突然身に覚えのない罪で断罪されたので、被害者令嬢と異国で生きようと思います。

宵宮祀花

悪役令嬢は、真実の愛に生きる


「俺は其処の性悪女リーゼ・クローディアとの婚約を破棄し、エリス・フルジエとの婚約を宣言する!!」


 王立魔法学園の、卒業パーティ。

 着飾った令息令嬢が集まるホールのステージで、ディオダール・フィルダニールが高らかに宣言した。


「貴様は俺とエリスが真実の愛を育むのに嫉妬し、彼女に卑劣な振る舞いをしてきた罪がある! よって、国外追放処分とする!!」


 リーゼを指さし、エリス嬢の肩を抱いて。ディオダールは得意げに吐き捨てる。

 王と王妃を招く場であるはずの壇上から突然見下ろされ、慶事の最中にも拘わらず衆人環視の真っ只中で晒し者にされた公爵令嬢、リーゼ・クローディアは、それでも眉一つ動かさずにレースの扇子で口元を隠しながら、密やかに溜息を零した。


(最早これまで、ですわね……)


 いつか、想いが通じるのではと期待していたリーゼの心は、見事に裏切られた。

 想いといっても恋心などという甘いものではない。王位継承権を持つ人間として、最低限身につけるべき教養と振る舞いを自覚してくれるのではという、親心にも似た仄かな期待だ。

 だが彼は、リーゼが忠言すれば「また小姑が出た」と嗤い、エリスと公然で恋人の如く過ごすことに対して慎みを持つよう言えば「俺に選ばれなかったブスの嫉妬」と意にも介さなかった。そうして少しずつ諦念を積み重ね、それでもいつかは……と、そう思って来たのだが、甘かったのだと思い知らされた。

 なにもこのような場でと誰もが思う中、王子は自ら「プライドの高い女はこうしてやったほうが、自分の立場を理解するだろうからな。頭の悪いお前のためにわざわざ場を用意してやったんだぞ。ありがたく思え」と宣った。


「えぇ……? もしかして、余興ではなく本気ですの……?」

「継承権下位のディオダール様に、そんな権限があったとは知らなかったな。まあ、仮に王太子様であっても家同士の婚約を勝手に破棄できるはずないんだが」

「あのはしたない振る舞い……それに、あれでは公爵家を指差すも同然だと理解しておられないのかしら」

「見ろよ、あのエリス嬢のひっどい顔……」

「お可哀想に。とんだ悲劇ですわね」


 ざわめきがホール内を埋め尽くし、王子は皆が断罪された惨めな女を嗤っていると勘違いして、得意げにふんぞり返る。だが、ざわめきの声を一つ一つ拾っていけば、それらは王子の愚行に呆れかえっているものばかり。

 なにより彼が真実の愛を育んできたと思っている男爵令嬢、エリスでさえもが顔を強ばらせて、助けを求める目でリーゼを見つめているのだ。最早泣き出す寸前。目に涙を溜めているというのに、彼はそれをやっとリーゼの悪辣な虐めから解放されて、愛する人と結ばれる喜びの涙だと思っているのだから、おめでたいことこの上ない。


「リーゼ様。あなたは本当に、ディオダール様との婚約を望んでおりますの?」

「っ、わ……わたしは……」

「なにを言う! 当然だろう!! あまりふざけたことを抜かすと騎士共にこの場で切り捨てさせるぞ!!」


 エリスの言葉を遮り、細い肩をぎりりと掴んで、ディオダールが叫ぶ。

 王子個人でなく王家に仕えている騎士に対してもあの物言い。しかも、慶事の場を血で汚すと大声で宣言したのだ。軽蔑の表情が王子に突き刺さるが、彼は全く視界に入っていない様子でリーゼを見下している。

 彼は特別甘やかされて育ったわけではない。他の兄弟と同様に王族としての教育を受けてきたはずであり、王も王妃も誰か一人をチヤホヤするような親馬鹿ではなく、寧ろ歴代の王の中でも特に賢君として誉れ高い人物だ。

 それでも、集団があれば例外があるのは王家でも変わらないらしい。

 貴族や領民からも優れた両親と兄弟の残りカスで出来ていると噂されているほど、あの男は救いようがないのだ。

 彼の教育係が、胃痛や頭痛や突然の法事で次々辞めていくのも納得の、完全無欠の馬鹿王子である。


「わかったらさっさと出て行け!!」

「いたっ……!」


 あまりの力強さと剣幕に、とうとうエリスの目から涙が零れた。

 それに気付いたディオダールが、僅かに手を緩めて逆の手でエリスの顎を掬った。


「ああ、すまない。あの女狐があまりにも馬鹿なことをいうものだから。だが、もう俺たちの愛を阻む者はない。いまここで皆に愛を証明しようじゃないか」

「は、放してくださいっ!!」


 ディオダールの顔が迫った瞬間、エリスは顔を背けて、思い切り彼の胸を押した。しかし、いくら体術や剣術の授業をサボりにサボっている軟弱王子といえど、少女の細腕で突き飛ばせるほどではなく。

