第3話 不束者ですが、どうぞよろしく

 ビールを買って帰宅し、ついでに買ってきたツマミを片手に談笑に花を咲かせる。


「先輩は最近映画見てる?」

「サブスクで見ることが増えたな。映画館はぱったりだ」

「えー、もったいない。今公開してる信長のやつ、結構面白かったよ」

「信長が異世界転生するやつか。今度見に行ってみるかな」


 内容は専ら共通の話題、映画の話だ。

 音羽と知り合ったのも千翔が所属していた大学の映画サークルに彼女を引き込んだことがきっかけだった。

 案外趣味の合う2人はよくこうして映画の話で盛り上がったものだ。

 話が途切れたタイミングで2人してビールを呷る。そしてようやく、先程の疑問の正体を思い出した。


「そういや朝日奈。お前何でここに居るんだ?」

「え、今更?」

「いやまあ、それはそうなんだが」


 自然と馴染んでいたせいですっかり忘れてしまっていた。映画の話になると時間を忘れてしまうのは悪い癖だ。

 ビールの一件は許したとして、勝手に人の家に上がっていたことは咎めておかねばならない。最悪鍵を変える必要があるかもしれない。


「何でこの部屋に入れたんだ? そもそもどうやってここまで来たんだ?」

「あーもう、質問ばっかり。私の容量1メガバイトしかないからゆっくり話してよ」

「ファミコンかよ」


 聞きたいことが多すぎて矢継ぎ早に質問してしまい、音羽はぶーっと口を尖らせる。

 脱線に脱線を繰り返して、時刻はとうに0時を回っている。どうせ終電は間に合わないのだから、音羽のペースに合わせても何ら問題はない。

 すまん、と一言謝り一つひとつ疑問を解消することにした。


「好きに話してくれ。わざわざ俺を訪ねて来たんだから、何か理由があるんだろ?」

「うん、まあね。でもいいの? 付き合わせても」

「今日は休みだしな。気長に聞くさ」

「そっか、よかった」


 音羽はほんのりと口角を上げると、こほんと咳払いをする。


「それでは、これからお聞かせしますは私が生を受けし頃の」

「それから朝日奈音羽はすくすくと成長し、今日に至る。はい、続きをどうぞ」

「えー、聞くって言っといてそれは酷くない?」

「何時間かけるつもりだよ。必要な部分だけ掻い摘んで話してくれ」

「うわ、無理難題。これがパワハラってやつ」


 20幾年の過去を全て聞いていると土日が終わる。パワハラだと騒がれてもここは折れるわけにはいかない。


(その話を聞かされるこっちがパワハラ受けてるようなもんだろ)


 と内心辟易しつつ、どうにか今日に絞るよう説得した。

 ……それでも時間がかかるのなんの。

 事ある毎に話が逸れるため、ツッコミつつも矯正する。そうして全貌を聞き終えたのは3時間後のことだった。


 彼女の話をまとめるとこうだ。

 音羽は元々、大学進学にあたって都内に住む姉と同居する形で上京した。

 その姉に最近彼氏ができ、よく家に呼んではイチャイチャしているらしい。

 姉と彼氏は気にするなと言うが、居候である音羽には居心地が悪く、姉の彼氏が家に来る日は漫画喫茶やビジネスホテルで一晩を過ごしていた。

 ところが、大学生活にアルバイト、その他にも色々とお金が入り用な事態が多く、外泊が厳しくなってきた。

 そこで、大学時代に恩を売った千翔に目をつけ、避難場所に選んだ、と。


(うん、1分もかからないな。俺は3時間も何を聞かされてたんだ?)


