第11話 オタク 安国寺芳彦

 熊殺しのアキを一発で片付けると不良どもは何が起きたのか理解が追いついていないようで、ちょっとの間、ポカンと口を開けて呆けていた。

 アタシが「どうしたいんだい? まだやるのかい?」と言うと、不良どもは我に返って「きょ、今日はたまたま調子が悪かっただけだからな!」と負け惜しみを言ってアキを担いで去っていった。


「………………………………あ、あの」

 不良どもが去っていく後ろ姿に目をやっていると、恐る恐ると言った感じの小さな声がする。

 声の主を見ると、さっき不良どもに絡まれてカツアゲされてた少年が半泣きの顔でアタシを見ている。


 小柄で痩せ型。細い目に口角の下がった口。少し陰のある雰囲気を纏っている。お世辞にも見た目がいいとは言えないが、嫌悪感を抱かせるわけでもない。不良どもに絡まれていたせいか、制服のところどころが乱れてシワになっている。


「助けてくれてありがとうございます。強いんですね。……男の僕よりもずっと」

 少年は恥ずかしそうにそう言うと、フヘッとぎこちない笑みを浮かべる。

「まあ、少し特殊な生き方をしてるからさ」


「特殊な生き方……ですか?」

 少年の目がキラリと光った気がする。

「ああ。少し、ね」

 少年の目が光ったのは気のせいと自分に言い聞かせて答える。


「ああ、そうだ。まだ名前を名乗ってませんでしたね。僕は安国寺芳彦あんこくじよしひこ。朱雀東ヶ丘高校一年生にして、この高校の影の支配者……」

 安国寺芳彦と名乗った少年は、そう言ってフフフと不敵な笑みを浮かべる。


「ニコ姉!」

 背後、つまり校舎の方から聞き慣れた声が聞こえる。振り返ると、澪が校舎からアタシの方に走って近付いてくる。

「ニコ姉、今日も学校お疲れ様!」

 澪はそう言って、アタシの後ろから抱き着いてくる。

 あれから、澪はアタシのことをニコ姉と呼ぶようになり、いつも一緒に学校に行っている。澪はアタシより一学年下の一年生。

「……うぉい、バカ! 抱き着いてくるんじゃないさ!」


「ニコ姉、照れてるぅ。かわいいなあ。……つて、安国寺くん!?」

 澪は話の途中で安国寺芳彦に気づいたようだ。

「澪、知り合いかい?」

 抱き着いてきた澪の腕から、身を捻りながら脱しつつアタシは澪に聞く。

「うん、同じクラスの男子。オタクだよ」

 澪はオタクという、聞いたことのない単語を口にする。


「まあ、オタクと言われればオタクですかね……」

 芳彦は相変わらずフフフと笑みを浮かべている。

「……オタク?」

 アタシが純粋な疑問を口にすると、安国寺は真顔になる。

「留学生のニコさんに、オタクとは何かを説明するのは難しいですね。しかし、まあ、説明する機会があればいくらでも説明しましょう!」


 芳彦はそう言うと、足早に去っていった。

 時々こちらを振り向きニヤリと笑みを浮かべながら。


 不良にオタク。

 こっちの世界ニッポンにも、色んな立場の奴がいるんだね……。


 そんなことを思いながら、アタシと澪は校門 から出て帰り道を歩き出す。


「そういえば、ニコ姉? 今日って『チート勇者の無双伝』の発売日じゃなかった?」

 歩き出してすぐ、隣を歩く澪が声をかけてくる。

「……あ? 勇者?」

 勇者という単語を聞いて、勇者を思い出す。アイツも、こっちニッポンからあっち異世界に行ったんだよな……。


「そう、勇者! 現実世界から異世界に行って勇者となった主人公が、異世界で無双する話。 今話題の新作漫画だよ!」

 澪が楽しそうニコニコしながら説明する。

「へえー。勇者が、ねえ……」

 アイツがアタシたちの世界で、強大なモンスターたちをなぎ倒していく姿を想像してみる。……いやあ、ないな。いくらあの勇者に怪我を負わせることができなくとも、毒が効かなくとも、それだけじゃ無理さ。

 瘴気溢れる森の主ハンババの瘴気と毒に耐えられたところで、奴を倒すほどの剣の腕がなければ、ね……。


「うん! だから、ニコ姉。慶安堂に寄って買って帰ろ?」

 澪はそう言うと、アタシの腕を掴んで引っ張っていく。

「やれやれ、仕方ない。付き合ってやろうかね……」


 慶安堂っていうのは、この街にある本屋のことさ。ニッポンでは、身分の差を問わず誰でも本を読むらしい。

 アタシたちの世界じゃ、本を読めるのは貴族や魔術師、富を得た商人なんかのごく限られた者たちだけさ。


 しかも、ここには漫画っていう絵とセリフを用いた物語の書物があって、老若男女誰でも読むんだとか。こっちの世界にまだ慣れなかった頃のアタシに澪が説明してくれた。


 それにしたって、勇者か……。

 こっちの世界では、物語に出てくるほど勇者というものは特別な存在なんだろうかね?


「なあ、澪?」

 アタシは歩きながら隣の澪に声をかける。

「なぁに、ニコ姉?」

 澪は相変わらずニコニコしながら応える。


「勇者ってのは、一体なんなんだ?」

 アタシは澪に聞く。

「………………うーん、よく分からないけど、悪を倒す正義のヒーロー……なんじゃないかな」

 澪は笑みを絶やさずに、ゆっくりとそう言う。

「悪を倒す正義のヒーロー……?」


「うん。よく分からないけどね。でも、そんなことよりも早く慶安堂に行こっ! 早くしないと売り切れちゃうかも!」


「別に、ネットで買えばいいんじゃないかい?」


「ニコ姉、こっちの世界に順応するの早すぎない? そりゃあ確かにネットで買えばいいんだけどさ」


「こっちの世界のことは全部、澪が教えてくれたんじゃないか」


「確かに! でも、私はネットで買うよりも本屋で買った方が好きだから」


「……そんなもんかね?」


「そんなもんだよぉ。さっ、ニコ姉と放課後本屋デートだぁ」


 そんなやり取りをしながら、アタシと澪は駅前の慶安堂に向かった。


 こっちニッポンに来てから、こんな感じで平和な毎日を過ごしている。

 あっち異世界にいた頃の、暗殺者としてのアタシを忘れそうになる。

 これからずっと、こっちにいて、こうやって平和な毎日を過ごして生きてもいい、なんて思う時もある。


 ……でも、それはダメだ。

 またあっちに戻って、アタシの仕事をやり遂げなきゃいけない。


 勇者……。

 またそっちに戻った時は、その時は必ずお前を殺してやるさ。

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