四話 執着の元凶
お風呂に入れられて、色々処理されて、なんだか身体の皮が一枚むけちゃったんじゃないかというほど擦られ揉まれすり込まれ、ようやくお風呂は終わった。侍女に世話されてお風呂に入るなんて没落前以来だから、身体の任せ方なんて忘れたわよね。そもそも庶民はお風呂になんて入れない。お湯で身体を拭く位がせいぜいなのだ。
絹の下着とコルセット。何枚もペチコートだのパニエだのを着た上から、青いドレスを着せられる。聞けば流石にオーダー品ではなく(サイズをどこから確認されたんじゃなくて良かった)微妙な調整が出来るドレスなのだそうだ。
お化粧もされてなんだか高そうな宝飾品を色々着けられたら完成だ。姿見を持って来られて確認される。
「これで如何でしょうか?」
……すっごく久しぶりのドレス姿に思わず見入る。感想は……。老けたわね。私。
そうよねぇ。七年ぶり。当時は私は十八歳。若かったなぁ。それに苦労知らずの伯爵令嬢で、こんなに顔がやさぐれていなかったんじゃないかしら。それは今の私の気分が実に複雑なものだったからでもあると思うんだけど。
さて、ドレスに着替え終わってすぐに、アーバイン殿下がお部屋にやってきた。貴族姿の私を見てウンと軽く頷いて「綺麗だよ。エステル」とだけ言うと、私の手を取った。……ずいぶん淡泊な反応だけど、この人にとって私の格好なんてどうでも良いという事なのだろう。なにせ私が部屋着のボロ服を着ていても全く不快感を示さなかったしね。
考えてみれば不思議なんだけど、アーバイン殿下とは十二年もの間お会いしていなかったのだ。人間、十二年もあれば誰だって大きく変わる。現に可愛い小さいおちびさんでしかなかったルークが、キラキラした美青年であるアーバイン殿下に変貌していて、私は戸惑っている。私だって大きく変わったと思うのよね。
しかし、殿下には気にした様子は見られない。なにしろ彼は最初に私を見て「エステルだ。間違い無い」と言ったのだ。小さい頃に見たお姉さんを、大人になってから見て判別など付くものなのだろうか。
私は殿下に手を引かれて廊下を歩きながら、その辺の事を尋ねてみた。
「それにしても、よく私の事が分かりましたね。子供の頃とは顔も変わったし、庶民の格好をしていたのに」
当時の私は王城に上がるのだからとお洒落をしていたのだ。いつもフワフワなドレス姿だった筈だ。
「それは、分かるさ。いつも君の事を考えていた。大人になったらこんな風になっているだろうなといつも想像していた。その想像通りだったからね」
……普通は想像とかけ離れているものなのではないだろうか。しかし殿下曰く、色々想像していた例の一つが一致したという事で、完璧な予想をしてピタリと一致させたという訳ではないそうだ。一体全体、いくつの私が想像されていたのか。そして、どれほどの時間を掛けて想像をしていたのだろうか。
「それに、目がね。変わらなかったエステルねーさまはいつも目が綺麗だった。それに私をいつもはっきり見詰めてくれた」
そうだったかなぁ。王族の顔を直視するなんて本来は不敬なんだけど、子供だった私は遊び出すと遠慮がなくなって、ルークと抱き合ったり時にはほっぺたを引っ張ったり、転げ回ったりして遊んだのよね。確かに遠慮無く彼のぱっちりとした紺色の瞳を見詰めていた思い出はある。
そして庶民は相手の目を直視するものだ。相手から目を逸らすと、その人に怖れを抱いているとか隠し事をしていると思われちゃうからね。特に初対面の相手から目を逸らしたらダメだ。初手から舐められてしまう。なので私は確かにあの時、アーバイン殿下の目をジッと見詰めた。
全然違う考えで、それでも同じように彼を遠慮無く直視したことで、彼は私が私であり、変わっていないという確信を得てしまったようだった。勘違いなんだけど、それを指摘するのはなんだか憚られた。
まぁ、事前に家臣に調べさせ、間違い無いことを確認してもいたのだろう。下宿屋と代書屋にもそれなりに調査が入っていたのは間違い無い。ひょっとしたら、何年も監視もされていたのかもしれないわね。そう考えるとちょっと気持ちが悪くて震えてしまうけども。庶民として呑気に暮らしていた私なのに、陰ではそんな事になっていたなんて。
