第10話 里帰り

「あなたの帰る家はもうこの国にはないのでしょう?」

 おばあさんの一言はどこまでも冷たく、怖かった。

「事情が変わったのよ。」

「でも貴方が自ら出ていったと聞いているけれど……」

「あまり虐めちゃだめですよ。あなたもダキアの一報を聞いて数日も前からここに何回も来ていたじゃないですか。こうして無事、姉さんも帰ってきたじゃないですか」

「母様。あの人母様を姉さんって……」

「あぁ。あの人はね。親戚の甥っ子よ。よく遊んだもんだから姉さんって慕ってくれてたのよ。」

「あなた……今の状況がどういう状況か分かっているの?本家の人が手紙を受けても誰も来ないなんて見放されているのも同然よ……それでも帰るというの……」

 おばあさんは最初こそ厳しかったが、心配してこそのものだったらしい。

「今は……私だけじゃないの……子供たちを守らなければいけないの。」

 やはり空気は張り詰めていて居心地が悪い。一番居心地が悪そうにしているのはドアを開閉するために配置されている門番さんだ。苦虫を噛み潰したような顔をしている。可哀想に……

「お兄さんは君たちに逢いたかったんだ。この子は嬢ちゃんかな?坊っちゃんかな?」

 そういって母様から妹を託されていたカイル兄さんに近付き、妹を優しく抱きかかえた。

「あっちに甘いお菓子が売っていたから買ってあげるよ。二人ともこっちだよ。」

 お兄さんはそのまま右の方向に向って進んでいった。それからカイル兄さんと顔を向き合わせてから、逃げ出すなら今だと思い、追いかけていった。頑張って門番の人……と心で応援しながら。

 やがてお兄さんは一つのお店に入るとすぐに出てきて小さなに包まれたモノを6個ぐらい手に乗せてやってきた。

「これはね。キャラメルっていって砂糖……甘い汁をくる植物から採れるもので作られたお菓子だよ。」

 素直にキャラメルを貰ってから、話が続かないのでお兄さんについて聞いた。なんでも母様はこの王都サランの中でも大きな商会、アール商会の現当主の次女として産まれたらしい。お兄さんは分家の生まれで名前をサムン・シール・フラン=アルディンというらしい。因みにこの国では名前、身分、家族名、親の名前という順番で名前が並ぶみたいだ。

 サムンさんは妹と弟が3人も出来たと喜んでいる様子だった。だが、僕らはこれまでの大使であったり、さっきのおばあさんの対応だったりで厳しいのではないかと思い始めていた。思い詰めていたのだろう、カイル兄さんが直接聞いた。

「亡命……この国の住民になるというのはそんなに難しいのですか?なれないなら戻りたいのですが……国に戻れるのですか?」

 サムンさんは妹を一旦、カイル兄さんに返すと解放された両手で僕たちを抱きしめてくれた。

「なぁに。君たちは元々僕らの一族の者だよ。子供は何も気にしなくていい。僕らに任せてゆっくりとするといい。」

 あの侵攻以来、いつも急かされて、余裕がなくて、辛くて、大変だった。それをもうしなくてもいい。もうゆっくりしていいと言われてやっと安心したのか涙が止まらなかった。

 その日の夜、サムンさんとおばあさんの家に泊まることになった。なんとあのおばあさんことペールさんとサムンさんは親子だった。あの怖い剣幕の顔を見たせいで恐ろしい人だと思ったが、それは母様に対してだけであって僕らには優しかった。色々と話を聞くと母様の実家は反対側の陸地にあるそうで明日、皆で向かうことになった。話が早々に終ると夕食を食べることになった。夕食は野菜に果物、白いふかふかのパンとお肉もあって今までで一番豪華だった。

「毎日こんな贅沢してるの?」

「こんな……贅沢……そうだなぁ……」

 苦笑いしながら言葉を濁した。何か不味いことを言ったかなと寝床で考えながら眠りに着いた。翌朝、朝食はカヴォ王国の特産らしい葉っぱを煮込んだテーという飲み物とパン、それとハムを何切れかが出てきた。あぁ昨日サムンさんが言葉を濁したのはこういうことかと思った。カヴォ王国は北部とは違って大分豊かなようだ。

