五話 婚約披露パーティ

 サロンに戻るとアーバイン殿下は私を抱き締めるように出迎えた。


「母上に酷いことされなかったかい?」


「そんな事は致しませんよ。ただこれからの事について話をしただけです」


 ……確かに、私と王妃様は頭を抱えたままお話をした。


「なんとか、お話を無しに出来ませんか? 私が王太子妃になるなんて無理ですよ」


 私が言うと、王妃様はハーっと溜息を吐きながら仰った。


「そんな事は分かっています。身分だけは貴族に戻ってるとはいえ、長らく庶民落ちしていた上に七歳も年上。無理だと思います」


 かなり直球でディスられたけど、怒る気にはなれない。事実だから。


「王太子妃候補は他にもいて、もう三人に絞られている状況でした。その家に何と言い訳をしたら良いのか……」


 王太子妃になるようなご令嬢は特別製なのだ。


 家柄優秀で両親とも健康であるのはもちろん、何代か遡っても奇形や大きな病気をした者がおらず、先祖に不祥事を起こした者がいないという本人に関係の無いところからまず調べられる。その上で他の令嬢よりも厳しい教育をされ、お作法、学業、芸術などに一部の隙も無い完璧なご令嬢に仕上げられる。更に容姿も重要で、完璧なご令嬢なのに少し太っただけで候補を外された者もいるという。


 そういう候補が王太子殿下と引き合わされ、何年か交流して一番相性が良いと思われる方と、ようやくご成婚の運びになるのだ。それくらい王太子妃というのは慎重に選ばれるものなのである。


 アーバイン殿下もそのようにして選出されたお妃候補が沢山いて、それが既に三人まで絞られた状況だったのだという。


 その家としてみれば、王太子妃にするために時間も費用も掛けてきたのに、それがいきなり横から突然現れた没落貴族の娘に王太子妃の地位を攫われたら、それは王族に文句の一つも言いたくなるだろうという話なのだ。


「なんとか、殿下を翻意させられないのですか?」


「出来ないから貴女が今ここにいるのではありませんか」


 ごもっともです。


「ですから貴女はこれからその三人の候補と比較される事になります」


「比較? 何ですかそれは?」


「王太子妃の最終候補の三人。この三人と比較して、貴女の方が王太子妃に相応しいのだということを証明しなさい」


 ……は? 私は全く意味が分からず首を傾げるしかなかった。昨日から私の首は倒れたまま戻らない勢いなのだが、今度のこれは本当に、全くもって意味不明だった。


「……どうして私がそんな事を証明しなければならないのですか?」


「貴女が王太子妃になるのは決定ですけど、それを最終候補の三人は納得しないだろうと思われるからです。納得させないと、最悪あちらの家が王家に対して反乱を企みかねません」


 物騒な話になってきた。いやいやいやいや……。


「それならその三家のどなたかを王太子妃にしてください。私より当然その方々の方が王太子妃に相応しいに決まっているのですから」


「それが出来れば苦労しないと言っているでしょう!」


 王妃様はキレてしまったが、それはいくら何でも逆ギレだと思う。


「あの子があんなでは、貴女以外の女性を娶るとは思えないのだから仕方がないのです! 貴女が他の候補を押し除けて王太子妃になる、その資格がある事を貴女が証明しなさい!」


「そんな無茶な!」


「無茶は承知です!」


 つまり、今晩から数日に渡り、私のお披露目パーティが王城で開かれる予定なのだという(初耳である)。そこには当然、王太子妃の最終候補のお三方もいらっしゃる。そこで私はそのお三方とどちらが王太子に相応しいか、出席者の皆様に比較されることになる。


 私はその三人よりも何か秀でたところをアピールして、貴族達に最終候補達よりも自分が王太子妃に相応しいと思わせなければならない。


 そうしないと貴族達は私を王太子妃と認めず、ひいてはアーバイン殿下を国王陛下と認めないだろう。最悪、王国は分裂崩壊の憂き目を見る、という話なのだ。


 無茶苦茶である。


 ちなみに、王太子妃の最終候補はロブライヤー侯爵家令嬢エリーレイ様。クバッチャ侯爵家令嬢サシュレン様。マイタージェ公爵家令嬢ジュスリーネ様の三人。全員侯爵家以上。しかも全員私よりも七歳以上歳下だ。あまりに歳下なので、私は当然面識が何もない。


 しかし幼少時から王太子妃を目指してお作法や学問や芸術に研鑽を積んできた、一流のご令嬢であることは間違いない。三人の内誰を選んでも、貴族達は王太子妃に相応しいと祝福してくれるような淑女だろう。


