───
「中野先生、今日もお疲れ様です〜」
今日ある最後の手術を終えて、一息ついていると同僚の吉田が私に声をかけてきた。吉田はふっかるのように見えるが今まで医者として自分なりに悩んでいた時期もある。私も吉田は大学時代からの腐れ縁ってやつだ。
「吉田先生も今日は緊急のオペやらで忙しかったですよね」
「いやー、俺なんて中野先生にくらべたら全然っすよ?ここにきたときは同じみならないだったのになぁ」
吉田はわざと口を尖らせて、拗ねた子供のようにそう言った。
「吉田先生とは違って、中野先生はスーパードクターですからね」
私たちの話に入ってきた看護師の柏木さんが笑ってそう言った。
「中野先生のオペにつくと私まで介助うまくなったと思っちゃいます」
「そんなことないよ。柏木さんにはいつも感謝してるからね」
そうんな話をしながらみんなでスタッフステーションに戻ってきた。
「あっ、あの中野さん。今日よければご飯とか一緒にどうですか」
少し前から研修員としてこの病院に来た黒田くんが私に声をかけてきた。
「あー、ごめんね。この後ちょっと予定があって」
「じゃあ、明日はどうですか!」
「うーん、明日も無理かなぁ」
黒田くんは私が担当して教えてる子でもあり、熱心にいつも頑張ってくれてるけど、私はできるだけやんわりと誘いを断る。
「じゃあ、私ちょっと抜けますね。なにかあったら連絡してください」
「はーい、いってらっしゃい」
手に持っていたカルテを机に置き、私はある病室に向かうためにスタッフステーションを吉田たちに任せた。
「おー、中野先生をご飯に誘うとはお目が高いな新人。でも諦めた方がいいぞー」
「どうしてですか?」
「今までも数多くの新人が頑張ってたけど、みんなダメだったしな。噂ではすでに彼氏がいて、隠してるって話」
そんな噂があったんだと背中で話を聞きながら、私は廊下を歩いていく。
あれから気がつけば十二年がたっていた。私は無事に第一志望だった県内で最難関の大学に合格し、六年間しっかりと学び卒業。国家資格も無事に取得した。今ではこの病院に来てからバリバリと働かせてもらっている。
医者になってから患者の命を預かっているというプレッシャーに覚悟はしていたもののやはり怖いと感じる時期もあった。助からなかった人たちをこの目でたくさん見てきた。それでも自分の患者や家族の人たちは「ありがとう」と言ってくれるのだ。だから私はこの仕事に誇りを持っている。
私はいまだに似合っているかわからない白衣を整える。
そして、産婦人科の階でエレベーターを降り、ある病室の前で足を止めた。
「入るよー」
扉をノックすると中から「はーい」と声が聞こえたのを確認して私は扉を開く。
「あっ、樹くん今日は仕事早く終わったの」
「もう仕事なんてやる気になれなくて、来ちゃったよ」
そう言って笑うスーツ姿の樹くんも今ではもう見慣れたものだ。
「葵、体調はどう?」
「体はボロッボロだけど、気持ち的にはちょー元気だよ」
幸せそうに笑う葵の腕の中には最近産まれたばかりの小さな小さな赤ちゃんが気持ちよさそうに眠っていた。
そうこのふたりは大学卒業と共に式をあげて結婚していた。樹くんは営業部のエースとして、契約をとりまくっているらしい。葵はというと国語の教師となり、高校生に勉強を教えていた。今はしばらくの間休みをもらっているみたいだけど、落ち着いたら教師に復帰するつもりらしい。
このふたりには今日までずっと支えてもらっていた。私は葵の腕の中を見つめた。
予定日よりも早く生まれたが体重は二千七百グラムとなんの異常もなく元気に産まれてきてくれた女の子。抱っこされている赤ちゃんの手に樹くんが人差し指でくすぐった。
「もうパパなんだよなぁ」
父親になったことに実感がなさそうに樹くんはそう呟いた。でも私からしたら出産に急いでかけつけて、ずっと背中を去っている姿はもう立派なパパの姿だった。