 代わりに、バランスを崩したエリスの体が、壇上からふらりと落ちる。


「あっ……!」


 薔薇色のドレスがふわりと靡き、エリスは為す術なく頭から艶めく石造りの床へと落下するかと思われた。ぎゅっと目を瞑り、襲い来るであろう衝撃に耐えようと身を固くしていたエリスだったが、一向にその痛みが訪れない。

 代わりに甘く高貴な香りとやわらかな感触に包まれ、恐る恐る目を開ける。


「っ!? り、リーゼ様……!?」


 エリスの体は、リーゼに受け止められていた。至近距離にサファイアの瞳と月光を縒り上げたかの如き優美な白銀の髪、なめらかな白肌がある。

 まるでお伽噺の騎士のようにふわりと抱き留められ、そっと床に降ろされてもなおエリスは今し方の出来事は夢でも見ていたのではないかと錯覚した。馬鹿王子といたときは一秒たりとも見せなかった、恋する乙女の表情で両頬を押さえてぼんやりしている。


「お怪我はございませんこと?」


 エリスは目を見開いたまま何度も頷き、やがて我に返ると慌てて頭を下げた。夢を見ている場合ではない。


「リーゼ様を下敷きにしてしまうなんて……何卒ご無礼をお許しください……!」

「まあ。お気になさらないで。下敷きにされたのではなく、受け止めただけですわ。それが証拠に、わたくしのドレスには一切の乱れがないでしょう」


 言われてエリスがまじまじとリーゼを見ればレース一つ、装飾の宝石一つ、腰元の大きな造花もリボンも、綺麗に結い上げた巻き髪も、なにもかも乱れていない。

 いくらエリスがリーゼよりも小柄とはいえ、落ちてきた人ひとりを受け止めるのは容易ではないはず。だというのに、リーゼは嫣然と微笑み「可憐な花束が飛び込んでいらしたのかと思ったくらいですわ」と言ってのけた。


「さて。わたくしは最早、斯様な茶番には何の用もございませんけれど、エリス様。あなたはどうなさるおつもりですの?」

「わたしは……」


 チラリと壇上を見上げれば、あれだけ全力で拒絶しても「ちょっと驚いただけ」と自分の元に戻ってくると信じているディオダールと目が合った。


「っ……!」


 引き攣った吐息を漏らして、反射的にリーゼの胸に飛び込んでしまった。リーゼはエリスを抱き留め、震える背を撫でながら小さく溜息を零す。

 この場で正当に慰謝料や婚約破棄に纏わる諸々の話をしても「うるさい馬鹿女」と喚かれるだけで話にならないことは明白である。ならばそれらは後日、公爵家として正式に王家へ訴え出るとして。まずはこの場を収めなければ。


「ディオダール様。この場で婚約を宣言なさるのであれば、エリス様の言葉も皆様に聞かせるべきだと進言致しますわ」

「ふん! また小姑お得意の退屈な小言か。……だが、エリスの愛の言葉が必要だと言うのには同意してやる。さあエリス。お前にも発言を許可しよう。皆に我々の愛を見せつけてやれ」


 ディオダールが上から命じると、エリスは涙目のまま皆に向き直り、良く通る声で言った。


「わたしは……っ、ディオダール様を愛してなどおりません!」


 それは最早、一年間溜めに溜めた悲痛な想いの叫びだった。


「身分違いの方に呼び出されれば断れないと知りながら、何度も何度も呼び出され、その度に情婦のような扱いを受け……試験に向けて勉強がしたいからと申し上げても女に学はいらないと言われて……ディオダール様に呼び出されるようになってから、ディオダール様に色目を使ったからとセレナ様たちに制服や教科書を破られる虐めも始まって……いいことなんて一つもありませんでした……!」