 こんなろくな教育も受けなかった元伯爵令嬢で、しかも七年も庶民生活を送ってお作法なんてあらから忘れてしまったしかも大年増の私が太刀打ち出来る相手ではない。


「……殿下が候補の皆様と私を比較して、心変わりなさる可能性はないのですか?」


 私は、殿下は十二年も会わない内に、私への想いを妄想にして膨らませ過ぎてるんじゃないかと思うのよ。


 だから実際に私と会っている内に、その理想の妄想とのギャップに気が付いて、心変わりするんじゃないかと思ったのだ。


 しかし、王妃様は首を横に振った。


「あの子の執着はどうもそんな程度ではなさそうです。異常です」


 我が子を異常者扱いするのだから相当なものだ。これまで、王妃様も殿下を翻意させるために手練手管を尽くしたのだと思われる。


 しかし、アーバイン殿下の想いは一切ぶれなかった。それで国王陛下も王妃様も、認めるというより匙を投げたものらしい。諦められても困るんですけど……。


 サロンに戻って私とアーバイン殿下、国王陛下と王妃様はお話をした。主に没落以降の私の生活の話がメインだったわね。


 お家が没落してお屋敷を追い出され、私はお屋敷で働いていた大工の紹介で代書屋のラドに紹介され、すぐに雇われた。そしてラドの紹介で部屋も決まった。意外なほどスムーズに住居も仕事も決まってずいぶんホッとしたのを覚えている。


 だけど当時の私はお嬢様で、自分で着替えもなにも出来ずに途方に暮れたのよね。買い物だってしたことがなく、最初のうちはよく市場でぼられたものだ。ラドの奥さんとか、下宿の女将さんが色々世話を焼いてくれて非常に助かった。


 代書屋で働きながら貴族時代の友人や縁談があった相手に手紙を送り、貴族復帰を画策したものの、まったく上手くいかず、私は半年ぐらいで諦めてしまった。


 それからは庶民として生活して行く為に私は頑張った。おかげで今では代書屋では頼りにされているし、下町には仲のいい奥様連中が沢山いる。お祭りの時などはみんなで肩を組んで踊るのだ。


 そういう話をしていたら、国王陛下も王妃様も王太子殿下も黙り込んでしまった。おや? どうしたのかしら?


「苦労したのだな」


 国王陛下はポツリと仰った。まぁ、苦労はしましたけどね。最初の内は夜は泣いていましたよ。でも、今は慣れたからもう良いのです。


「強いのね」


 王妃様も感心したように仰った。うーん、あんまり褒められると居心地が悪いのよね。


「でも、庶民としては恵まれた生活をしてるのです。読み書きをしっかり教育してくれた、お父様お母様に感謝ですね」


 私が言うと、アーバイン殿下が心底驚いたというお顔をなさった。


「両親のせいで君は庶民落ちしたのではないか。両親を恨んでいないのか?」


 うーん、確かに、詐欺事件に引っ掛かったのはお父様お母様の失態で、そのせいで私は庶民に落ちてしまった訳だけど、それでそれまで私を可愛がってくれて、しっかり教育してくださった両親の恩が消える訳じゃないからね。


 まして両親は悪意を持って私を陥れた訳じゃないんだもの。


「全然。恨みなんてありませんよ。貴族復帰したならお父様お母様には年金が入っているのですよね? それでのんびり余生を送ってくれれば何よりです」


 私のあっけらかんとした表情を見て、なんだか国王様は感心したように頷いたし、王妃様も感動したように目を潤ませていた。アーバイン殿下は小声で「さすがはねーさまだ」と呟いていたわね。ん? なんでしょう? 私何かしましたかね?


「ふむ。資質は良いようだ。あとは貴族達に認められるかどうかだが……」


「大丈夫です。エステルならきっと皆認めてくれます」


 国王陛下の不安そうな呟きに、殿下は自信あり気に返したのだけど、正直私はこの時、認められる訳がないと思っていたし、認められなければそのまま婚約の話はなくなって、私は庶民に戻れるんではないか、なんて甘い事を考えていたのよね。


  ◇◇◇


 その夜、本当に舞踏会が行われた。しかもこれが、私と殿下の婚約披露パーティだというのだから驚きだ。そう。出席者の皆様は既に私が王太子妃に内定したと知ってて王城にやってくるのである。なんですかそれは?


