二話 執着王子
……突然のプロポーズの後、私はアーバイン殿下を部屋の中に招き入れて椅子を勧めた。王太子殿下には申し訳ないような木を乱暴に組んだ丸椅子だ。他に椅子が無いのだから仕方が無い。私はベッドに腰掛ける。私は額に人差し指を押し付けて、グルグル回る頭の中をなんとか整理した後、殿下に向けて言った。
「正気ですか?」
王太子殿下に対して無礼極まりないとは思うけども、それしか言葉が出なかった。しかしアーバイン殿下は蝋燭の灯りの下でニコニコと笑って頷いた。
「正気だとも」
「そうは思えませんよ。庶民落ちした八歳も年上の私をお妃に迎えようだなんて。無理に決まっているではありませんか」
無理とかそういう以前の問題だ。
「無理でも何でも、私は本気だ。私は子供の頃から君を妃にすると決めていたのだから」
殿下は大真面目な顔で仰った。……こんな美男子に真剣に愛を告白されれば頬は熱くなるものの、さりとてそれで彼の胸に飛び込めるほど、話は簡単では無いし私も単純では無い。
「そんな事が出来る筈はないではありませんか。考えて見て下さい。私は庶民ですよ? 伯爵令嬢だったのは昔の話です。それに、たとえ伯爵令嬢でも殿下とは身分が釣り合わないでしょう」
王族のお妃様は王族の係累から迎えるのが当たり前だ。尊い血を薄めないために。それと、王族の権力の分散を防ぐという意味合いもある。
私の言葉に殿下は頷いた。
「確かにその通りだ。しかし、その辺りはもう解決済みなのだ」
王太子殿下の不思議な台詞に私は訝る。解決済み、という言葉にはなんだか不穏な空気があった。なんというか、アーバイン殿下は衝動的にここに来たのでは無く、色々準備万端整えて私をここまで迎えに来た、というように聞こえたのだ。
実際、アーバイン殿下はスラスラと言った。
「王族では何代かに一回、血が大きく離れた一族から妻を迎え入れる。これは、あんまり血が濃くなり過ぎると弱い子が生まれ易いからだな」
まぁ、それはそうね。近親婚をあまり続け過ぎると良くないというのは、庶民だって知っている。その害を防ぐために、適度に離れた血筋の妃を迎え入れているのだろう。私の実家の一族は確かに王族の血がほとんど入っていない筈だ。それは言い換えればこの国の貴族の中では傍流の一族なのだという事になるんだけど。
「だから、君を妃に迎え入れるのは問題が無い。私の父と母はいとこで血が近過ぎたからな。ここで一度遠い血を入れる必要があったから丁度良いのだ」
公爵、侯爵家は王族と近く、つまり血が濃すぎる。その場合は伯爵家から妃を娶った例が今までも何度かあったのだそうだ。それは知らなかった。けど。
「それにしても私はもう伯爵令嬢ですらありません。貴族身分は返上して庶民に落ちているんですよ?」
私の名前は貴族名簿からも消されている筈だ。七年も前に。いくら何でも庶民の私が王族の妃になれるわけがない。
しかしながら殿下の笑顔は小揺るぎもしなかった。
「そんなもの、養子に入れば良いのだ。伯爵令嬢が王族に嫁ぐ時には公爵家の養子になってから嫁ぐ事になるのだから同じ事だな」
伯爵令嬢と王族の結婚は貴賤結婚で、そのままでは認められない。そのため、嫁入り予定の令嬢は公爵家と養子縁組みして、それから公爵家の人間として王族に嫁ぐのだ。ああ、だから私が伯爵家から王族に嫁いだ前例を知らなかったんだ。王族の家系図では「○○公爵家出身」という事になっていたから。
「だから今は君も公爵家に迎え入れてから、私の妃になることになる」
どうせ公爵家に養子入りするという身分ロンダリングをするのだから、元が伯爵令嬢でも庶民の娘でも関係無いと仰る。いやいやいやいや。
そんな訳がない。殿下が許しても他の誰もが許さないだろう。庶民が王族と結婚などしたら王族と貴族の権威が暴落してしまう。高貴な方々は庶民とかけ離れた位置にいるから高貴なのであって、庶民に近しい親しみ易い王侯貴族など、庶民に舐められるだけで良いことは無い。
殿下が庶民の私と結婚したなどという事になれば、貴族達は不満を持つだろう。反乱さえ誘発しかねない。そんな事を国王陛下以下、王族の皆様、高位貴族の皆様が承知するとは思えないわよね。
しかし殿下は悠然と構えたままこう言った。
「大丈夫だ。父上母上は承認して下さった。他の大貴族も概ね了承は取れている」
は? 私は思わず口を開けたまま固まってしまった。な、なんですと? もう国王陛下や王妃様や、上位貴族の皆様の了承が取れている? な、なんですかそれは!