 エリスが思いの丈を必死に訴えると、ホール内は水を打ったように静まり返った。そしてバッと布が翻る音がして、ある令嬢たちに注目が集まる。

 セレナ嬢は、この茶番劇のあいだもずっとエリスを睨みつけ、リーゼを嗤っていたオキサジオ子爵の令嬢だ。


「な、なによ……そんな卑しい身分の女の戯言を信じるって言うの……?」


 顔を青ざめさせ、口の中で反論を呟くが、非難の眼差しは消えない。それどころか非難と侮蔑の視線は倍増した。なにせ、彼女曰くの『卑しい身分』である男爵家は、この場に山といるのだから。


「う、嘘だ! リーゼ! お前はダンスパーティのときだってエリスにドレスに品がないだとか似合ってないと嫌味を言っただろう!?」

「あれはエリス様に意見を求められたので、正直に申し上げたまでですわ。彼女には露出の少ない淡い色のドレスのほうが似合っていると思いましたものですから」


 リーゼの腕の中で、エリスが何度も頷いている。

 エリスは小柄で胸もあまり豊かではない。谷間を強調するドレスでは却って貧相に映ってしまう。デコルテを華やかに演出しつつ胸を隠すドレスのほうが彼女の体には合っていると言ったのだ。

 更に当時のやり取りを聞いていた令嬢たちからも「確かに随分と下品でしたわね」「流行などまるで考えられていなくて、商売女のドレスかと思いましたわ」「確か、エリス様もリーゼ様が考えてくださった淡い色のドレスのほうが好きだと仰っていたはずですわ」といった証言が上がる。

 エリスがパーティの度に着ていたドレスは、ディオダールが贈ったものだった。

 歯の浮くような台詞と共に、流行もなにもない背中がざっくりあいた胸を強調するデザインの、それはそれは華美がましい薔薇色のドレスばかりを贈られていて、正直うんざりしていたのだが。そんなことを王子相手に下級貴族令嬢如きが言えるはずもなく。引き攣った笑みでありがとうございますと受け取るしかなかった。

 しかも受け取ったら受け取ったで、セレナからの嫌がらせに拍車が掛かるのだから全く以て百害あって一利なし。エリスにとっては呪われたドレスも同然だった。


「そ、それに、俺が中庭でデートしているときも分を弁えろとかいちいち口出ししてきて……慎みがどうとか、口うるさく言われるほどのことはしていないだろう!」

「婚約者がいる身でありながら、人目につく場所で他の女性を膝に乗せてお茶菓子を手渡しで食べさせることの、何処に慎みがあると仰るのです」

「しかもお前は、頭がいいのをひけらかしていただろう! エリスの成績表を見て、その程度とか何とか言っていたじゃないか!」

「正確には『エリス様は本来その程度の学力ではないはずですわ。なにかお悩みでも抱えていらっしゃるの?』ですわ」


 なにを言っても冷静且つ淡々と正論を返され、ディオダールは忌々しげにリーゼを睨んでいたが、ふとエリスを見て手を差し伸べた。


「エリス! いつまでもそんな性悪女のところになどいないで、俺の元へ戻れ!」


 ビクッと肩が跳ねたのを感じ、リーゼはエリスに小さく「大丈夫よ」と囁いた。


「その前に、婚約破棄と国外追放、謹んでお受け致しますわ」


 王位継承権第八位の王子如きにそれだけの権利などありはしないという事実には、いまは目を瞑ることにして。


「エリス様も、こうなったからにはご自分で道を選んでよろしいのですよ」


 そう言ってリーゼが抱き留めていた手を放すと、ディオダールは煩わしそうに手を外へ向けてシッシッと振り、さっさと失せろと吐き捨てる。

 エリスは踵を返してホールを出て行くリーゼの背を見つめていたが、壇上で王子が「早く来るんだ!」と喚いたのを聞くと、弾かれたように駆け出した。

 淑女にあるまじき渾身の全力疾走であったが、それを「はしたない」「これだから下級貴族は」などと囁く者は、セレナを除いて誰もいなかった。


「リーゼ様!」


 学舎の出入口付近。

 間もなく外が見えようかというところで、エリスはリーゼに追いついた。


「あら、エリス」


 リーゼが振り向けば、息を切らせたエリスがドレスの膝付近に手をついて浅く荒い呼吸を繰り返していた。野盗にでも追われてきたかのような有様に、リーゼは右手で華奢な背を撫でながら「ゆっくり息を整えなさい」と宥める。

 やがて落ち着いたエリスは、真っ直ぐリーゼを見つめて言った。


「リーゼ様、わたしもお供致します。ディオダール様に目をつけられたあの日から、わたしの味方はリーゼ様だけでしたもの」


 わかっていたとでも言いたげな顔で頷き、リーゼはエリスを迎える。

 そうして二人で馬車に乗り込むと、国外ではなく一先ずリーゼの屋敷を目指した。外へ出るにしても、夜間にパーティドレスで突然異国を訪ねるなど、頭が年中お祭り状態の女だと思われかねない。