 何でも、ずいぶん前から王太子殿下には意中の姫がいる、というのは話題になっていたそうだ。しかもそれが王太子妃候補に上がった令嬢の誰でもないという事も噂になっていたと。


 そして一昨日、遂に国王陛下と王妃様を根負けさせて私との結婚の許可を得た殿下は、即座に婚約披露パーティの招待状を貴族達に送ったそうだ。なんという早技。国王陛下が止める暇もなかったのだそうだ。随分前から書状の準備などはしていたのだろうね。


 本当は一昨日の夜に私を王城に連れて来る筈だったので、丸一日は余裕がある筈だったのだけど、私が拒んだので今日の今日になってしまった。それであんなに朝早くの出発に拘ったのか。


 それにしても、何もこんなにすぐに婚約披露をしなくても良いだろうにと思うのだけど、これは要するに事態をなるべく早く進める事で国王陛下と王妃様の心変わりを防ぎ、貴族達が意見をまとめて異議を唱えて来るのを防ぐ目的があるのだろう。


 そして当然、私に逃げ出す暇を与えないという目的もあるんだと思う。


 というわけで、私はアーバイン殿下に手を引かれ、王城の大広間に向かった。この広間には何度も入ったことはあるけども、内城側、しかも王族専用口から入るのはもちろん初めての経験だった。


「王太子殿下、エステル様! ご入場!」


 侍従の紹介と同時に大扉が開かれる。大広間の二階のバルコニーに出ると、階下から一斉に拍手が湧き上がった。


 見ると、何十名もの着飾った人々がこちらを見上げている。私は「ヒッ」っと息を呑んだわよね。こ、こんなに注目を集めるのね王族って。確かに国王陛下と王妃様のご入場を、ああして拍手で出迎えた事あるわ。


 楽団の入場曲の演奏に合わせて、ゆっくりと階段を下って行く。私は緊張というか硬直してしまって、うっかりすると階段を転げ落ちそうだった。ヒールの靴も久々だったし。


 そんな私を殿下は涼しい顔で優しくエスコートして下さった。私が歩き易いようにしてくれて、はっきりと彼の気遣いを感じる事が出来た。うん……。この人、気遣いが出来ない人じゃないのよね。それなのにどうして、婚約の件については誰の聞く耳も持たないのかしら。


 拍手の中、美しいドレス姿のご婦人や、凛々しいスーツ姿の貴公子達に出迎えられ、囲まれる。


「王太子殿下。ご婚約おめでとうございます」「突然の発表で驚きました」「もっと早くに言っていただければ贈り物も持参致しましたのに」「めでたい事ですな」


 と口々に祝福の言葉が掛かる。が、誰も私に直接声を掛けて来ない。チラッと見られるばかりだ。それはそうよね。誰も私がどこの誰なのか分かっていないに違いない。


 アーバイン殿下はひとしきり掛けられた祝福の声に頷くと、私の手を取って自分の前に出し、腰を抱き寄せた。


「彼女が、私の婚約者。エステルだ。エステル・ブランビア・フィレックシア。覚えている者もいるだろう?」


 殿下がそう言った瞬間、何人かのご婦人が悲鳴を上げた。なに? 私がそちらの方を向くと、そこには私と恐らくは同年輩の女性が立っていた。……もしや……。


「え、エステル、なの?」


「そういう貴女はレイナーデ?」


「そ、そうよ! や、やっぱりエステルなのね!」


 レイナーデは驚愕の悲鳴を上げた。彼女は、貴族令嬢時代の私の友人の一人だった。没落と同時に連絡が取れなくなってしまったけど、それまでは何度もお茶を楽しんだ間柄だ。


 レイナーデは駆け寄るように私に近付くと、頭の上から靴先まで私の事をマジマジと見回して、再び悲鳴を上げた。


「その赤毛、山吹色の瞳! 間違いないわ! い、今まで一体どこにいたの!」


 えー、その、没落して庶民生活をしてましたとは言い難いわよね。それに……。


「お手紙は何回か出したんだけど……」


「え? そんなの届いていないわよ! ずいぶん心配したのよ!」


 どうやら、彼女の家に届いた私の手紙は、彼女の元には届かなかったらしい。それはそうかもね。大事な娘に庶民落ちした娘と関わって欲しくないとご両親が思っても仕方がない。


 レイナーデが泣いて再会を喜んでくれたことで、彼女の夫やその他の皆様も幾分かホッとした様子で私に挨拶をしてくれた。元友人は他にも何人かいて、中にはあからさまにヨソヨソしい人もいたけれど、概ね再会を喜んでくれた。


