貞操逆転世界のオメガとアルファ

沙羅双樹の花

第1話 プロローグ





(あぁ、最悪だ。発情した。)


 授業中、朗々と紡がれる教師の声のみが響く教室で、俺は突如、発情期ヒートに襲われ、沈痛そうに顔をしかめた。

 血が沸騰したように身体の芯がかっと熱くなり、だるように頭の中に靄が掛かっていく。


 椅子に座ってるだけなのにも関わらず、汗が肌に滲みだし、喉が渇く。

 まるで熱中症に罹ったみたいだ。


 唯一、違うのは、過剰なまでの性的な興奮により、局部がはち切れんばかりに膨張している事である。

 頭が悪いくらい巨大なそれを隠すように、俺は机に突っ伏し、無言で挙手した。


「朝日さん、どうかしましたか?」

「・・・・・すみません、発情期ヒートです。」


 気落ちした声で言うと、教師は少し驚いたように目を見開き、そして取り繕ったように居住まいを直す。

 その気遣うような視線が何ともいたたまれなかった。


「抑制剤は飲んだんですよね?」

「はい。」

「それでも厳しいようでしたら、保健室に行ってきても大丈夫ですよ。次の授業の先生には私が言って起きますから。」

「ありがとうございます。」


 正直、抑制剤を飲んだからこそ、頭がぼんやりするんだが、言わぬが花だろうな。

 スラックスの端から激しい自己紹介をする部分を手で隠しながら、椅子から立ち上がる。

 滑稽極まりない姿だが、割と本気で辛く、立ちくらみが起こる。


 芯を失った体がよろめくと、不意に誰かが俺の肢体を支えた。

 見れば、俺よりも背の低い白髪の美人が、易々と俺の体重を細腕で引き受けている。


「先生、幸一1人だと危ないかもしれないので、私も付き添います。」

「おい・・・・・」

「そう?それならお願い。」


 俺が小声で抗議するも、先生は彼女、天龍てんりゅう詩織しおりの方の意見を取り上げた。

 途中で倒れたりする可能性を予期しての事だろう。今の立ちくらみも有るから、文句は言えない。

詩織に連れ添われながら、保健室へと向かう。


「付き合わせて悪いな。」

「別にいいわ。私が勝手にやった事だし。」


 淡々と謝罪を受け取る詩織。

 こういう所は中学の時から変わってない。

 幼馴染と呼べる程、長い付き合いでは無いが、俺と彼女は中学1年生の頃からの付き合いだった。


「ただお前、アルファだろ?発情期ヒート中のオメガに近付いても大丈夫なのか?」

「・・・・・大丈夫じゃないわよ。物凄い良い匂いするし。」

「おいおい・・・・・」


 蕩けるような声に思わず彼女の方を振り向く。

 そして、不意に見た彼女が如何に美しいのかを痛感する。

 月明かりを彷彿とさせる美しい銀髪。端麗な鼻梁の下に薄い桜色の唇が咲き、細い顎が顔と首の間をはっきりと縁取る。

 硝子細工のように触れれば壊れそうな華奢な肢体は、S字を描くように女性的な起伏に富む。

 さながら月光の化身のようだった。


(・・・・・凄いな。)