「簡単に言えば、君の貴族身分はまだ残っていた。フィレックシア伯爵家は実はまだ存在するのだ」
え? 実家がまだ貴族として残っている? なんですかそれは?
「フィレックシア家が大借金を抱えて破産した際、本来であれば借金を国が肩代わりするのと引き換えに、フィレックシア家は取り潰しになる、筈だった」
そうですね。そう聞いています。その上でお屋敷から領地から何もかも借金のカタに王家に差し出して、私達家族は何とか首を飛ばされるのを免れたのだ。しかし後には何も残らず、私は庶民になるしかなかった。
「ところが、フィレックシア家の領地を調べていたら、領内から有望な鉄鉱山が発見された」
「え?」
「その鉱山の価値はフィレックシア家の借金を帳消し出来る価値があった。それで、父上はフィレックシア家の貴族身分の取り消しを撤回したのだ」
し、し、知らなかった! まさかそんな事になっていたなんて!
しかしながら実はその事が分かったのは、ほんの二年前の事で、それまでは確かにフィレックシア家は取り潰され家名は王家預かりになっていたらしい。多分、お父様には通知が行っていたと思うんだけど、私の所には来なかったのだ。
「まぁ、貴族身分は戻っても、資産も領地も戻った訳ではない。家名と伯爵身分だけはあっても意味は無い。それで君の父上は君に事情を説明しなかったのだと思うぞ」
伯爵には国から結構な額の年金が支給されるのだけど、地方の親戚に頼って生活しているお父様お母様なので、その年金で一息吐くくらいしか出来なかったのだろうね。帝都に戻るほどの余裕はなかったのだと思われる。
「しかし、この事は私にとっては大きな意味があった。全くの庶民では流石に無理だが、名前だけでも伯爵家令嬢の地位が君に残っているのなら、君を娶る事が出来るからな」
殿下曰く、二年前までは私を妃にしようにも、庶民相手では流石にどうにもならず、国王陛下や王妃様と談判しては断られる日々だったらしい。それが、私に伯爵令嬢の地位が残っている事が確定して、一気に殿下の希望の実現性が高まったのだそうだ。
そこからは殿下は精力的な活動を繰り広げ、国王陛下や王妃様に過去の実例を上げて説得し、高位貴族に熱心に根回しをし、二年がかりで宿願の実現に向けて邁進したのだ。それで先日、最後まで反対していた国王陛下が折れて下さって、私を妃に迎える事が正式に認められたのだというのだ。
……なんという事でしょう。
私は両手で頭を抱えてしまった。衝動的なんてとんでもない。アーバイン殿下の話からすると、殿下はそれこそ私が庶民落ちしてすぐぐらいから私を妃にすべく活動を始めていたような感じである。庶民落ちした私を王族が娶るなど無理に決まっているにも関わらず、強硬に「エステル以外とは結婚しない!」と言い張って国王陛下や王妃様を困らせていたようなのだ。
王子が血の遠い妃を迎える場合、身分低い相手から迎えるよりも他国の王族から迎える事の方が多い。アーバイン殿下にも当然それが期待されていたことだろう。伯爵家だって実家よりも格上の家はいくらでもある。何も没落して名ばかりになっていたフィレックシア伯爵家の娘を娶らなくても他に候補はいくらでもあるのだ。それなのに殿下は何が何でも私を娶ると頑張ったらしい。
しまいには自分が庶民に落ちるとか、エステルを連れて他国に駆け落ちするとまで叫んだそうで、王族唯一の男子であるアーバイン殿下にそんな事をされたら王族は滅んでしまう。国王陛下も王妃様もそれは困って悩んだわよね。なんというか、全面的に私のせいではないのにもの凄く申し訳無い。
「……なんでそんなにまでして……。私、殿下とはよく遊びましたけど、それはなんというかたまたまで、そんな下心は無かったというか」
私が殿下、ルークと王城で遊んだのは、私が王城によく行ったからだった。お父様が国王陛下の大臣を務めていた関係で、お父様が登城する時に付いていったのである。実はこのように家臣の子供が王城に遊びに行くのは珍しい事では無く、十三歳で成人する前の子供達は王城に行って、そこで子供同士で交流を行うのである。この際にはあんまり身分の事は煩く言われない。そうして素の状態で関係を形作った上で大人になると、貴族同士の関係が上手く行くらしい。
それで私も王城に上がって他の貴族の子供達と仲良く遊んだのだった、その時よく遊んだのがルークだった。というのは、当時私は身体が弱くて、他の子供達のように走り回って遊ぶことが出来なかったのよね。それで、子供達の中で一番小さかったルークが一番の遊び相手になったのだ。
ルークが一番小さかったのは、流石に五歳前の小さな子供を王城に連れて行くのは何処の家も遠慮したからだ。ルークだけが例外だったのである。王家の子供だから王城は自分の家だからね。そもそもルークは子供達が集められて遊んだり、教師が来て勉強を教えてくれる場所にはほとんどいなかった気がする。多分、居室にいて私がそこに行って彼と遊んだのだった。今ではぼんやりとしか覚えていないけどね。
ルークはまだ本当に小さくて可愛くて、一緒に積み木を積んだり、ボール投げをしたり、板に炭で絵を描いてお互い真っ黒になったり、彼を抱っこして一緒に寝たりしたわね。そうしたら彼のおねしょで私の服が濡れてしまい、二人で大泣きした事もあったっけね。懐かしいなぁ……。
つまり、完全に幼児と子供の交流だったのだ。私にとって彼は小さな弟のような関係で、そもそも当時の私はルークが王子である事もうっすらとしか認識していなかった。なのでもちろん、自分が彼のお妃になろうと考えた事なんてなくて、そんな約束もした事はなかったと思う。幼かった当時の彼は「結婚」という言葉すら知らなかっただろうに。どうしてこうなった。
「そうだな。私もあの頃はそんな事は考えていなかった。段々、変わっていったのだ……」
殿下のお話では、私と遊んだのは本当に楽しい思い出で「エステルねーさま」に会えるのが楽しみで仕方がなかったらしい。一緒に遊んだ期間は二年くらいだったと思うのだけど、その後私は十三歳の成人、社交界デビューを迎え、貴族令嬢教育、嫁入り教育が本格化してルークの所には行かなくなった。それがルークには悲しく、なんで来てくれないのかが分からず、毎日泣き暮らしたのだそうだ。……なんだかゴメン。まさかそんなに慕われているとは全く思っていなかったのよ。
自分が成長すると事情が段々分かってくる。それで自分も大人になれば、早く大人になればエステルねーさまに又会えると、王太子教育をそれはもう頑張った。そして十三歳になり成人、そして立太子されて社交界に出て、私を探したときには、私は没落してしまってもうそこにはいなかったという訳だった。
……ちょっと待って? 殿下と遊んでいたのは殿下が三歳からせいぜい五歳くらいまでよね? 成人の十三歳まで八年もある。その間、ずっと私を想っていたというの? 執念深すぎるんじゃない?
そう彼は執念深い。執着が過ぎるともいう。私が没落して三年も前に庶民落ちしてしまった事を知ったアーバイン殿下は直ぐさま人を出して私を探し出し、私が無事だと分かると一安心、そこから私を妃にするために必死で運動を始めたという事だった。
「元々は君を妃にするつもりは無く、もう一回会いたいという一心だった。でも、君が誰の物にもなっていない事が分かると、どうしても自分の物にしたくなった。君が誰か他の男を好きになって幸せになっていたのなら諦めたのだか、そうでなかったのは神の配剤としか思われぬ」
八歳も年上では、私はとっくに誰かの妻になっている筈だと殿下は思っていたらしい。それでもいいから懐かしい私とどうしても会いたかった。しかし、私はなんと誰の所にも嫁に行っていなかった。それならば大好きな私と結婚して、ずっと一緒にいたい。という風に想いが変質したようなのだ。私は呆れ果てた。
「懐かしさは愛情とは違うものではありませんか。殿下は勘違いしているだけですよ。冷静になって下さいませ」
なにしろ、実際に顔を合わせたのは十六年ぶりなのだ。十六年前の懐かしさだけで王族が妃を娶っていいわけがあるまい。
「しかし、今私は君を目の前にして嬉しい。愛情を感じている。だからどうしても君と結婚したい。というか、もうすると決めている。だからどうか、私と一緒に来て欲しい」
彼は椅子から立ち上がり、ベッドに座る私の足下に跪き、私の手を取ると、その手の平に静かに口付けた。暖か感触に、私の胸は流石に飛び跳ねた。……これは、冗談でも何でも無い。本気だ。アーバイン殿下は本気で私を娶る気なのだ。
何ということか。あの可愛い王子様が、とんでもない執着王子になってしまった。いったいどういう事なの! 私は一体どうしたら良いの!
と心の中で叫んだのだけど、勿論誰も答えなど教えてはくれないのだった。
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