「私ほんとに幸せ」
葵はその幸せを噛み締めるように赤ちゃんを強く抱きしめた。
「葵、俺たちの子を産んでくれてありがとな」
樹くんは優しく葵の頭を撫でた。ふたりで赤ちゃんを抱きしめると赤ちゃんがにっこりと笑った。
「見て見て!今笑ったよね」
「あぁ、笑った顔はお前に似てるよ」
この光景に私は思わず笑みがこぼれた。このふたりが幸せになってくれてほんとよかった。ふたりの笑った顔を見ると私まで嬉しくなった。
「じゃあ、なにかあったらいつでも言ってね」
家族の時間を邪魔してはいけないと思い私は最後にそう言った。
「美月ありがと!仕事頑張ってね」
「葵が暇してたらまた来てやってよ」
私は「わかったよ」とふたりに手を振って病室を出た。
どんどん置いてかれちゃうなぁ。私は自分のお腹に触れる。今でも蒼空が生きてたらって考えることがある。そしたら私たちは今も一緒にいれただろうか。記憶の中の蒼空はあの頃のままなのに私だけが変わってしまった。蒼空のことは今日まで一度も忘れたことはない。けど今では優しく名前を呼んでくれたあの声がもうはっきりとは思い出せなかった。
私は見回りがてら病院の中庭を散歩しようと外に出た。病院の独特であるアルコールの匂いに慣れてしまった鼻から外の空気を肺に送り込んだ。
「はぁ〜」
今度は吐き出しながらあたりを見渡す。問題がないことを確認してから私はベンチに腰をかけた。
「中野先生お隣いいですか?」
うしろからそう言って、現れたのは黒田くんだった。
「いいけど、田中さんの血圧は測ってくれた?」
「はい、数値も正常で調子も良さそうでした」
そう言いながら黒田くんは私の横に座った。黒田くんはすごくいい子なんだけど、誘いを何度も断っているので個人的に少し気まづく思っている。
「中野先生って、空を見るの好きなんですか」
「うーん」
「よく空を眺めているんで気になってたんですけど」
「大切だった人がなくなっちゃったんだけど、空を見上げると見ててくれてる気がして、もう昔からの癖になっちゃったの」
黒田くんは真剣に私の話を聞いていた。そんな真面目に聞くような話でもないのにと思って私は笑って話した。
「いつもつけてるネックレスもその人とのものですか?」
「あー、これは...うん。指輪だったんだけど、今ではお守り代わりかな」
答えるべきか悩んだけど、もし黒田くんが私のことを気になっているのなら、しっかり話した方がいいと思った私は誤魔化さずにそう言った。
「でも大切な人って言っても、中野先生をひとりにしたんですよ。もう過去に囚われなくてもいいじゃないですか」
囚われなくても、か。私は蒼空のことを引きずってないかと言われたらそれは嘘になる。だからと言って囚われてはいなかった。
「その人のことを忘れろなんて言いません。だから俺にチャンスをくれませんか」
黒田くんは曇りなく真っ直ぐに私を見つめた。その蒼空と重なる瞳に少し心が揺らいだ。私は黒田くんを受け入れられるだろうか。黒田くんは真っ直ぐで、きっとと私のことを大切にしてくれると思った。私は俯かせた顔を上げた。
「...ごめんね。私はこれでいいと思ってるの」
黒田くんは眉を寄せて、わからないという顔をした。黒田くんから見たら私は可哀想に見えただろうか。でもあの頃の私たちは精一杯生きていた。例え辿り着い未来がふたり一緒じゃなかったとしても、あのときの私たちが間違っていたわけではないから。私が笑うと黒田くんは少し驚いたように眉を上げた。
「俺、中野先生のことは医者としてもすごい尊敬してます。だからこれからもお世話になります」
黒田くんは最後にそう言うと頭を下げて、病院の中に入っていった。
「うーん、はっきり言ってよかったよね」
私は独り言のように呟いて息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます