第4話 メリッサがんばる
メリッサがんばる 1
メリッサは自分の仮眠室に入り、そのまま仮眠ベッドに倒れ込んだ。
早鐘のように連打されている心臓が身体の中で踊り、メリッサは自分がどうにかなってしまいそうだと感じていた。計画した段階でこんな事態になることは分かっていたが、それでも耐えがたいものは耐えがたい。大好きな人と密室で2人きりになることがこんなにもプレッシャーだとは想像を絶していた。
「う、まずい。過呼吸になってきた」
スーツに皺がつくのは避けたい。心臓を押さえつけながらベッドから降りてスーツを脱ぎ、ハンガーに掛け、代わりに何を着ようか考える。いや、ずっと前から着替えのことは考えてはいたのだ。思いっきりセクシーな衣装を着て、アルに意識して貰おうと。しかし昼間からそれでいいのかと常識が邪魔をする。それにセクシーな衣装は夜の方がいいのではないか。などど考え、セクシーな衣装はやめる。
そして結局、普段、家で過ごすような格好に無難に落ち着く。デニムパンツに緩いTシャツだ。そうだ。休暇中なのだからといえばボスも納得するに違いない。そう考えて決断する。髪を無造作に束ねてポニーテールにして、ピンヒールからサンダルに履き替える。鏡で見ると休暇シーズン中の大学生のみたいだ。
ふう。
ピンヒールからサンダルに履き替えると少し身体が楽になって、メリッサは気も楽になるのが分かる。カタチからと言うか物理的な圧迫感が減るのはいいことらしい。
メリッサが自分の仮眠室から出ると執務スペースが無人であることに気がつく。どうやらアルは一足先にキッチンセットに入ったらしい。
キッチンセットと言ってももともとはコーヒーを入れることくらいしか考えられていない、ワンルームのキッチンセット程度のものである。冷蔵庫だって1人暮らし用の100リットルくらいの小さなものだ。
そのキッチンセットの前に立ち、アルは鼻歌交じりで料理をしていた。
メリッサは目を点にしてしまう。
「ボスが鼻歌を歌っている……」
「休暇中なのでね」
鼻歌はグリーン・グリーンだった。
「何を作っているんですか?」
「簡単にトマトスープを。ハーブがいっぱいあったし、パンもあった。十分だよ」
「お手伝いしますよ」
「いや。それは夕食の時にしてくれ」
「了解いたしました」
そしてアルが初めてメリッサを振り返り、アルは悲鳴を上げた。
「うわあああああ!」
「失礼な」
どうしてアルが悲鳴を上げたのか、メリッサには全く見当がつかない。
「君がそんなラフな格好をしているなんて!」
「休暇中ですから」
「ブラジャーの紐が肩から見えているよ!」
「見せブラだからいいんです」
「そういうものかい?」
「ガン見しても許しますよ」
「本当に?」
「ボスにだけ、特別に。強制的に休暇をとっていただいているのですから、これくらいは大目に見ないとリラックスできないでしょう」
「それは、そうだけど……」
おっかなびっくり自分を見ている。初めて見る顔だが、あまり嬉しくない。少なくとも喜んでくれている様子はない。ラフすぎたか。
メリッサはTシャツの胸元を広げ、自分の谷間を確認する。
「確かに、お色気要素が足りないかもしれません」
「十分。十分だから」
アルは目をまな板の方に戻す。本当にトマトスープを作っているらしくシンクに蓋が開いたトマト缶が置かれている。
「トマト缶でスープ、学生時代によく作りました」
「僕もだよ。学生時代は自炊だったからね」
「そうなんですか。あ、何を切っているんですか」
アルのそばに寄り、まな板をのぞき込む。身長差は15センチほどもある。普段はピンヒールなのであまり気にならないが、今はサンダルなので結構感じる。
「せ、セロリ。冷蔵庫に入っていたってことは君は問題なく食べられるんだろう」
「ええ。計画的に入れましたからね。筋、とってください」
「分かっているとも」
アルは言われるまでもないという顔をする。仕事中毒のアルからは考えられないような姿をしているが、とても可愛く感じる。
「セロリとベーコンのトマトスープですね」
「君がベーコンを許してくれるとは思わなかった」
「ベーコンは身体に悪いですからね」
「でも僕、好きなんだ。さては考慮してくれたね」
「ええ。休暇ですから」
メリッサは自分の緊張が解けるのを感じる。こうして2人、キッチンに並んでいると何故かこの方が自然な気がするほどだ。
メリッサはスープはアルに任せ、自分は食パンを切ることにする。サンドイッチ用の玄米パン。グルテンフリーだ。オーブントースターに入れる。
「コーヒー飲みます?」
「うん。お願いするよ」
電気ケトルに水を入れ、湯を作る。その間にドリッパーにコーヒー豆をセットする。コーヒー豆を電動ミルに入れ、粉にしたあと、セットだ。
アルはセロリを細かく刻み、トマト缶の中身が入っている鍋に投入。そしてベーコンも入れる。味は塩こしょうで調える。シンプルだが十分、ランチの一品になる。
「どこで食べる?」
「打ち合わせ用のテーブル一択ですね」
「ああ。そうしよう」
「拭いてきてくれる?」
「ええ」
メリッサはカウンタークロスを手に、打ち合わせ用テーブルをから拭きする。その間にアルがスープ皿にトマトスープを入れて持ってきた。食器は最低限しかない。補充しておけばよかったと少し後悔する。アルは角の席にスープ皿を置く。相対して食べるには打ち合わせ用テーブルは大きい。
小走りでメリッサはキッチンセットに戻り、トーストとコーヒーを用意する。簡単だが、ランチのできあがりだ。椅子を少しづつ寄せて、距離を縮めてメリッサとアルはランチを始めた。
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