第19話 向こうとこっち

「……ところで、マスター。あんたがアルカンセルまで来るなんて『災厄の雪崩』よりも珍しいじゃないのさ」

 アタシは、アタシの前を行くマスターの背中に向かって声をかける。


『災厄の雪崩』ってのは、数千年から数万年の間に一度だけ起きる災厄のことさ。ベスツィ連峰の向こう側からベスツィ連峰を超えて、数多のモンスターが群れを成して一挙に押し寄せてくる災厄……。雪に覆われたベスツィ連峰の尾根を超えてくるモンスターたちが、雪を纏ってベスツィ連峰の斜面を一斉に下ってくる光景が、まるで雪崩のように見えるから『災厄の雪崩』ってわけだね。


「ニコちゃん、ニッポンはどうだったの?」

 冒険者ギルド本部に向かう道すがら、マスターは立ち止まってそう言う。夜半過ぎの暗がりの中でマスターの様子は分からない。

「……さすがマスター、把握済みってわけかい」

 夜半過ぎのアルカンセルは人通りもなく、どこか物寂しい街になっている。こういう時は、道端で話した方が、むしろ誰かに話を聞かれる危険性が低いのさ。アタシもマスターも、それを分かっている。


「それで、わざわざそれを聞きにアルカンセルまでやってきたのかい?」

 アタシは皮肉めかして言う。

「……正解♡」

 マスターはニコリと笑う。いや、暗がりでマスターの表情は分からないけど、雰囲気で分かるのさ。


「そうだな……。ニッポンは、すごく平和で豊かだったよ。こっちの世界みたいに、人類の存亡を脅かすような強大なモンスターがいるわけじゃない。戦争だってない。道はアスファルトとかいう硬くて歩きやすいもので整備されている。家も堅牢かつ利便性に富む。知ってるかい? 室温の調整が出来る器具まであるんだよ。……夜には家も、店も、道だって明るい照明で照らされている。しかも、それが全部、魔術だとか、そういったもので動いているんじゃない。電気とかいう謎のエネルギーで動いているのさ。ニッポン人は、それらを享受して平和で、豊かに暮らしているよ」


「………………」


「あっちじゃ、子どもはみんな学校とかいう教育施設に通う。みんな、教育を受けられる……。アタシたちとは、まるで違う育ち方をするのさ」


「ニコちゃんの話を聞く限り、ニッポンっていうとこはわっちたちの世界よりも断然、良い世界のようね」


「……ああ、そうだね。でも……、ニッポン人の中には、自分たちの世界を捨てて、わざわざアタシたちの世界のような危険で未開の領域があるような、そんな世界に行ってみたいらしいのさ」


「へえ~、不思議ねえ……」


「平和に生きられれば、それに超したことはないだろうにさ……」


「ニコちゃんがそれ言うと、すごく重みがあるわね」

 マスターが褒め言葉なのか皮肉なのか分からない言葉をよこしてくる。

「アタシだってニッポンに行ってなきゃ、そんなことも考えなかったさ……」



「ニッポンの話を聞かせてくれてありがとね♡ ところで、ニコちゃん。それとは別に伝えたいことがあるんだけど……」

「はあ……」とため息を吐いたアタシに、マスターは気分を替えるかのように明るい口調になる。

「なんだい? またニッポンに行けとかって話じゃないなら話を聞くよ」

 アタシはそう言って、もう一度ため息を吐く。

「どこぞの蘊蓄導師じゃないんだから、そんなことを伝えるわけないわよ。……そうじゃなくて、勇者のことよ」


『どこぞの蘊蓄導師』……。アタシをニッポンに飛ばした張本人……。思い出して怒りが込み上げる。アイツ、覚えとけよ……。


 まあ、それはそれとして……。


「勇者がなんだって?」


「明朝、勇者がアルカンセルに着くわ。そして、ほぼ確実に、冒険者ギルド本部に来て冒険者登録をすることになるわ。そこでなんだけど……」

 マスターはそこまで言ってから、気まずそうに口ごもる。

「どうしたんだい? 何か言いづらいことでもあるのかい?」


「これは情報屋としてというよりも、ニコちゃんの旧くからの友人としての提案なんだけど……」


「マスターにしては珍しく、はっきりしないね。旧くからの友人なんだからさ、はっきり言ってよ」


「勇者がどんな様子なのか知るのに、一番いいのは冒険者ギルドで勇者の冒険者登録の受付をしてみてはどうかなって……」


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………!!???」


「いや、ほら。受付嬢とか、ニコちゃんの素のキャラに反するのは分かってるわよ。でもでも、勇者を知ることが勇者を制することに繋がるのはニコちゃんなら分かってるわよね? だったら勇者の冒険者登録の受付をするのも勇者を知るには大事になるわ。いや、決して、普段可愛げのないニコちゃんを何とかして可愛げのある振る舞いをさせてやろうとか、そういう気持ちなんて全然ないわ。ホントよ、ホント。でもほら、……でも仕事を完遂させるためには手段を選ばないのがニコちゃんの流儀でしょ? ならやっぱり、受付嬢をニコちゃんが……」


「マスター……」


「はい、なんでしょうかッ!?」


「……後で覚えておくんだね」

 アタシはマスターにドスの効いた声で言うと、マスターに悟られないようにため息をもう一度吐いた。


 なんでアタシが、受付嬢なんかやらなきゃいけないのさ……。



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