 しかしながら再会を喜んでくれたレイナーデも、私が王太子殿下の婚約者として紹介された事には戸惑いを隠せなかったようだ。


「え? 一体、どういうことなの? フィレックシア伯爵家は取り潰しになったのよね?」


 他の皆様も概ね微妙な表情を隠せないでいた。一人心からニコニコしているのは王太子殿下だけだ。


 その表情と、殿下が私を抱き寄せて王族で入り口から入ってきた事で婚約の話は冗談でも何でもないと理解は出来ても、取り潰しになった筈のフィレックシア家の娘がどうして王太子殿下の婚約者に収まっているのかは理解できないだろうね。


 その辺の説明は、私たちの後からご入場なさった国王陛下がして下さった。


 つまり、フィレックシア家の取り潰しが撤回されていたこと。私の貴族身分も復活していたこと。それで王太子殿下の長年の想い人である私を娶る条件が整ったので、ロマーニャ公爵家に養子入りした上で、婚約する事になったこと。これらを国王陛下は「王太子のたっての希望」「王太子は長年エステルの事を想っていた」と強調しながら発表した。


「二人の前途を、皆で祝福して欲しい」


 と国王陛下がいうと、一応は盛大な拍手が大広間を満たしたので、一応は皆様祝福をして下さったようだ。もちろんそんな単純な話であるわけがないけどね。


 ダンスの時間になるまでは挨拶の時間だ。ゆったりとした音楽に乗って歩きながら、王太子殿下は出席者と挨拶を交わす。当然私も逃げ出せる訳もなく、殿下のお側におりますよ。


 当然だけど皆様私にもご挨拶を下さり、いろいろ質問をして来るわけですよ。


「今までどこにいたのですか?」「殿下とはどこで知り合われたので?」「いつプロポーズされたのですか?」「お父様お母様はどこに?」


 ……何も答えられない。いえね「庶民として下町で暮らしていました」「殿下とは殿下が三歳の時に一緒に遊びました」「プロポーズなんてされてません。強制的に王城に連れて来られたら婚約は決まっていました」「お父様とお母様は今は地方で農魚をやっています」と答えられなくはないけども。……色々差し障りがあり過ぎて答えない方がいいと判断しました。私が。


 なので私は曖昧に笑顔を浮かべながら。ゴニョゴニョと誤魔化すしかなかった。はっきりしないというか、怪しい女だと思われたんじゃないかしらね。


 そんな風に挨拶を受けて。さてそろそろダンスのお時間になりそう、というタイミングになった。当たり前だけど、私も踊らなきゃいけないんだろうなぁ。殿下と。七年も踊った事がないのに。


 と久しぶりのダンスに戦々恐々としていた、その時だった。


 私と殿下の前に一人の少女が立ち塞がった。私は驚いて足を止める。挨拶にしては通せんぼとは無作法ね。しかし彼女はスカートを摘む事もなく腕組みをしたまま私を睨んでいる。


 ふわふわの亜麻色の髪を靡かせた、それはそれは可愛らしい少女だった。目は大きくて青い。少し膨らませた頬はツヤツヤだ。小柄な身体に薄桃色のドレスがよく似合っている。


 あまりの可愛らしさに私は思わず頬が緩んでしまった。


「あら? どうしたの? 迷子なの? お名前は?」


 思わず私は下町で小さな子を見つけた時のノリで声を掛けてしまった。少女が愕然としたような顔をする。


「だ、誰が迷子ですか!」


 そりゃ、舞踏会で迷子はなかったわね。なにしろ十三歳未満、つまり成人していない子供は参加できないのだから。つまりこの小さい娘も一応は成人しているのだろう。


「ごめんごめん。それで? なんのご用?」


 私は腰を屈めて目線を彼女に合わせながら言った。完全に子供への対応だけど、考えてみれば、私にとって十三歳は十二歳も年下なのである。子供にしか見えなくても当たり前なのだ。


 少女は顔を真っ赤にしてうぬぬぬぬっと唸った。そして叫んだ。


「私はロブライヤー侯爵家のエリーレイよ! 王太子様の婚約者候補の!」


 ……え? 婚約者候補? こんな小さな娘が? 


「私が王太子妃になるのよ! なのに何よ! 貴女はなんなのよ!」


 エリーレイ様は激昂して、地団駄を踏みながら叫んだ。それは叫びたくもなるだろう。こんな可愛らしい少女なら、実に王太子妃に相応しいと私も思うもの。


「誰が認めても、この私が認めないわ! 貴女が王太子妃なんて! 今すぐ私にその場を譲って、?ここから出て失せなさい!」


 ……どうやら、ここは修羅場のようである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る