第3話 誰も悪くない






 あれから3日が経過した。

 本日の体育も、まるで懲りずに詩織に挑んだ姫島は、徹底的にボコボコにされた。どうやらこの前の一件で確執を深くしたらしい。


 仲良くしろよと思うが、無理矢理、仲良くさせようとしても、上手くいかないだろうから、積極的に何がするつもりは無い。

 そもそも、チームプレーなどの協力関係ならまだしも、個人的な友人関係に過剰に口出しされるのは、詩織も、姫島も嫌だろうしな。


「・・・・・どうして私がこんなことを。」

「日直なんだから仕方ないだろ。」


 ただ、今日の体育で変わったことがあるとすれば、授業の終わりに日直の俺と姫島が授業の片付けを命じられた事だ。

 不本意そうにボヤく姫島を正論で諭す。

 すると、彼女は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「ふん、そう言いながら、お前は私と作業するのを断ろうとしていただろう。」

「いや、あれは別にお前が嫌だったからじゃない。」


 姫島が言及しているのは、恐らく、先生が日直の俺達に片付けをするように言った時、俺がそれを断ろうとした事だろう。

 しかし、あれには理由がある。


「最近、発情期ヒートだから、万が一の事を考えただけだ。」


 発情期ヒートは、大体、1ヶ月に1度起こり、期間は1週間弱続く。

 抑制剤を飲んでいるので、フェロモンなどはある程度、軽減出来るが、俺はオメガの中でも、特にフェロモンの効果が強い。


 突発的に発情して、フェロモンを姫島が吸えば、大事になりかねない。

 それを予期して、対策を講じようと思ったのだが、体育教師の齋藤先生に「先生だって忙しいんだぞ」と押し切られてしまった。


「どうだかな。」


 姫島は、変わらず疑るような姿勢を見せ、肩を竦めた。

 それに俺はむっとしたものの、彼女を説得出来るとは思えなかったので、何も反論しなかった。


 ただ無言で作業へと従事する。

 作業自体はそう大変なものでは無い。

 授業と授業の合間に存在する休み時間に十分、終わらせられる。

 テキパキと片付けを済ませ、薄暗い体育館の倉庫へとバスケットボールの入った籠を戻す。


「良し、こんな所か。」

「それなら私はもう行く。」

「あぁ、お疲れ。」


 俺を横切り、立ち去ろうとする姫島に労いの言葉を掛けた直後、頭に鋭い激痛が走った。まるで右脳と左脳の合間に稲妻でも落ちたみたいだ。


「っ!?」

「お、おい!」


 頭を押さえ、その場に膝をつく俺に、姫島は咄嗟に駆け寄った。

 ぶっきらぼうな物言いが多い彼女だが、見るからに具合を見捨てるような人物では無いらしい。

 恐らく、性根の部分が善良なのだろう。


「馬鹿・・・・・離れろ・・・・・」


 だが、それは悪手だ。

 力無い声で命じるが、時既に遅し。

 彼女は、俺から放たれるフェロモンを吸収してしまったらしい。

 ぶるりと身震いした後、身動きを止める。

 紅玉の視線は右往左往と中空を彷徨き、まるで内なる悪魔と天使との間で葛藤しているようだ。


(くそ、どうしてこんな時に・・・・・!)


 最悪の事態に悪態をつき、常備しているアルファ用の抑制スプレーを探すが、体操服のポケットには入っていない。

 運動には邪魔なので、ロッカーに置いてきてしまっている。


「ちょっと待ってろ・・・・・」


 すぐさま持ってこようと立ち上がろうとした瞬間、俺の身体は勢い良く、その場に押し倒された。

 さながら、獲物を前にした虎のような俊敏さで、姫島が俺の体をかっ攫ったのだ。

 そして、倒れたところをすかさず馬乗りになる。


「おい!落ち着けって!」


 咄嗟に引き離そうとするも、彼女は俺の手首を万力の力で掴み、押さえ付ける。


(痛っ・・・・・こいつ、力強っ。)


