六話 修羅場その一

 ロブライヤー侯爵家令嬢エリーレイ様は私をキラキラした瞳で睨んでいらっしゃった。後で知ったけど年齢は十四歳。アーバイン殿下は十七歳だった筈だから歳の釣り合いも良い。そしてなにしろ可愛らしく、溌剌としていて実に健康そう。


 しかもロブライヤー侯爵家といえば王国でも名門中の名門だ。過去に何人か王妃様を出している筈。


 こんなの、私が百人いても敵わないわ。並べて選ばせれば、百人中百人がエリーレイ様の方が王太子妃に相応しいと言うだろう。


 私だって彼女の方が王太子妃に相応しいと思うもの。うん。間違いない。


 勝負をする気にもなれないわね。私は内心で完敗の白旗を挙げていたんだけど、王太子殿下は私を庇うように一歩前に出て、エリーレイ様に言った。


「エリーレイ。無作法な事は止めないか。エステルが王太子妃になるのはもう決まった事だ」


「そんなの、認められません! その女は一体どこの誰なのですか! 昨日まで社交界のどこにも影も形もなかったじゃありませんか! そんなのが王太子妃だなんておかしいですわよ!」


 ごもっともな話である。周りで成り行きを見守っている皆様の少なくない方々がウンウンと頷いている。そうよねぇ。皆さん内心できっと同じことを思っていたのだ。


「エステルは事情があって社交界に出ていなかっただけだ。彼女はフィレックシア伯爵家の娘で……」


「その家は取り潰しにあったと聞きました! ですからその女は貴族ではない筈です」


「それは間違いだ。彼女はちゃんと貴族名簿に載っている。それに、もうロマーニャ公爵の養子にもなっている」


 いつの間にか養子入りの手続きも終わっていたらしい。このまま放置していると、いつの間にか婚姻の手続きまで終わらせてしまいそうよね。


「そんなのは誤魔化しです! 認められるべきではありません! 王太子ともあろうものが、法を曲げるなど許されない事です!」


 おおお、この娘、可愛らしいだけではなく賢くて弁も立つのね。ますます王太子妃に相応しいと思うわ。


 アーバイン殿下が押されているもの。そりゃ、殿下だって心のどこかでは私と結婚するなんて理屈の上では無理があるとは思っていらっしゃるんだろうからね。


 エリーレイ様がこのまま殿下をやり込めれば、私はもしかして王太子妃にならなくてもよくなるかもしれないわ。がんばれエリーレイ様。


 そう思った私は、エリーレイ様にこう声を掛けた。


「そうですよ、エリーレイ様。もっと言ってあげて下さい」


 エリーレイ様は驚いたように私の方を見た。その動きも小動物めいていてとっても可愛い。


「本当に王太子殿下はワガママが過ぎますわよね。エリーレイ様の言う通りです」


 私はジロッとアーバイン殿下を睨んでから更に言う。


「私みたいな大年増よりも若くて可愛らしいエリーレイ様の方が王太子妃に相応しいに決まっているではありませんか。一体全体、殿下はどこの何が良くて私などを妃にしようなどと思ったのですか?」


 私がこんな事を言ったのは、殿下は答えられないだろうと思ったからだ。私は殿下は十二年も前の、殿下がまだ五歳の頃に会えなくなった私の幻影を好きになっているのだと思っていた。


 きっとその頃、私と遊ぶのがよほど楽しく感じたのだろう。その思い出が、私という存在を大幅に美化しているに違いない。


 なので現実を直視してもらい、今の私のありのままの姿を確認すれば、きっと彼の妄執は消えて私を王太子妃にしようなどという考えは無くなるだろうと考えたのだ。


 そこでこの質問だ。私の良いところを考えてもらい、思い当たらなくて愕然とすれば、アーバイン殿下は自分の錯覚に気が付くだろう。


 私はそう思っていた。のだが。


 私の質問を受けてアーバイン殿下は頬を赤らめさせ、ウットリと目を細めた。エリーレン様も私もちょっと引いてしまう程の変化だった。殿下はそんな色っぽい表情で、歌うように言った。


