異世界ニッポン篇

第8話 ニッポン人

 ミーンミンミンミン。

 ミーンミンミンミン……。


 聞いたことのない音が響く。何かの鳴き声かい?そいつはひどくうるさく、でも、どこか懐かしい音……。


 アタシは思い出す。

 そういやズワシの奴、アタシに異世界ニッポンへ往ってくれとかなんとか言って、転移魔法陣を起動してさ……。


 …………? てことはさ……。

 この聞いたことのない音は、ってことなのかい?


 ………………。

 今アタシがいるのは、異世界ニッポン?


 感覚と思考だけがグルグルと巡る。

 そんな時間がどのくらい続いたのか……。


 やがて、意識が戻ってくる。


「……………………ッ!?」

 目を開く。そして、視界に飛び込んできたのは、どこまでも抜けるような青空と鬱蒼と茂った木々。柔らかい土と背の短い草の感触を背中に感じる。


 ああ、アタシは今仰向けに寝転がって。木立の中から空を見ているのか。


 額から一筋の汗が流れ落ちる。

 暑い……。しかも、ただ暑いだけじゃない。

 全身にネットリと張り付くような暑さ。

 マーハーラル帝国の南にある、レセト砂漠のカラッカラに乾いた暑さとはまた別の暑さだね。


 額から流れる汗を一つぬぐうと、アタシは立ち上がる。

 死ぬほど不本意ではあるけど異世界ニッポンここに来てしまった以上、どうしようもない。何とかして、元の世界に帰る方法を見つけなきゃならないのさ。


 ……元の世界に帰ったら、ズワシの奴に一発お見舞いしてやろうかね。

 頭の中にを浮かべながら、アタシは一歩を踏み出した。


 木立の中にある、獣道のような土が踏み固められて出来たと思しき場所を辿るとすぐに視界が開けた。

 視界の先には小高い山が連なっている。急峻で岩肌がむき出しのベスツィ連峰とは違って、青々とした木々が茂って緩やかな傾斜の山。


 そして、辺りには……畑なんだろうかね?

 アンブロシアの食料庫と呼ばれるナムルの穀倉地帯の、辺り一面を麦畑の黄金で埋め尽くすようなものとは全く違うものさ。

 だけど何かを栽培しているようで、畑ではあるんじゃないのかね。


 足下には灰色の道が通っている。ナハリの石畳の通りとは雰囲気が全く違う。でも、よく整備されている様子が見てとれる。


 ここが異世界ニッポン……。

 少しの間、アタシは全く見慣れない風景を前に身動きができないでいたのさ。


 でも、頭の中では思考を巡らせる。


 目の前の風景から推測できることがある。

 アタシは畑に注視する。…………つまり、だ。

 畑があるということは、それほど遠くはない所に人がいる可能性が高いということさ。


 ニッポン人が友好的な種族だという保証はない。けど、ここはまずニッポン人と接触するのが最善の手なんじゃないか。

 アタシはそう判断し、灰色の道を歩き出す。


 勇者のことを思い出す。アイツはニッポン人……。

 アタシが霧と繭亭の屋根から足を滑らせて落ちた時、アイツは手を伸ばしてアタシを助けた。

 見ず知らずの、誰なのかも分からないアタシをね。


 あの時、アタシは勇者のことをひどくお人好しな奴だな、と思った。

 当たり前だけど、別にアタシを助けなきゃならない義務も義理も理由もない。命を助けられたからって、恩を恩で返す人ばかりじゃない。

 実際、アタシは助けてくれた勇者を、今でも殺そうとしてるのさ。


 それにも関わらず、勇者はアタシを助けた。そして、勇者はこの世界からやってきてたのさ。

 そう、つまりだ。ニッポン人はもしかしたら、お人好しな種族だってことなのかも知れない。


 だから、ニッポン人に接触して……。


 そんなことを考えながら灰色の道の真ん中を歩いていると、前の方から何かがこちらに迫ってくる。

「なんだ、あれは……?」

 思わず声が出る。


 白色の車体に四輪。四方に窓がついている。窓をよく見ると、中に人が乗っているのが見える。

 馬車に似てなくもないが、輓馬も何もいない。……ていうか、輓馬がいないなら動力は何だ? 一体、どんな仕組みで動いているのさ!? まさか、魔法で動かしてるんじゃないだろうね!?


 突然の理解不能さにアタシが立ちすくんでいると、その謎の移動物体はアタシのすぐ近くまで来て止まる。

 そして、その物体の右前方からバタンッと音がしてドアが開く。


 開いたドアから、黒髪平たい顔の男が出てくる。アタシたちとは異なる顔立ちだから、正確な年齢は分からないが五〇~六〇代だろうかね。

 帽子を被り、何の素材で出来ているのかは分からないツナギを着ている。そして、厳しい表情でアタシを睨みつけてくる。


「なんで道路の真ん中を歩いてるんだ!? かれたいのか!」

 あまりに唐突すぎる出来事で、何のリアクションも取れないアタシに向かって怒声を浴びせてくる。

「あー、えーっと……」

 そう声を出すことがやっとなアタシを、男はジロジロと見る。そしてすぐに、何かを納得したかのように一つ頷く。

「何だ、お前さん外国人か? こんな田舎に何しに来たのか知らないけど、日本には日本のルールってもんがあるんだ。日本では歩行者が道路を歩く時は右側の隅! 分かったか?」

 中年男は怒りを露わにしながら、道路の右隅を指差す。

「……あ、ああ。分かった」


 どうやらこの世界ニッポンでは道路を歩く時は、道路の右隅を歩かなくちゃいけないようだね。

 アタシの世界じゃ、道路のどこを歩くかなんてことは決められちゃいない。


 やれやれ……。と心の中でため息を吐いて、アタシは道路の右隅に向かう。


 男は「全く、これだから外国人は困るんだよ!」とブツブツ言いながら、再び謎の移動物体に乗り込むと勢いよく走り去っていった。


 ていうか、ガイコク人ってなんだ……?

 あの男は、アタシのことをガイコク人だと思ったようだけど……。

 もしかして、この世界にはニッポン人とは違う、ガイコク人なる種族でもいるのか?


 再び誰もいなくなった灰色の道の右隅を歩きながら、アタシは首を傾げた。


 本当に、訳が分からない世界だな。

 異世界ニッポンってヤツはさ……。

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