げっそりしたけど表面上は取り繕って、アーバイン殿下に手を引かれ、私は廊下を進んで王城の奥に入っていった。王城の奥は国王陛下ご家族のプライベートエリアだ。
ああ、思い出した。最初は王城内で道に迷って、私は王城の奥に無断で入っていってしまったのだ。そしてそこでルークと出会った。たまたま出会ったよちよち歩く姿が可愛くて、私は喜んで遊んであげたのだった。
すると次はルークの所に黙っていても案内されるようになったのよね。今考えるとあれはなんだか不思議な話だった気がする。だって王城の奥は普通に立ち入り禁止で、舞踏会などで行っても警備の兵士に阻まれて入れなかった。そう、成人してから私は何回かルークに会いたくなって、王城の奥の間に行こうとしたのだけど、入れなかったのだ。
私たちは王城の中庭に面したサロンに案内された。大きなガラス張りのバルコニーが庭園に張り出していて、そこに二人の人物、男女が座っていた。
流石に誰だか紹介されなくても分かる。私は視線を伏せ、スカートの裾をもって膝を沈めた。無意識にカーテシーが出来たことに自分で驚いたわよね。
「国王陛下と王妃様にご挨拶を申し上げます」
くつろいだ格好をなさっていたけれど、間違い無く国王陛下と王妃様だった。二人とも年齢は四十代前半。金髪と紺色の瞳、つまりアーバイン殿下とそっくりの見た目なのはエーデレイス国王陛下。栗色のウェーブした髪が美しいのが王妃様であるウエーレン様だ。何回かはご挨拶をしたことがある。
国王陛下も王妃様もニッコリと笑って頷いて下さった。まぁ、笑顔は貴族の嗜みだから、何考えているかは分かったものではない。その点庶民は作り笑いなんかほとんどしないから、相手の顔色を読むのも楽なのよ。
国王様と王妃様に勧められて私はアーバイン殿下と並んで腰掛ける。私も社交笑顔を必死で浮かべたわよ。アーバイン殿下だけは掛け値無しの笑顔で、それは幸せそうに私をお二人に紹介していた。
「ようやく連れてきましたよ、エステルです。父上も母上も覚えているでしょう?」
ああ、と国王陛下は頷いた。
「覚えているとも。この度は済まなかったね、エステル」
なんで国王陛下が謝るのかが分からず、私は目を瞬く。
「フィレックシア家の件だ。ちょっとこちらも混乱していて、君に伝えるのが遅れたようだ」
「いえ、お父様とお母様が私に伝えなかったのが悪いのです。それに、私は別に困っていませんでしたから……」
私が慌てて言うと、国王陛下の眉がピクッと動いた。
「困っていないか……」
国王陛下はウーンと唸ると、やおらアーバイン殿下を見詰めて言った。
「ルーク。お前はやはり外せ。エステルとちょっと話がしたい」
国王陛下の提案に、アーバイン殿下は渋い顔になってしまった。
「どうしてですか? 私の婚約者なのに」
「その婚約の話で、エステルと話をしたいのだ。お前がいると詳しい話が出来ぬ」
「別に私のいるところですれば良いではありませんか」
「だから、お主に聞かせたくない話もあるのだ」
と、国王陛下と王太子殿下は揉めて言い争いを始めた。それを見ながら王妃様は頭が痛そうな顔になってしまう。
やがて王妃様は国王陛下と王太子殿下にこう言った。
「分かりました。では、私がエステルと別室で話をしてきます。直ぐ戻りますから貴方達はここで待ちなさい」
「母上、しかし……」
「黙りなさい! 女性同士でしか出来ない話があるのです!」
王妃様は母の怖さでアーバイン殿下を黙らせ、私を促してサロンを出て別室に向かった。
続き間を幾つか抜けた先の、恐らく王妃様の私室にほど近い小部屋に私は案内された。私は緊張していたけど、もうどうにでもなれ、という気分でいたので黙って付いていき、勧められるままに椅子に腰を下ろした。
「……どうやって息子を誑かしたの?」
開口一番これだ。私は即座に反論した。
「誑かしていません。王妃様、これはですね……」
私は良い機会だと思ったので事情の説明を始めようとした。しかし即座に王妃様に止められた。
「分かっています。言ってみただけです」
……なんですかそれは。呆れる私に王妃様は眉間を指で揉みながら、唸るように言った。