 男性と女性なら、男性の方が力は強い。

 しかし、これはアルファを除けば、だ。


 彼女達の身体能力は常人を遥かに上回る。運動を得意としていないアルファでさえ、握力100kgを平然と超えてくる。

 まして、運動を得意としてそうな姫島に抵抗出来る訳が無い。

 身をよじって逃げ出そうとするも、やはり無意味だった。


「・・・・・」


 抵抗を封じられた俺は思わず、矢のような鋭い視線で姫島を睨みつけ、そして絶句した。


「ふぅふぅふぅ」


 姫島は泣いていた。

 艶かしい唇から荒い息を吐き、端麗な容姿を苦痛に歪める。

 身体を焼き焦がすような激情に彩られた紅玉の双眸は、薄らと潤み、一筋の涙を頬に垂らしている。


 似たような光景を前にも一度、見た事があった。

 出会って間もない頃の詩織が、俺に襲いかかってきた時の事だ。

 その情景を脳裏に浮かべた俺は、肢体から力を抜いた。


(はぁ、当たり前だけど、こいつも襲いたくて襲ってるんじゃないんだもんな。)


 オメガのフェロモンとは、理性で抗えば何となる類のものじゃない。ドラッグのように、この状態へと誘発するものだ。

 そもそも遺伝子レベルで抗えないように設計されているのに、個人の力でどうにかしろという方が、どうかしている。


(そう考えると、一体、誰が悪いのか。)


 姫島に犯罪をさせるように仕向けている俺か、俺を犯そうとして姫島か、この状況を予期出来なかった先生か。


(多分、誰も悪くないんだろうな。)


 俺は生まれつきの体質だし、姫島は心神喪失状態でどうしようもない。

 齋藤先生にしたって、仕事が忙しかったんだろう。学校に求められる役割が多くなったせいで、教師は激務な上に、人手不足が進んでいるって聞いた事がある。

 そんな中、アルファやオメガに対して配慮が欠けたからと言って、鬼の首を取ったように責めるべきことじゃないと俺は思う。

 強いて言えば、巡り合わせが悪かったって事か。


「姫島、ごめん。」


 取り敢えず、誰も恨まないでおこう。

 そう決断した俺は、巻き込んでしまった姫島へと謝罪する。

 紅玉の瞳に瞬く光が戸惑いに揺れ、微かに手首を掴む力が緩む。まるで迷子の子供のような姿だった。

 緊張を孕んだ静寂が流れる中、唐突に倉庫の扉が開いた。


「やっぱり、こうなってたのね。」


 そこに現れたのは、詩織だった。

 瞠目する俺と姫島へと、彼女は悠然と歩を進め、持っていたスプレーを姫島へと吹き掛ける。

 姫島は抵抗しようとしたが、詩織は素早く姫島の胸倉を掴み、壁へと放り投げた。


「お、おい!?やり過ぎだろ!」


 鈍い音を立てて壁に激突する姫島を見て、俺は身を起こし、抗議の声を上げた。


「別にあのくらいでアルファは怪我なんかしたりしないわ。」


 それを詩織はきっぱりと切り捨てる。

 そして、長い睫毛がかかる紫紺の双眸で俺を見下ろした。


「それと貴方も受身になり過ぎよ。」


 折檻の言葉と共に軽い拳骨を貰う。

 唐突な痛みに俺は悶絶し、頭を抱える。


「物分りの良さは貴方の美徳だけれど、自己犠牲は優しさじゃない。それは貴方の為にもならないし、彼女の為にもならないわ。助けはしっかりと求めなさい。」


 責めるような響きはなく、子供に言い聞かせるような優しげな声音だった。


「そうしたら私が貴方を守ってあげるから。」


 そう言って、細長い白皙の手が俺の髪をやんわりと撫でる。

 それに俺は目を瞬かせ、


(まったく敵わないな。)


人心地ついたように肩から力を抜いた。






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