 その芸術的な美しさに興奮が少しだけ和らぐ。

 美しさとは、ある一定のレベルを超えてしまうと、下劣な感情と切り離され、自己目的化してしまうものなのだと、俺はこの時、初めて知った。

 尤も、ナニを勃てながら思うことでは無いが。


「ここまででいい。態々、ありがとう。」


 保健室のすぐ側で付き添いを断り、礼を言う。若干、余計なお世話気味ではあったが、素直に感謝していた。

 詩織は首を横に振り、背に掛かる長い髪を揺らした。


「別に良いわ。貴方は私の『運命の人オム・ファタール』だもの。」

「・・・・・一応、言うが、それ褒めてないぞ。」


 万感の想いを込めて丁重に紡がれた言葉に何とも言えない面映ゆい感覚がしながら、釘を刺す。

 しかし、彼女はさして気にした様子もなく、「私が言ったのは褒め言葉としてよ」と我を通した。そういう所も彼女らしい。

 互い笑みを交わしあった後、「それじゃあ」と言って、背を向けた。


 朝日幸一、15歳。

 天鳳高校1年Aクラス、性別は男。

 そして、オメガだ。







 男女比率1:3。

 4人に1人が男性で、残りは女性。

 これが世界の常識だ。

 何故、この比率なのか、どうして男性が少ないのかについては、性染色体が影響していると耳にした事が有るが、専門家でないので、良くは知らない。


 ただ、この社会は女性を中心に回ってきた。

 単純に数が多かったから、というのは俺の安直な想像である。

 とはいえ、現代社会においては、割と馬鹿に出来ない事だ。


 例えば、選挙。

 異なる比率の状態で選挙をすれば、比率の多い方の意見が採用されやすいのは明確である。

 仕事に関しても、女性の方が多い職場なら、自然と女性が働きやすい職場環境が整えられていく。


 現代社会に焦点を当て過ぎているが、やはり女性が多い事は、女性中心社会の根幹を担っているように思える。


 一応、言っておくが、別に不平不満を唱えている訳では無い。

 単純に、社会は女性を中心としていた事を再確認しただけだ。

 それに最近では、男性の社会進出も進み、男女平等的な思想も根付きつつある。


 母数が違うのだから、行き過ぎた自由主義リベラリズムはどうかと思うが、男性だからという理由で不利益を被るようなご時世では無いのは、確かだ。


 そんな男女平等が進み始めた社会で、注目を浴びている存在が、アルファとオメガだった。

 それぞれ説明していく。


 アルファとは、乱雑に言えば、遺伝子的に優秀な人間の事だ。

 但し、ただ優秀なのではなく、なのだ。

 でなければ、態々、区別する必要性が無い。


 その能力は、運動神経や容姿、学習能力にまで及び、程度に差はあれど、何れも超人じみた性能スペックを誇る。

  また、その特色の1つとして、女性しかいないことも挙げられる。理由は不明だが、遺伝子が影響している事は確かだろう。


 それとは対照に、オメガは男性しかいない。

 オメガは、基本的には一般的な男性だ。

 知能も普通、運動神経も普通。

 しかし、異性を魅了する性質に特化している。容姿もそうであるし、下のブツもそうだ。


 また、定期的に発情期ヒートと呼ばれる現象に襲われ、強い発情状態に入る。

 その際、女性を強制的に興奮させ、前後不覚なほど発情させるフェロモンを発散する。

 特にアルファの女性は、オメガのフェロモンに滅法、弱いと言われている。


 勿論、こういった性質は、ただモテるという意味合いのものでは無い。

 社会の大部分を占める女性の行動を、一時的に麻痺させる事になるので、様々な騒動の原因となり、これのせいでオメガが苦しい立場へと追いやられることも少なくない。


 さて、このアルファとオメガ。

 一見して、優等生と問題児。

 しかし、その差は全て、遺伝によって、本人の意思なく決定したものだ。


 故に、男女平等の進む社会の中で、多くの人々がこれらに関して、様々な意見を述べてきた。


 アルファの存在とオメガの存在を対比して、男女の能力を区別するべきという原理主義者。

 『無知のベール』を用いて、格差を是正する事を求める自由主義者。

 結果の平等は良くないと主張する保守主義者。


 しかし、オメガである俺は、その何れにも興味が無い。

 これらは所詮、政治的な立場の表明でしかなく、社会のリソースというパイを如何に分配するのかという資源分配の話に過ぎない。


 そんなものは、俺の本音ではない。

 俺の本音は、ただ一つ。

 幸福な人生を送りたい。

 ただそれだけだ。


 きっとアルファでも、一般人でも、それは変わらないだろう。

 だから、俺も皆と同じように、幸福になる為に、自分に出来ることを頑張るだけだ。


 喫緊の目標は、中間テストで良い点数を取る事だな。

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