 軽く頭の中で情報を整理すると、原稿用紙1枚にも満たない内容だった。時間がかかることは重々覚悟していたが、まさかここまでとは。

 ずっと舌を回していた疲れか、音羽は「ビール……」と一言零してキッチンへ向かう。

 千翔が手にした缶も空っぽであったためついでに取ってきてもらい、改めて乾杯する。

 話し疲れた後の乾いた喉に通すビールは格別だ。2人してぷはぁと吐息を漏らす。


「要はあれか、彼氏が来る日に俺ん家に泊めてほしいと」

「うん、そう。お金は払えないけど……先輩なら別にいいかなって」

「何も良くないんだよな。まあ、いいけど」


 迷惑をかけても問題ないと思われているのは癪だが、独り身で部屋に呼ぶ恋人も友人もいない千翔に断る理由もない。

 思惑はどうあれ、せっかく自分を頼ってくれたのだから応えてあげたいという先輩心もあった。

 後輩が困ってりゃ手を貸す。助けを求めてきたらやれるだけの手助けをする。

 それが数年早く生まれた先輩のあるべき姿なのかもしれない。


「まあなんだ。こんな部屋でよけりゃ好きに使えよ」

「ふふ、先輩ならそう言ってくれるって思ってた」


 音羽はどこか安心したように笑った。

 きっと不安だったのだ。居場所がなく家を飛び出し、助けを求めた先で否定されたら。

 音羽だってただの女の子だ。20歳を越えて背伸びをしてビールを飲んでみても、嫌だ、不安だという思いに駆られるただの女の子なんだ。


「ありがと、先輩。じゃあ、さっそく……」


 そう言って音羽はおもむろにオーバーサイズのTシャツを脱ぎ始めた。


「ストップ。何してんだマジで」

「初めてだけど許してね」

「いいから手を止めろ。ステイだ」


 ほっそりとした腹部が見えたところで手を止める。色白で綺麗にくびれたウエストに吸い寄せられる視線を無理やり持ち上げる。

 歳下──それも音羽相手に不覚にも異性としての意識を持ってしまった。

 一方で当人はぽけーっと首を傾げる。


「お金は無理だから、体で手を打ってもらうって話じゃないの?」

「違うが? 別にいいかってそういう話かよ」


『迷惑をかけてもいいか』ではなく『体を許してもいいか』だったらしいと知り、それはそれで困惑する。

 同時に『そう言ってくれると思ってた』と言われたことに少しばかりショックを受けた。

 スケベ小僧だと思われていたのは心外だ。確かに音羽は美人だし、スタイルも良い。大学でもその美貌は評判で、実際に今スタイルの良さを目の当たりにした。

 しかし、それはそれ。泊めてやるから体を差し出せとは口が裂けても言わない。と言うか、言えない。

 そこまで踏み込むほど他人と深い関わりを持ちたくない。


「金は必要ない。体も求めてない。だから余計なこと考えずにビールでも飲みに来い」


 居心地の悪い人間関係から逃げ込んだワンルームでビール酌み交わす。それくらいの緩い関係でいいんだと千翔は言う。

 千翔としてもその方が都合がよかった。人間関係は浅く、必要最低限に。それが千翔の信条だからだ。

 人間関係は思っている以上に脆い。金や情の縺れで簡単に崩壊する。それは千翔の望むところではなかった。

 体の関係を持って変に意識するよりは、何も無い先輩と後輩のままでいたい。一緒に酒を飲んで映画について語らうだけの関係。そんな今が一番心地好いのだから。


(それに、朝日奈だって……)


 音羽もきっと、千翔に体を許すのは本意ではない。知らない誰かよりは知っている千翔の方が幾分かマシだった。それだけの話。

 だから千翔は欲望よりも理性を選ぶ。浅いながらも心地好い今の関係を取った。

 音羽は自分の格好に恥じらいを覚えたらしく、いそいそと服を正してにこりとはにかむ。


「ちょっとだけ安心した。覚悟はしてたけど、いざってなると心の準備が……」

「そんな覚悟必要ないっての。そういうのは本当に大事な人のために取っとくもんなんだよ」

「ふふ、もしかして先輩もまだ取ってるとか?」

「……ほっとけ」

「あ、図星だ」

「うるせえよ。追い出すぞ」

「きゃー、襲われるー」


 音羽は全く緊迫感のない棒読みの悲鳴をあげて胸元を隠すが、襲う気は毛頭ない千翔に軽く流される。

 当然襲われるとも思っていない音羽は「そっか、先輩もまだなんだ」と楽しげに笑っている。随分酔いが回ってきたのか、キャッキャとはしゃぐ音羽が珍しく、千翔も自然と笑みが溢れた。

 やはり自分の選択は間違っていなかった。欲望に負けていたら彼女は今こうして笑えていなかったかもしれない。

 それはそうと、人の性事情をそこまで笑うのも失礼な話だ。似たり寄ったりだろうに。

 いたたまれない気分でビールを呷ると、それに合わせて音羽も1口。

 急に訪れた一瞬の静寂。テレビの音も周囲の喧騒も聞こえない中、ゴクリとビールが喉を通る音だけが部屋に流れる。

 こうした会話のない時間は嫌いじゃない。当然相手にもよるが、音羽と2人きりの時には珍しいことでもない。

 無理して話を弾ませる必要がない相手。互いにそう思っているからこそ、この時間も落ち着いていられる。


「ありがと」


 静かだからこそ、小さな声でもよく聞こえる。目線を向けた先で微笑む音羽と目が合う。

 彼女の表情はどこか薄暗く見えた。まだ何か話していないことがあるのか、何か言いたげではあったが深くは掘り下げないことにした。


「どういたしまして」

「不束者ですが、どうぞよろしく」

「永住する気じゃないよな、お前?」


 わざとらしく鼻歌を交えて酒に逃げる音羽。住まわせる気は毛頭ないが、アルコールに侵食された頭ではあれこれと考える気力も湧かない。

 今日は音羽の居場所を作ってやれただけ良しとすることにした。

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