自由都市アルカンセル篇

第16話 巨虎 デベッタ

 自由都市アルカンセル――。

 アンブロシア王国と隣国マーハーラル帝国との間に広がるムザ草原の只中にある都市。アルカンセルが自由都市と呼ばれるのは、アンブロシア王国とマーハーラル帝国のどちらにも属さず自治を行っていることから。

 そして、自由都市アルカンセルが両国からの干渉を受けず自治を行えるのは、彼の街に冒険者ギルドがあるおかげってわけだね。

 アルカンセルでは、冒険者ギルド本部が都市の統治機構も担っている。つまり、冒険者ギルドマスターが自由都市アルカンセルの統治者でもあるってことさ。


 アタシはズワシの転移魔法テレポートで、勇者たちに先んじてアルカンセルに到着した。

 そして、アタシが今いるのは、自由都市アルカンセルにある冒険者ギルド本部のギルドマスターの執務室。

 執務室は飾り気のない執務用の卓と椅子、それに簡素なソファが一つ置かれている。卓上にはいくつか書類らしき紙が整頓されて置かれている。


 時刻は昼過ぎ。冒険者ギルドの入口では、昼休みが終わって午後の受付が開始される頃合い。

 アタシとデベッタは、卓を挟んで向かい合っている。

 「久しぶりだね、デベッタ。三年戦争じゃアタシもあんたも汚い仕事ばかりやらされていたってのに、あんたは今や冒険者ギルドマスターにして自由都市の統治者かい……。出世したものだね」

 部屋の中央近くで立ちながら、アタシは卓の向こう側の、虎の獣人に向かって軽口を叩く。

「また懐かしい話をするねえ……。あの頃は、お互いに何も知らない小娘だったっけ」

 卓の向こう側の椅子に座るデベッタは、そう言って懐かしそうに目を細める。


 かつてアタシとデベッタはアンブロシア王国とマーハーラル帝国とが激しく争った三年戦争に同じ部隊で従軍していたのさ。

 三年戦争で経験したことは、思い出すだけでも嫌になるようなことばかりだけど、あの戦争がなければアタシたちは出会っていないし、今こうして軽口を叩き合ってもいない。何とも皮肉な巡り合わせさ……。


 冒険者ギルドマスターのデベッタは虎の獣人であり、女だが、その背丈は並の大人の男よりも頭三つほど高い。

 加えて、虎特有のしなやかさと力強さを持ち『雷が落ちるほんのわずかな間に、どんな相手でさえも撃つ』と言われるほどの実力から【雷撃の巨虎】と称されている。

「獣人の中じゃあ、ウチは絶世の美女だぁよ 」と自称してるけど、獣人の美的感覚は人間には理解が難しい…… 。


「……で、ウチのとこに来たのは、ムザ草原のゴブリンを一網打尽にしようとかって誘いなんかじゃないよねぇ?」

 デベッタが椅子から立ち上がりつつ、そう冗談めかす。

「……まさか。ゴブリンの討伐はCランク冒険者の仕事じゃないだろ? アタシが来たのは、そういうことじゃなくてさ……」

 アタシは肩を竦める。アタシはデベッタに、これまでの経緯をザッと説明する。とは言っても、さすがに、アタシが異世界ニッポンに行っていたことは伝えなかったけどね。

 異世界がどうこうって話は、伝えたところで信じちゃくれないんじゃないかって思ってね。


「はぁん。勇者が冒険者にかぁ……」

 デベッタは思案げに、右手を顎にやって視線を右上の方に向ける。

「んーで、それでウチにどうしろって言うん?」

 デベッタはそのままの姿勢で、アタシに問う。

「勇者が冒険者ギルドに来たら知らせてほしい」

 

「他ならぬニコの頼みだし、知らせるなら、ね。ただ、アルカンセルの統治者として、一つ言っておくんだけど……」

 デベッタが急に真面目な顔をする。

「もし、ニコが勇者を殺すことに成功したとして……。そのことが大っぴらになったとして、だよ? それでニコがどんな目に合ったとしても、ウチはニコにしてやれることは何もないんだ、ってことは忘れないでほしい」


「…………。ああ、分かってる。暗殺者をやっている以上、そのことは百も承知さ」

 アタシはそう言うと「それじゃ、邪魔したね」と言って、執務室を後にしようとする。


「ああ、そうそう。ニコ……。久しぶりに会えて嬉しかったぁよ」

 部屋を出ようとしたアタシに、デベッタが柔い口調で言う。

「…………デベッタ、世辞はよさないかい。統治者になって、人心掌握術でも身に付けたのかい?」

 アタシは、そう軽口を叩く。何だか、ちょっと胸の奥がムズムズする。

「…………そうかもね」

 デベッタの少し照れたような声を聞きながら、アタシは部屋を出た。

 アタシはギルド職員のフリをして、ギルド本部を堂々と歩いて冒険者ギルドを後にする。


 それから、勇者がこの街に到着するまでに、どうしても行っておきたいところがもう一つあるのさ。


 アタシはアルカンセルの中央にある冒険者ギルド本部から、街の南端のメッズ地区へと向かう。

 自由都市アルカンセルはムザ草原の只中にあるだけあって、高低差はあまりない。だから、移動は楽さ。これが高低差がかなりあるマーハーラル帝国帝都ミャコルセンとなると……。


 そんなことを、ツラツラと考えながら歩いて数刻。太陽が西の空へと傾いてきた頃、メッズ地区に着いた。

 メッズ地区はアルカンセルの中で最も治安の悪い地区で、建物と言ってもバラックのようなものしかない。

 ここの地区に近付くのは犯罪者やゴロツキ、もしくは自殺志願者か無謀な度胸試しをしたいバカくらいなものさ。


 もちろん、アタシはそのどれでもなく――暗殺を生業としてるから犯罪者と言えなくもないか――て、ここにはアタシのがあるのさ。


 アタシは入り組んだ通路しかないメッズ地区を迷うことなく進み、とある赤い壁のバラックの前まで来た。


 みすぼらしい外観の赤い壁のバラックの前に、明らかにカタギじゃない小柄でみすぼらしい男が立っている。

「………………。赤い月が殺した大海の主は天に昇って神を喰らう」

 ソイツはアタシの存在に気付くと、アタシを一睨みしてからボソリと小さな声を出す。

「神の御座は地に堕ちて人は全てを手に入れるだろう」

 アタシは応える。

「………………。通れ」

 小柄でみすぼらしい男は、それだけ言う。アタシは赤い壁のバラックの中へと入る。


 バラックの中は人が住むようなものではなく、地下へと降りていく階段がある。

 アタシの職場は、この階段の先にあるのさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る