2人でチークダンスを 2

 全面ガラス窓の向こうにあるメガロポリスの夜景はよく見えるが、その分、逆光でメリッサがよく見えない。ただ、シルエットが夜景の中に浮かび、その身体の細さと肢体のしなやかさを際立たせていた。ロングの髪をアップにしているようだ。きっと、普段は隠されているうなじが見えることだろう。

 徐々に目が慣れ、ようやく少し見えるようになる。

 銀色のロングドレス。

 裾が長く、ゆるく広がり、まるで百合の花のようだ。ドレスが銀色なのは自分が氷の秘書と呼ばれているからとそのイメージを損なわないようにしたようにアルには思われた。シルクなのだろうか。夜景の微かな輝きを反射し、輝いていた。

「――変、でしょうか?」

 メリッサがおどおどと尋ね、アルは自分が言葉を失っていることに気がついた。

「あ、ああ。そんなはずはない。綺麗だよ、とても」

 目が暗いところに慣れ、メリッサのはにかんだ表情が目に入り、アルはとても愛おしく思った。

 ドレスの露出度は大したことがない。肩はなく、首から下まで覆われているタイプだ。胸の谷間が見えるようなデザインではない。それでもちょうどいい大きさのバストがきゅっと突き出ていて、健康的な女性のセックスアピールの役目を果たしていた。

 メリッサはくるっと1回、ドレスを見せるように回った。すると背中が大きく開き、お尻の割れ目の上の方まで見えてしまっているのが分かった。露出度がたいしたことないなんて全くの嘘だった。セクシーだ。背中も小さなお尻も、とても綺麗だ。

「――綺麗だ。とても」

「2度も言ってくださるなんて」

 アルはメリッサの前まで歩を進め、手を出した。

「どうぞ。お手を」

 メリッサはためらいがちに手をのばし、アルはその手を取った。

 こうして彼女の手を握るのはいつ振りだろうか。前にこのタキシードを着たときだから、半年くらいは経っているだろう。細い指、白い手。プールサイドで握ったときと違う。緊張して熱い。

 メリッサはきゅっとアルの手を握りしめ、メリッサは困ったように言った。

「ワルツ、このままじゃ掛けられないですよ」

「じゃあAIで」

 アルはAIスピーカーに命じ、適当なワルツをセレクトさせる。音響セットから大音量のワルツが流れ始め、2人はびっくりして身体を震わせるが、すぐに音量は落ち着いた。

 ふふ、と顔を見合わせてメリッサとアルは笑った。

 流れ始めたのはヨハンシュトラウス2世の『春の声』だ。

 ワルツの定番中の定番曲。知らぬものはない。2人はワルツの基本的な足形ステップだけを続ける。誰が見ているわけでもない。ワルツを踊れればいいのだ。しかしどんなタイミングでどうターンすればいいか分からず、2人は戸惑ってしまい、お約束通りメリッサがアルの脚を踏んでしまった。

「あ、ごめんなさい!」

「いいのいいの。君に踏まれるのもご褒美だから」

「私にそんな趣味はありません!」

 メリッサは真っ赤になって唇を真一文字にした。

「やっぱり初心者が無理してワルツを踊るものではないね」

 アルは苦笑いせざるを得ない。踏まれた足には少々痛みが残った。

 アルはAIに命じてワルツを止めて、ライオネル・リッチー の『 エンドレス・ラヴ』をリクエストする。

 甘い声で2人の愛を誓う、ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスが歌う結婚式ソングの定番だ。

 チークダンスに足形ステップはない。ただ2人がくっついて音楽に合わせてゆっくりと揺れるだけだ。ワルツが踊れないのは少々寂しいが、今のアルにはこれで十分だ。メリッサとの距離をゼロにするのが目的なのだ。

 次にAIが勝手にかけた曲は/アース・ウィンド&ファイアーの『アフター・ザ・ラヴ・イズ・ゴーン』だった。縁起でもない。冷めて別れかけたカップルの曲だ。しかし愛は消えるものだろうか、と訴えかけてくる。そういう時がくるかもしれない。それでも愛を信じる。そういう曲だ。

 曲が終わり、身体を揺らすのを止める。

 メリッサがアルを見上げ、アルはメリッサの瞳を見つめる。

 瞳を見つめ、そして互いの瞼が自然に閉じる。

 自然に唇を重ね、そして、これまでとは違い、濃厚に舌を絡める。

 こんな快感がこの世にあるのかと思うほどの甘さにアルの脳はくらくらと揺れる。

 数秒後、2人の唇は離れ、再び瞼が開けられる。

 アルが目を開けると、メリッサの薄紫色の瞳が自分を見つめていた。

「本気なんだ――10年前に君を見てからずっと、心の中に君がいたんだ」

 アルは思いよ伝われと、心からの気持ちを言葉にした。彼女がどんな判定を下すのか、聞くのが怖い。

「――でも……」

 半ば想像したとおり、メリッサは首を横に振った。

 信じがたいのは分かる。奨学金を得て苦労して進学し、ここまでやってきた彼女と、苦労はしたし、仕事も一生懸命してきた自分だが、経済的には恵まれて生きてきた自分とではあまりに違いすぎるからだ。

「信じて欲しい」

 メリッサは目を伏せ、小さく頷いた。

「信じています。信じています。でも、私の方が――覚悟、していたつもりなんですけど」

 メリッサは再び顔を上げた。薄紫色の瞳にうっすらと涙を湛えていた。

「じゃあ僕が覚悟を決めるときだ」

 アルはメリッサの肩とお尻に手をかけ、よいしょと声を出して彼女を抱きかかえる。お姫様抱っこだ。日々筋トレを続けているアルにとって細身のメリッサをお姫様抱っこすることなど、苦もないことだ。むしろ軽くすら思う。

「え、えええっ! どうするんですか?」

「連れて行く」

「どこに?」

「僕のベッド」

 メリッサはその言葉を聞いても拒絶することはない。また小さく頷いただけだ。

「昨日も言いましたけど――初めてなので、優しくしてください」

 アルは安心させるべく頷いた。

「もちろんだ」

「あと、私の荷物の中に避妊具を用意してあります。そちらを準備してもよろしいですか」

 確かに。メリッサはピルを飲んでいないだろうから避妊具は絶対に必要だ。少なくとも今のところは。2人は恥ずかしくなって苦笑いして、アルはメリッサをおろす。そしてメリッサは仮眠室へと入っていき、小さな箱を手に戻ってくる。

「では今度こそ!」

 アルは再びメリッサをお姫様抱っこすると、彼女を抱いたまま仮眠室へと向かったのだった。

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