「私をいつもしっかり見詰めてくれるところ。私を大事にしてくれるところ。そして、私をいつも守ってくれる助けてくれるところ」


 ……それは昔の話よね? 殿下があの頃はまだ小さかったし、私はルークの事を弟のように感じていたから、小さな彼を守らなければいけないと思っていたからそうなったのだ。今の大きくなった彼をそんな風に見ているかと言われれば、そんな事はないと思うけど。


「今も変わらないよ。こうして私を助けてくれる」


 へ? 私は戸惑う。そんな筈はない私はエリーレイ様の味方をして、殿下の迷妄を晴らそうとしたのだから。


 しかし、よく考えれば私はエリーレイ様が殿下を追求していたのを邪魔して、殿下を助けてしまった事になるのかも知れない。


 あのまま追求されれば、殿下はエリーレイ様に対して返答に窮しただろうから、それまで待つべきだったのかも知れない。


「……そんな昔の話ではなくて、今の私のどこを愛しているのか教えてくれませんか? 殿下は今の私の何を知っているのですか?」


 すると殿下は頷いて言った。


「確かに何も知らないよ。でも、これから知ればいい。エステルは昔と何も変わっていないのだから、私はきっと君の何もかもを好きになるよ」


 ぐ……。流石に美男子であるアーバイン殿下に頬を赤らめながら直球で惚気られると威力がすごい。私も顔が赤くなってしまう。


 つまり殿下は昔の私の事が好きで、きっと今の私も当時の私と同じだろうから、と思って私を妻にと望んだのだ。


 なら、私が当時の私と違っていれば、幻滅させられる筈よね。よーし、じゃぁ存分に見せつけてあげよう!


 ……と思ったのだけど。


 当時の私と今の私で変わった所ってどこだろう? 私は悩んでしまう。


 それは、境遇は変わったわよ。貴族から庶民になって環境は激変した。貧乏になって、一生懸命仕事をしなければいけなくなって、ずいぶん大変な思いもした。


 歳も取ったわね。背も、あの頃はもっと小さかった。顔も変わったと思う。


 でも、中身は? 中身は変わったのだろうか?


 ……成長はしたと思いたいのよね。色々頑張ったのだから成長はしていて欲しい。でも、多分性格はそんなに変わっていないと思う。


 人間、根本的な部分はそんなに変わらないのだ。ほら、よく言うじゃない? 「三つ子の魂百まで」って。人間の基本的な性格なんて三歳くらいで決まってその後はそんなに変わらないのよ。


 殿下にはもう、私の変わった部分、貧乏になった所とか老けた所とか、世間ずれした部分とかは見せちゃったと思うのよね。


 でも殿下の態度は変わらない。私の事を好きだという理由が昔のままで、私が昔と変わっていないのなら、彼は間違っていないということになる。


 ……ちょっと待って? なんだか誤魔化されているような、釈然としない部分は残るのだけど、とりあえず私は殿下に、自分は殿下が想っている昔の自分とはこんなに違うのだ、とはっきり見せ付ける事は出来ないみたいだ。いや、でも、おかしいわよ。おかしいわよね?


 うぬぬぬぬっと殿下を見詰めて唸っていると、突然大きな声が響いた。


「な、何よ! 何なのよ! なんで私の目の前でいちゃついているのよ! 何の罰ゲームなのよ!」


 エリーレイ様が顔を真っ赤にして叫んでいた。あ、すっかり彼女の存在が頭から飛んでしまっていた。


 見ると、周囲の人たちも何だか気まずそうな顔で頬を赤らめている。? 何でしょう? と思ってからようやく気が付く。


 今の私と殿下のやりとりって、私が殿下に告白を迫って、殿下が幸せそうな顔で私に告白した、って図よね。


 ……あう! な、なんて恥ずかしい真似をしてしまったのか! 言い訳の余地なく二人して、公衆の面前で愛の告白シーンを演じてしまったのだ!