「知っています。あの子が迷惑を掛けたようですね。母として謝罪します。それと、よく自発的に王城まで来てくれました。来なかったらあの子は兵士を繰り出してでも貴女を無理矢理攫ってきたでしょう」
……そんな感じはしていました。私が不満を抱えながらも素直に殿下の言う事に従ったのは、彼が拒否しても聞きゃしないだろうと思ったからなのだ。
もしも王子が庶民の娘を攫ったなどという事になれば、これは立派な醜聞になる。王妃様としては我が意を抑えてこれを阻止してくれた私には素直に感謝したいと思ったのだろう。
「どうしたものか……。貴女だって、自分の生活があるでしょうに。無理矢理連れて来られてしまって……」
王族である王妃様が私の状況を案じて下さるのは驚きだった。王族なれば庶民の都合など踏み潰すのが当然と考えていると思ったのに。
ただ、考えて見れば、王族だって庶民の生産の上前をはねて生きている面があるので、庶民への理解は必要なのだ。庶民に無理をさせ続けた結果、農民が逃散したり町民が暴動を起こしたりする例は後を絶たないわけで、そういう事を防ぐには、庶民の事を一応は案じないといけないのだろう。王族の我が儘で庶民の娘を攫うなんて醜聞は、下手をすると庶民の反王族感情に火を付けるその火種になりかねないしね。
「どうしたことか、あの子は昔から貴女ずいぶん拘っているのです。……いえ、その、理由は分かっているのですが……」
分かっている? どういうことなのか? 私が首を傾げると、王妃様は言いにくそうに仰った。
「元々は内城に迷い込んできた貴女がルークと遊んでいるのが微笑ましくて、私が伯爵に頼んで連れてきてもらっていたのが発端です」
私がルークと遊んでいたのを目撃した王妃様は、その可愛らしい姿に感動し、私がお城の国王様居住区(内城)に立ち入る許可を出し、お父様に頼んで頻繁に王城に連れて来させていたそうだ。それで私はルークと遊ぶようになったのである。
「そうしたらルークが貴女に懐いて、もう毎日貴女の話しかしないのです。今度はねーさまはいつ来るのか、今度来たらこうして遊んでもらおう、一緒にお菓子を食べるんだ、とね」
私と会うのが楽しみ過ぎるあまり、三歳くらいから始まった行儀作法教育などにはさっぱり身が入らず、それを見た王妃様は「ちゃんと教育を受けないと、もうエステルねーさまには会わせませんよ、と脅したそうだ。
すると真剣に教育を受けるようになったのだけど、より一層私への愛着は強くなってしまった。寝言でもエステルねーさまの名前が出るようになり、私が来ない日は泣いたり癇癪を起こしたりするのに、私の顔を見た瞬間ニコニコになるようになった。
あまりに私に固執する姿を見た王妃様は、だんだんこれは良くないと思うようになったのだそうだ。
なにしろ私は伯爵令嬢。しかも八歳も年上。どう考えてもお妃候補には出来そうも無い。それなのにルークはもう私に会うためならば何でもするという感じになっていたそうで、そのあまりの執着ぶりに王妃様は怖れをなした。これは早めに引き離しておくに限ると思ったのだそうだ。
「それで、貴女の成人を機に貴女たちを引き離したのです」
私の内城への立ち入りを禁止し、ルークに会わせないようにした。なるほどね。そういう事情があったのか。
「そうしたらね、ルークは泣きに泣いて怒ってしまって大変だったのです。貴女に会いたがって食事も摂れないほど憔悴してしまった」
……どんだけだ。その頃の私は社交界デビューして、緊張するは忙しいはでルークの事はほとんど忘れていたと思うのに。彼だけは私を想って泣いていたというのだ。なんだか自分がとても薄情な人間な気がしてきた。
あまりに酷い落胆ぶりに、王妃様はつい情け心を出してしまった。
「『一生懸命勉強して、立派な王太子になれば、エステルにもう一度会わせてあげますから』と言ったのです。ルークは『本当ですね! 絶対ですよ!』と私に念押しして、それでなんとか立ち直ったのです」
それ以来、彼は教育と訓練に邁進して、文武両道の素晴らしい王子様に育ったのだそうだ。遅くに生まれた一粒種の立派な成長に、国王陛下も王妃様も大喜びした。のだけど。