 朝食を終えて、身体を拭いて、新しい衣装に身を包んで出発の準備をした。用意してもらった衣装は触り心地がすごく良かった。どうやら僕が一番最初で、他の皆を待っているとカイル兄さんが来て、妹までもおめかしをして準備万端だった。母様の様子を見に行くと、同じ場所をグルグルと回っていた。母様はこの国に来てからずっとどこか緊張しているようだった。大丈夫かなと思い、話しかけた。

「母様……皆準備できたよ。」

 そう声を掛けるといつもの調子にすぐ戻った。

「大丈夫よ。さぁ行こうか。」

 屋敷の扉を抜けると正面には馬車が停まっていた。御者とサムンさんが何かを話していたが、僕らに気付くと笑顔でこちらまで走ってきた。

「もう出発するかい?僕も一緒に行くよ。姉さん一人だったら酷いことになるからね。」

 5人で乗り込むには少し狭い馬車だったが、船の辛さやキャラバンでの酷い縦揺れよりはましだなと思った。それから少し経ち、馬車は港まで辿り着いた。こんな短時間なら馬車じゃなくても……歩いていけば……と考える僕はとても逞しいのだろうか。馬車を降りると眼の前にはカロンから乗ってきた船を一回り小さくした船があった。窮屈そうにしていたサムンさんは馬車から降りるとその船に走っていって船乗りさんに挨拶をしに行った。サムンさんが船に近付くと船乗りさんたちは作業を止めて頭を下げた。気軽に接していたけどもしかして偉い人なのかも……と思っていたところ、こっちにおいでと手招きされて近づいていってそのまま船に乗った。もう船に乗るものかと思っていたところなのにすぐに乗ることになって気分が落ち込んだ。

「半時間ぐらいあればあっちに着くよ。」

 そう言われてどうにか我慢できそうだと思った……と思ったけど、乗ってすぐに気持ち悪くなってきた。あぁ……ダメだ……と思い、虚無になっているといつの間にか対岸へと着いていた。カイル兄さんが指を伸ばしてすぐに逃げられる態勢をしながら話しかけてきた。

「お……おい……起きてるか……もう着いたぞ……お願いだから吐くなよ。」

 どうにか吐き気を抑えられたが、面白かったので態と吐きそうな表情を作って振り返った。

「ぎゃああああああ」

 悲鳴を挙げて逃げていく様子はとても面白かった。その様子を見ていたサムンさんは話しかけてきた。

「もしかして君……酔ったのかい?」

「いや……今回は大丈夫だったよ。危なかったけど。」

「そ……そうか。ビックリしたよ。フランの血筋に船酔いが酷い人なんて居なかったから……対処法を知らないんだ。」

 もしかしてと思っていたが、カイル兄さんも妹もあまり辛そうじゃなかったのは母さん似だったからか……なんだか仲間外れにされた気分だった。

 船を降りるとまた馬車と御者さんが待っていた。いったい何台の馬車と船を持っているんだろう……と思いながら行きよりも一回り大きな馬車に乗って本家と呼ばれる家へと向かった。結構長い時間乗っていたが、道にあまり凹凸が無いせいか揺れが少なく、快適だった。街の景色が次々と変わっていく様子が楽しくてもっと乗っていたいと思ったが、どうやら到着したらしく、やたら大きな塀の前で停まった。まさか……塀が家を隠す程に大きいとは思わなかった。呆然としていると反対側の扉から皆降りてしまった。早くと促されてようやく馬車を降りた。

 一際大きな門の前には綺麗な服を着て武装した門番が二人立っていた。彼らは人の拳よりも厚い鉄の門を開き始めた。そして完全に開かれると「どうぞ。」と一言だけ話した。とても綺麗な建物をもっと近くで見たくて一番に走っていった。サムンさんが僕に続き、カイル兄さんも続いたが、母様は少し戸惑っているのか進めていなかった。そして何かを決意して進もうとした瞬間、母様の前に門番が立ちはだかった。

「あなたの入邸は許されてはおりません。さあその赤子も私にお預け下さい。」

 門番は表情も変えずに淡々と言い放った。そのやり取りを見たサムンさんはすかさず戻っていった。

「それは無いでしょう。それは誰の命令ですか?当主からですか?それともそれが本家の意向ということですか?」

「それは……貴方だろうとお話することは出来ません。先へお進み下さい。」

「これは……思った以上に……骨が折れそうだ。エルサ姉さん。少し待ってて下さい。間を取り持ってみせます。」

「情けないわね……お願いするわ……」

 遥か後ろで母様が門の中に入れないでいることを知らないまま門はゆっくりと閉じていった。

 


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