「う、うむ。お仲がよろしい事は間違いないようだ」「殿下がとってもお幸せそうで」「忌憚なく想いを伝え合える関係って素敵ですわ」


 などというヒソヒソ声が聞こえる。好意的な意見が多いようだ。ちょ、そ、それは誤解……、などとはさすがに言えない。


「キーッ! も、もういいわ! こんなの! こっちから願い下げよ! 私はもっと良い男を見つけてやるんだから!」


 エリーレイ様は吐き捨てると、侍女に慰められながら足音荒く会場を出て行ってしまった。あ、ちょ、ちょっと! と止める間もない。


 周囲の人々はエリーレイ様の突然の退場に驚いているようだったけど、なんだか納得したように頷いている方も多かったようだ。なぜに?


 すると、アーバイン殿下が私の肩を抱き寄せてこう言った。


「さすがはエステルだ。私との仲の良さを見せ付ける事でエリーレイを追い出すとは」


 え! そういう意味に見られているの? 私は驚愕したのだけど、周囲のこの生暖かい雰囲気は、どうもそういう事のようだ。


 誤解も良いところなんだけど、誤解ですと言って回るわけにもいかない。私は内心冷や汗を流しながら笑っているしかなかった。


  ◇◇◇


 ……こうして、婚約披露宴パーティ一日目は終わりを告げた。お部屋に帰って来た私はベッドにばったりと倒れ伏した。つ、疲れた。


 あの後予想通りにアーバイン殿下とダンスをし(殿下が気を遣って初心者用の曲を選んでゆっくりと踊って下さったのでなんとかなった)引き続き皆様とひたすら歓談した。


 私の旧知の方々もたくさん来ていて、一様に私が王太子妃になる事に仰天していた。二年も前にフィレックシア伯爵家の取り潰しが撤回された事も誰も知らなかったので、これは多分、殿下が意図的に情報を流さなかったんだと思うのよね。


 当たり前だけど、私の旧友人は全員結婚してた。それはそうよね。同い年なら二十五歳だもの。もちろんみんな子持ち。時が過ぎるのは早いわね。みんな、私がまだ結婚していない事に驚いていた。


「そうか、殿下が結婚する年齢まで隠れて待っていたのね」


 などという勝手な解釈がなされたようだけど、もちろんそんな事実はない。


 旧知の人たちの私の婚約は概ね好意的で「幼い頃からの愛を実らせるなんてロマンチック」「殿下にそんなに一途に求められるなんて良いわね」「貴女なら子供のころからしっかりしてたから、王太子妃も務まるわよ」なんて言われたわね。


 中には私がルークと仲が良かった事を覚えている人もいた。ごく稀にだけど、私とルークは王城に集まった貴族の子供たちと一緒に遊ぶ事もあったからだ。


「そういう時、殿下はいつも不機嫌で、エステルを引っ張ってすぐに内城に戻ってしまったわね」


 そうだったかしら? どうもその辺の記憶は曖昧だ。


 今日のパーティでは、明確に私と王太子殿下の婚約に反対したのはエリーレイ様だけだった。他の人は曖昧な態度か、もしくは好意的。特にエリーレイ様が退場してしまってからは明らかに好意的反応が増えた。


 どういう事なのか。私みたいな落ちぶれ元貴族が王太子妃になって良い筈がないのに。どうしてほとんど反対がないのかしら?


 ぐったりしている私からハマニーは手際良くドレスやコルセットを剥ぎ取り、そして寝巻きを着せてくれた。


「お疲れ様でした。ゆっくりお休みになると良いですよ」


 ……私はハマニーに今日の披露宴の雰囲気を伝え、どうも私と殿下の婚約について強硬な反対意見がないようなんだけど、それは何故だと思うかと聞いてみた。ハマニーは少し考えて言った。


「それは多分、殿下がいつも王太子としてしっかり働いていらっしゃるからじゃないでしょうか。殿下はいつも王国中を駆け回っていらっしゃいますから」


 成人以来、アーバイン殿下は王国の国政に関わっていて、特に王都を動けない国王陛下に代わって王国のあちこちに出掛けては様々な取り組みをしているのだという。


 特に領主同士の仲を取りもち、揉め事や不和を解消するのに努めているそうで、その取り組みに対する評価は貴族達の間では特に高いそうだ。


 このお仕事のために王国の事を詳細に調べているらしくて、その一環で旧フィレックシア領の鉱山が発見されたのだそう。別に我が家を復活させるためだけに調べたのではないのだそうだ。


