第12話 父 美鈴貴

「…………父さん、最近思うんだよ。澪が明るくなって嬉しいって」


 夏の終わり。日が沈んで間もない夕から夜へと時が移る頃。ニッポンでは、数字で時を表す。午後七時。

 美鈴家の食卓。LED電球の灯りが照らすキッチンで、アタシ、澪、それから澪の父の美鈴たかしの三人で長方形のテーブルを囲んでいる。魔法ではなくて、電気を光に変えてるんだとさ。

 テーブルの上には、ご飯に焼き鮭、豆腐の味噌汁、きゅうりの漬け物にほうれん草のおひたし。

 どれも、こっちの世界で美鈴家にお世話になってから知った食べ物だね。


 こっちに来て、美鈴家に居候することになってすぐは、どれも食べれたものじゃないと思ったさ。

 特に、焼き鮭! アタシの世界じゃ魚を食べるなんていう文化もなければ、そんな発想自体がない。

 最初、この淡い紅色の身を出された時には、これが鮭という魚の身だとは分からずニッポンでは大海の支配者レヴィアタンを切り刻んで食べるのか!? と驚いたよ。


 でも、すぐに美味しいことが分かったのさ。

 アタシの世界の、コロー丘陵地帯で育てられてる一つ目牛のステーキだって、そりゃあ、脂が乗って濃い肉の味がして美味しいに決まってるけど、こっちの世界の焼き鮭も淡白ながらよく脂が乗ってて美味しい。


 まあ、それはさておき。


 澪の父の貴は、会社というところで働いている。澪が言うには「どこにでもいる普通の会社員だよ」だそうさ。

 会社……。アタシの世界にはない組織だね。


 正式な名をカブシキガイシャ……とかなんとかで、営利を目的として……それで株がどうとかで……資本がナントカカントカ……。

 よく分からないが、まあつまり、会社に務める会社員というのは、ニッポンでは一般的な職業なんだってさ。


「父さん。それ、ニコ姉のおかげだよぉ」

 澪が焼き鮭を一欠片、上手く箸を使って口に運びながら貴に答える。……箸、というのもアタシの世界にはない道具だね。アタシの世界じゃ、上流階級ならスプーンとフォーク。下流階級じゃ手づかみだって珍しくないさ。

「ああ、確かに。ニコちゃんが来てからだもんな。澪が明るくなったの」

 貴がそう言いながら、アタシをチラッと見る。


「……別に、アタシは何もしてないさ」

 アタシも焼き鮭を一欠片、箸を使って口に運びながら言う。大分、箸の使い方にも慣れたさ。まっ、箸を上手く使うぐらい器用じゃなきゃ、暗殺者なんてやってられないね。

「でも、ニコ姉。学校で私を助けてくれたじゃない?」

 澪がアタシを見て笑みながら言う。

「ああ、アレか……」


 アタシがスザク東ヶ丘高校に編入学してから、はじめての登校日のことさ。

 澪と一緒に登校すると、校門にガタイがよくてイカつい顔のした中年男が立っていた。澪が「アイツ、体育教師の大山田。いっつも私にセクハラしてきて……」と周りに聞こえないように小声でアタシに言ってきた。

 セクハラというのが何なのかは分からないけど、その時の澪の雰囲気で体育教師の大山田のことが嫌いなんだ、ということは分かった。


 校門まで行くと、体育教師の大山田がギロリと睨みつけるように澪を見ると「おう、美鈴。今日は珍しく連れを連れて登校か? いいなあ。先生もこんな美人な留学生を連れにしたいよ」とニヤニヤと笑いながら、アタシをチラチラと見ながら澪に声をかけてきた。

 ああ……、なるほど。こりゃあ、嫌われるわけだ。


 アタシは澪より前に出て「はじめまして。今日からこの学校にお世話になる留学生のニコさ。よろしく」と言って手を差し出した。

 大山田は「日本語が上手いんだな」と言って、大山田はニヤニヤした顔のまま手を差し出してきた。アタシが握手をしてきたと思ったんだろうさ。


 アタシは大山田が差し出してきた手を握らず、更に手を伸ばして大山田の肘を掴む。そして、肘のとあるポイントを親指で強く抑えた。

「………………アッ、ッ!!」

 その瞬間、大山田の顔はニヤニヤした笑いから苦痛に歪んだ顔に急変した。


 生きる世界が違う人間だと言っても、人体の構造は同じ。肘のこのポイントを強く抑えると、耐え難い痛みが生じる。だからって、ちょっとやったぐらいじゃ身体に悪影響はないさ。


 アタシはすぐに大山田の肘から手を離して、校舎の方へ向かった。

 それ以来、アタシを警戒してか大山田が澪にセクハラをすることはなくなった。



 澪はあまり他人と積極的に関わる方ではないから、学校でも孤立しがちだったけどアタシといることで明るくなれたんだとさ。



「……そんなわけで、『チート勇者の無双伝』読んでみる?」

 夕食後、アタシと澪は六畳の部屋にいる。元は澪の一人部屋だったけど、アタシが美鈴家に居候することになったから急遽、二人部屋になった。

 六畳というニッポン特有の、広さの表し方にも慣れた。


 ベッドにうつ伏せに寝転がって、足をバタバタさせながらこっちを見ずに澪は言う。

「勇者、ねえ……」

 勇者という単語が気になって、澪が買った漫画『チート勇者の無双伝』を読もうかな、なんて考えてみる。

「読んで……みようかな」


「はいよ、ニコ姉。異世界もの面白いよね。……って異世界から来たニコ姉に言うのも何だか変かぁ」

 澪がそう言って『チート勇者の無双伝』を渡してくる。そして、一人で何だか納得している。

「ねえ、ニコ姉。異世界ってどんなとこ? やっぱり、世界を滅ぼす魔王とか魔王を倒す勇者とかっているの!?」


 畳の上で寝転がって『チート勇者の無双伝』を読もうと本を開こうとすると、澪が声を弾ませて聞いてくる。

「世界を滅ぼす魔王なんていないさ。そんな大事おおごとは異世界だって起きやしないよ。…………まあ、勇者は……いるにはいるけどね」

 アタシは開きかけの本から澪に視線を移して、そう答える。そして、答えてから、本を開く。


「へぇ~。勇者はいるんだぁ。会ってみたいなぁ、勇者に」

 澪が独り言を言って、また足をバタバタとさせる。


 アタシは、あの勇者を思い出す。

 まあ、勇者って言ったって、元はこっちニッポンの人間なんだけどさ。なんてことは澪には言えず……。


 澪に気づかれないように小さくため息を吐いてから、アタシは『チート勇者の無双伝』読みはじめた。

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