「その内忘れると思ったのに、五歳から成人までの八年間。『エルテルねーさまに会えるまで後何年何ヶ月』と言い続けたのですよ」
王妃様が嘘を吐いていないかどうか確認するためだろうか、食事の席で自分が如何に私と再会するのが楽しみかを語り、後どれくらいでねーさまに会えると言い続けた。それを聞く度に王妃様の胃は痛かったそうだ。
「……まぁ、貴女は七つも年上でしたし、ルークが成人するときにはとっくに結婚している筈でした。人妻になった貴女とルークが再会しても別に問題は生じませんでしょう。……そう思っていたのに……」
私はなかなか結婚せず、そして起きたのがフィレックシア伯爵家も巻き込まれた詐欺騒動だ。これは王国貴族界の大問題で、我が家だけでは無く幾つかの家が没落してしまった。その対応に忙殺された国王様と王妃様は大忙しになり、気が付いたらフィレックシア家は没落して私は社交界から消えてしまっていたそうだ。
王妃様は大いに困ったそうだ。殿下は相変わらず私との再会を楽しみにしている。楽しみどころか大きくなるに従い「私はねーさまと結婚するのです」などと言い始めている。再会どころか社交界から消えて行方不明だなんて事になったら、アーバイン殿下が何をしでかすか分からない。
王妃様は調査に人を出して、私が下町で無事である事は確認したそうだ。特に困窮している様子も無いとも聞いて胸を撫で下ろしたらしい。しかしそれ以上はどうしようもない。殿下には黙っているしかなかったそうだ。
「成人して社交の場に出ると、ルークはすぐに貴女を探しました。そしてフィレックシア家が没落して貴女がいなくなっている事を知ると激怒しました」
『なんですぐに私に教えてくれなかったのですか!』と王妃様は随分と責められたらしい。今にも王城を飛び出して捜索の旅に出掛けそうな殿下の様子に、観念した王妃様は私が庶民として無事に暮らしている事を教え、殿下に諦めるように勧めたそうだ。王族と庶民とは身分差があり過ぎるから対面するのも難しい。まして結婚など不可能だ。
もちろんアーバイン殿下が諦める筈はなかった。彼は自分でも私の事を詳細に調べさせ、私がまだ結婚していない事を知ったようだ。
そこからは本気で私を妃にするために動き始めた。短絡的に私を攫ってきて娶るような事をしなかったのは彼の有能さを如実に表しているのだけど、その有能さで彼は必死に私を貴族身分に復帰させる道を探ったそうだ。幾つか方法はあったけれども、一番良い方法はフィレックシア伯爵家の取り潰しを撤回させる事だ。
殿下は旧フィレックシア伯爵領を調べてそこに有望な鉱山がある事を発見した。彼はこれをもって国王陛下と交渉してフィレックシア伯爵家の取り潰しを撤回していただく事に成功したのである。国王陛下は殿下の私への執着を知っていたので、本当は撤回したくなかったのだけど、実際発見された鉱山を開発すれば貴族の間からも取り潰し撤回を求める声が出たろうから仕方がないと考えたそうだ。
これで私には貴族身分が戻って来た、その上で殿下はロマーニャ公爵家と私の養子入りについての話も付け、貴賤結婚の問題も解決してしまった。
そして完璧に準備を整えた状態で国王陛下と王妃様に私を王太子妃として認めるように迫ったのだった。お二人としては彼に私との再会を約束していたのに、フィレックシア家が没落した際に殿下に教えなかったという引け目がある。それで最終的には殿下に押し切られる格好になったそうだ。
「とにかく貴女が関わると、あの子は人が変わるのです。貴女を失ったら何をしでかすか分かりません。それなら多少の無理は承知で、貴女を妃に迎えた方が我が国の将来の為には良いと判断しました」
……王妃様の言葉に私はもう頭を抱えるしかなかった。
「……全部の元凶は王妃様じゃないですか」
王妃様が妙な私をダシに殿下と変な取引をしたからいけないのよね、これ。
「……まったくです」
私と王妃様は向かい合って椅子に座ったまま、そっくりな格好で二人して頭を抱えてしまったのだった。
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