「まだお若いのにあんなに仕事をしている王太子殿下は素晴らしい、ともっぱらの評判なんですよ。いつもあれだけ頑張っている王太子殿下が、一つぐらいワガママを通したとしても、それくらいは許してあげようと私なら思いますね」


 つまり王国の貴族達はアーバイン殿下の王太子、ひいては国王としての資質を認め、その働きを評価されているから、彼にしては珍しいワガママであるお妃選びくらい好きにさせてあげようかと考えているらしい。


 なので彼と私が愛し合っているんですよ、という雰囲気が感じられた瞬間「じゃあ仕方ないね」という感じで皆様が好意的になったらしいのだ。


 ……もしかしてそれ、何もかも彼の計算ずくの行動のような気がしない? 原因と結果が逆で、私との婚約を認めさせるために、普段は非の打ちどころのない、模範的な王太子殿下として行動しているのではなかろうか。


 普通なら一笑に付すような話なんだけど、あの執着心の強さからするとあり得ると思えるから困る。とにかく、彼は私と結婚するためならありとあらゆる努力を惜しまないみたいなので。


「愛されているということでございますよ。良かったですね。エステル様」


 ……愛されている、のだろうか? 私は枕に顔を埋めながら考える。いや、私がいくら男性経験がなく、男性の感情に対して多分鈍い自覚があっても、アーバイン殿下の想いを感じ取れないほど鈍くはない。あれくらい直球に愛されて、あの愛を疑う方がどうかしているだろう。


 しかし、愛されている自覚はあっても心当たりがない。あの素敵な殿下にあれほど愛される理由が、私には分からないのだ、


 幼い頃の淡い交流。確かに私たちはお互いに強く信頼し合い、依存し合っていたとは思う。身体が弱かった私にとって、ルークは気兼ねなく遊べる大事な友達だったし、おそらく他に友達がいない(作ることが許されていない)ルークには、私は更に掛け替えのない存在だったのだろう。


 でも、それが男女の愛情に昇華するものなのだろうか。少なくとも私は一昨日まで、ルークの事などほとんど覚えていもいなかった。思い出すこともほぼ無かったのである。だから当然、彼に男女の想いなど抱いた事がない。


 それなのに彼は私を真剣に愛してくれている。過去の私ではなく今の私を大事にしてくれているのだ。それは私に対する呼び方でも分かる。殿下は私をほとんど「エステル」と呼び、当時の呼び名である「ねーさま」とはぼぼ呼ばない。これは意図的に過去の私と今の私を使い分けているという事だろう。


 彼が愛しているのは今の私なのだ。しかし同時に彼は今日「今のエステルの事は何も知らない」と言い切った。これから知るから良いのだと。


 ろくに知らない今の私を愛しているという彼に対する違和感。私が悩んでいるのはその辺なのよね。過去の私を基準にして、今の私を妄想して、その姿を愛しているという事なのではないのだろうか? 


 もしもその妄想が現実の今の私と大きく違っていたら、彼は私に幻滅するんじゃないかしら。それが早ければいいんだけど、これがもっと後になって、たとえば結婚してしまった後だったりしたら困るのだ。


 それに……。なんというかそれは怖い。


 あの今は優しいでしかないアーバイン殿下が私に幻滅して、私を冷たく扱い出すのが怖い。そんな事をされたら私だって彼に幻滅するだろう。そうしたら私はあの可愛かったルークの思い出にまで幻滅してしまいそうだ。それは嫌だ。


 そういう統一出来ない感情が頭の仲をグルグル回ってしまい、私は起き上がる事が出来なかった。ハマニーは苦笑しながら私の頭を撫でた。


「ま、今日のところはゆっくりお休み下さいませ。パーティは明日もあるのですからね」


 ……なんとか、この四日ほど続くらしい婚約披露パーティの間に、アーバイン殿下の真意を知りたいな。私はそう考えていた。もしも彼が私に対する妄想、幻想に恋をしているのなら、幻滅される前になんとかしたい。


 そのために計画を練らなきゃ……、と思いつつ、私は疲れと柔らかくていい香りのする久しぶりの貴族仕様のベッドに抗い切れず、深い眠りに落ちていった。

 

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