第2話 アルファとオメガ






 保健室で小一時間ほど休憩を取った俺は、教室へと戻る。

 暖かな春の日差しが降り注ぐ廊下を進む。

 窓の外を一瞥すれば、花弁を微かに残した桜の木の枝が、爽快な春風に揺られている。

 入学式から早1ヶ月弱、もうすぐ5月へと差し掛かる。

 中間テストも近い。

 天鳳てんほう学園はそこそこの進学校なので、多分、難しいだろうと思う。

 そんな中、授業を休んでしまったのは、痛手だ。


 Aクラスの教室へと着き、窓側の席へと座る。

 すると、隣席の詩織が紫結晶アメイジストのような透き通った目で一瞥し、心配そうに問う。


「もう大丈夫なの?」

「あぁ、一応、治まった。」

「それなら良かった。それとこれ。」


 彼女が手渡してきたのは、数枚のルーズリーフ。 受け取って視線を落とす。

 それは、俺が休んだ授業のノートだった。それも見やすいように丁寧に纏めてあり、その出来栄えは教科書さながらである。


「ありがとう。ノートに写し次第、返す。」

「返さなくて良いわ。私には不要だもの。」


 白髪をサッと靡かせ、事も無げに言う。

 アルファの詩織からすれば、進学校の授業も、お遊びレベルなんだろう。特に詩織は、瞬間記憶能力を超えて、記憶の取捨選択を自分で出来るらしいし。


 まぁ、それに必死になってる立場からすれば、ちょっと複雑な気分だが。

 俺は煩瑣極まりない感情を持て余しながら、「お、おう」と曖昧な返事だけをした。


「そういえば、次の授業なんだっけ?」

「体育だ。」


 憮然とした声が後方から返ってくる。

 見れば、金髪の美少女が豊満な胸の前で腕を組み、立ちはだかっている。


「そうか。態々、ありがとう。」

「別にお前の為じゃない。」


 彼女、姫島ひめしま愛菜あいなは、鋭く拒絶した後、紅玉のような双眸を詩織へと向ける。


「天龍、今日もバスケで勝負だ。逃げるなよ?」


 まるで決闘を申し付けるように威風堂々と命じる。


 正直、見慣れた光景だ。

 姫島は、屡々、このような力比べを詩織に挑む。理由は不明だが、少なくとも詩織をライバル視しているのは疑いようが無い。


 裏を返せば、姫島は、詩織を好敵手ライバルとして認識出来る数少ない存在でもある。

 しっかりと確認した訳では無いが、恐らく、アルファなのだろう。


「・・・・・勝手にして頂戴。正直、断るのも面倒だわ。」


 関心無さげに振る舞う詩織。

 一瞥のみを向けた後、溜息を吐き、頬杖をつく。

 そんな、如何にも相手にもしていないという態度が気に食わないのか、姫島は涙袋の下を微かに引き攣らせる。


「流石に失礼だろ。」


 俺が苦言を呈するも、詩織はそっぽを向く。

 どうやら拗ねてしまったようだ。

 まぁ、姫島が過剰に絡んできて、億劫になったというのも理解は出来るが。


「悪いな。」

「・・・・・勝手に人の気持ちを代弁しようとするな。これだから、オメガは。」


 姫島に謝罪すると、彼女は切れ長の目を釣り上げ、侮蔑の眼差しで俺を見下ろした。

 そして、艶かしい唇から侮辱の意味を含んだ言葉を吐き捨てる。


 唐突に突き飛ばされたような心地がして、俺は思わず鼻白む。怯んだように何も言えなくなると、隣席からガタンと物々しい音が耳朶を打った。


「気が変わったわ。立ち直れないくらい叩きのめしてあげる。」


 顎を上げ、詩織は見下ろすように言い放った。

 背丈は、詩織も姫島も同じぐらいの筈なのに、詩織の方が遥かに大きく感じる。

 さながら山のように聳える詩織の後背には、瞋恚しんいの炎が透けて見え、彼女が怒髪天を衝いているのは、明瞭であった。


 それからの体育の授業は悲惨の一言だった。

 常人では比較の対象にもならない程の身体能力を誇る詩織が全力で敵チームを蹂躙し、ダブルスコアで敵を打ち負かした。

 勿論、姫島も必死に抵抗したのだが、終始、翻弄されたままだった。


 こういう言い方をするのもなんだが、アルファはアルファで、個人によって得意不得意があったり、知能や運動神経にバラツキが有る。


 それは当然の事であり、頭では分かっている筈の事なのに、どうにも違和感が有るのは、彼女達を神聖視過ぎているせいなのだろう。

 普通の人間からすれば、彼女達は全員、超人なのだから。







 茜差す放課後、久しぶりに部活が休みの詩織と一緒に帰った。

 その際、ふと姫島の話に言及した。


「あんなに怒らなくても良かったんだぞ?正直、姫島の言ってたことも間違ってないし。」


 あの時、俺は姫島が傷付いただろうと思って、詩織の事を批難した。

 ただ、これは姫島の言う通り、勝手な代弁行為だ。

 本当に姫島が傷付いたのなら、姫島本人が文句を言うべきことだし、仮に俺が文句を言うにしても、姫島からの信託が有ってからすべきだった。


 それも無しにやったのだから、差し出がましいと罵られても仕方が無い。

 しかし、詩織は眉根を寄せて、不快感を露わにし、吐き捨てるように反駁した。


「だとしても、彼女は言ってはならない事を言ったわ。あんな時代錯誤な考え方、同じアルファとして恥ずかしい。」


 分かっているでしょう?

 と、紫紺の眼差しが向けられる。

 分かっているとも、アルファがオメガをけなす事の意味も、その背景も。


 アルファには、オメガを毛嫌いする考え方が受け継がれている。

 彼女達にしてみれば、オメガは極めてリスキーな存在だからだ。

 オメガの出すフェロモンに、滅法弱い彼女達は発情させられると、その興奮に殆ど抗うことが出来ない。

 例え、人前であろうと、発情させられれば、取り返しのつかない事をしてしまう。


 そうなった時、彼女達の社会的な名誉や地位は大きく傷付く事になる。

 だから、アルファは、代々、オメガを卑しいものとして扱い、遠ざけてきた歴史がある。


 その歴史の集大成が、姫島へと受け継がれ、あの侮辱的な発言へと繋がったのだろう。


 だが、男女平等が進む中で、あの考え方は如何にも差別なものであり、前時代的なものだ。


 今、詩織が感じている嫌悪感を、敢えて表現するなら、日本人が人種差別的な発言を公然と行ったのを目の当たりにしたような感覚だろう。

 そりゃ嫌だろうな、と想像はかたくない。


「気持ちは分かるけどな。」


 俺は苦笑して、詩織の論調を認めつつも、己の本音を伝える。


「まぁ、でも折角、対等な相手が見つかったんだし、俺としては2人には仲良くして欲しいんだけど。」


 アルファもオメガも、社会から見れば、両方ともマイノリティに当たる。

 全人口の比率の内、アルファは約3%、オメガは約1%のみ。

 簡単に会えそうで、中々、会えない確率だ。

 だから、この巡り合わせを大切にして貰いたいと思うんだけど。

 横目でチラッと詩織の方を窺うと、露骨に嫌な顔をしていた。


 うん、前途多難だな。







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