 なにより、国王直々の勅命でも何でもないのだ。いますぐに従わなければならない理由などありはしない。


「せっかくの国外追放ですもの。よろしければ、エリスもわたくしが通う予定の王立錬金学園に編入致しません?」

「それって、お隣の国に新しく出来たと噂の……」

「ええ。魔術と機構術を組み合わせた、新しい技術を学ぶことが出来ますの。当然、魔術の勉強も充分に出来ますわよ」

「素敵……! でも、うちに新しい学校へ編入できるだけのお金があったかどうか、わからなくて……お父様に相談しないと……」

「その辺に関しては、心配いらないと思いますわ」


 にっこりと笑って言うリーゼの顔があまりにも綺麗で、エリスは頭に過ぎりかけた疑問を消し飛ばしてしまった。



 ――――後日。


 クローディアとフルジエ両家に王家から莫大な慰謝料と迷惑料が舞い込み、二人は無事隣国に居を移して王立錬金学校への編入を果たしたのだった。


「あなた、思った通りとても聡明な方でしたのね」

「ありがとうございます。リーゼ様の教えが良いお陰です」


 学園の掲示板に張り出された初めての試験結果を見上げながら、リーゼとエリスはにこやかに話す。其処には一位にリーゼの、五位にエリスの名が書かれており、特にエリスは魔法薬学、薬草学、自然学の成績が良い。

 以前の学園にいたときは王子が「頭のいい女は嫌いだ」と公言した上で「エリスは底辺貴族で学がないから可愛くて良いな」と言ってきたため、仮に好成績を収めればどんな目に遭わされるか知れないと、わざと試験の解答を抜かしたりしていたのだ。下らない忖度をしなくて良くなったいま、エリスは伸び伸びと学べていた。

 ざわざわと賑わう掲示板前には、試験結果だけでなく様々な噂が飛び交っている。錬金学校は王立ではあるものの貴族のみが通う学園ではないため、生徒の言葉遣いは様々だ。身分の隔てなく学べる上に、国の方針自体が、婚約者がいない貴族の子息や令嬢であれば平民との自由恋愛も許されている。

 現に噂の中には、どこぞの令嬢が平民上がりの騎士見習いといい感じだとか、貴族令息と食堂の給仕の娘が休暇を共にしているのを見ただとかいうものもある。


「そういえば、フィルダニール王国の第八王子が逆賊として追放されたそうよ」

「その話、隣国の友人から聞いたわ。何でも公爵令嬢を公然で罵倒したのですって。婚約者に無実の罪を着せて自分の浮気を隠そうとしたらしいわよ」

「ええ!? いくら王子様でもそんなの通りっこないじゃない」

「それで確か、あちらの国境付近にある、修錬小屋送りになったとか」

「クロジアバランス公国の? あそこって、鍛練を積んだ騎士も泣き出すほど厳しいところで有名じゃなかったかしら」


 思いがけないところで思わぬ末路を聞いてしまった二人は、心の中で僅かばかりの同情をしたが、だからといってそれ以上の情が湧くわけもなく。

 王子に対し、処刑でなく生きながらにして最も苦しい罰を与えたのは、王家なりに王子がリーゼへ与えた屈辱を同等以上に味わわせて謝意を示す目的もあるのだろう。

 なにしろクローディア公爵家は、現在王家に与える影響が最も大きい貴族なのだ。機嫌を損ねて反旗を翻されては如何な王家といえど無事では済まない。

 王家とは、国王が独断で法を振りかざし、民を思いのままに操れる存在ではない。ましてや継承権下位の王子など言うまでもないというのに。真っ当な忠言をつまらん小言と聞き流した愚か者の末路は、己の声を誰も聞く者がいない果ての果て。危険な魔獣が蔓延る国境付近の修錬小屋であった。


「わたし、しあわせです。リーゼ様と心置きなく勉学に励むことが出来て……」

「わたくしもですわ、エリス。なにより、愚か者の尻拭いをしなくて良い分、勉強とあなたを愛でることに時間をつぎ込むことが出来るのですもの」

「り、リーゼ様……!」


 リーゼの花弁のような唇から零れ出た本音に慌てるエリスの頬を優しく撫でると、白魚の如き手指を絡ませて握り合う。

 二人の左手の小指には、揃いの小さな指輪が輝いていた。



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突然身に覚えのない罪で断罪されたので、被害者令嬢と異国で生きようと思います。 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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