第6話 導師 ズワシ

 朝市の準備をする商人、朝務めに向かう下級文官、夜通し飲んで道端で酔い潰れた酔っ払い、道の端を行き交うドブネズミたち……。

 朝焼けに燃える王都ナハリの目抜き通りは、日の出とともに徐々に人通りが出始めている。


 アタシは、その目抜き通りをトボトボと歩いている。

 勇者が泊まる部屋から格好を付けて去ったものの、アタシは落ち込んでいた。


 暗殺失敗……。大誤算。

 まさか、勇者に毒の耐性があるとは……。でも、それじゃあ、怪我もせず毒も効かないとなると、どうやって勇者を殺せばいいんだ?


「はぁ……。この仕事、思ったよりも骨が折れそうだね……」

 アタシはそう独り言を呟くと、目抜き通りから細い路地へと入る。


 この路地の突き当たりには地下水道へ繋がる穴がある。そこからアタシの棲み処へと帰れる。

 一度棲み処へと帰り、策の練り直しさ……。


 そう思い、人のいない路地を進んでいると、目の前に黒いローブを着た何者かが佇んでいる。

 黒いローブに黒いフードを目深に被り、顔は一切見えない。でも、ソイツの視線はアタシに向けられていることはすぐに分かった。

「……影かね。んで、魔術師ギルドがアタシに何か用なのかい?」

 アタシは目の前のソイツに声をかける。影は、何も声を発さない。まあ、影というのは声を出さないものさ。


 影というのは、簡単に言えば魔術師ギルドの遣いさ。正確に言えば、魔術師ギルドを取りまとめるズワシ導師の命で動くだね。

 その正体は誰も知らない。人間なのか、人間以外の種族なのか、あるいは魔物の類なのか、不死なのか、そもそも生き物なのかも。


 ただ、黒く陰鬱とした雰囲気とは裏腹に、無害な存在さ。魔術師ギルドが公然と招くことのできない客人を招く際に遣わされる。

 つまり、だ。今、アタシは魔術師ギルドから客人として招かれている、ということさ。


 影は黒く重苦しいオーラを纏いながら、アタシにゆっくりと近付いてくる。

 そして、無言のままアタシの肩に手をかける。


 その瞬間、アタシの意識は混濁する。アタシは自分が誰なのか、どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかすら分からなくなる。吐き気を覚え、体の感覚すら失いそうになる。


「……………………ッ!」

 一瞬後、意識がはっきりと戻ってくる。それと同時に、アタシの視界に入ってきたのはさっきまでいた路地ではなく、部屋の中だった。


 天井まで届く本棚が部屋を囲い、その本棚にはびっしりと本が詰められており、部屋の床には見たこともない魔法陣らしき幾何学模様が描かれている。

 アタシはすぐに理解した。ここは、魔術師ギルドの一室なんだ、と。影は、アタシをこの部屋に空間転移させたのだ、と。


「久しぶりだね、ニコ。我が友人」

 どこからともなく、スカした男の声が聞こえてくる。しかし、声の主の姿は見えないね。ああ、でも、この声は……。

「ズワシ、わざわざ んだ。お前は客人にすら姿を見せないほどシャイなのか?」

 アタシは姿の見えぬ声の主に向かって、煽ってみせる。

「ハハ、相変わらずの威勢だね。でも、嫌いじゃない」

 その声とともに、アタシの目の前の空間が歪む。そして、一人の男が現れる。


 純白のローブを纏った男。年齢は二〇代前半に見える。白髪のマッシュに涼し気な目元、高い鼻に薄い唇。総じて容姿端麗な顔。

 体の線は細いが、上背はある。


 このスカした男が魔術師ギルドの長、最高導師ズワシさ。フルネームをヤタ・ウィトゲンシュタイン・ヘーゲルストランド・ヴァン・ズワシと言う。まあ、コイツのことをフルネームで呼ぶ奴は誰もいないがね。

 そして、アタシとズワシは旧知の仲なのさ。


「それで、アタシに何の用なのさ? 最高導師サマが、わざわざ影まで使って呼んだんだ。まさか、魔術師ギルドへ入門しろ、だとかっていう訳じゃないだろうさ?」

 アタシはズワシに皮肉っぽく言う。

「まさか。魔術師ギルドは現在、定員オーバーでね。しばらくは、新規入門お断りだよ。……私が君を呼んだのは、君が今必死になって追い掛けている勇者について、だよ」

 ズワシは涼し気に笑みながら話す。


「……ハァ、アタシが勇者を殺そうとしてること、お見通しってワケかい?」

 アタシはため息を吐く。

「ああ、もちろん」

 ズワシは相変わらず、涼し気な笑みのまま答える。


「だけど、そもそも、勇者を召喚したのはズワシなんじゃないかい?」

 アタシはマスターから得た情報を思い出し、それをズワシに聞く。

「ああ、そうだよ。君を呼んだのは、そのことについてなんだ」


「……と、いうと?」


「まあ、立ち話も何だし、どうだい? 少しお茶を飲んでいかないかい? 少し込み入った話になるからね」

 ズワシはアタシの疑問には答えず、そう言うと、指をパチンと鳴らす。景気よく鳴らされた指の音がすると同時に、部屋の中央にテーブルとテーブルを挟んで向かい合ったソファー二つが現れる。


 ズワシは優雅な足取りでソファーに向かうと、ゆっくりと腰を下ろす。そして、アタシに向かって「来ないのかい?」と言いたそうに腕を広げる。

 アタシは心の中で一つため息を吐くと、ズワシと向かい合ったソファーまで行き腰を下ろす。

 テーブルには、ティーセットにクッキーが置いてある。


「やはりお茶は、アンブロシアの舌と称されるコロー丘陵地帯で採れるヴァルガット茶に限ると思わないかい? あそこのお茶は格別さ。コロー丘陵地帯は元々、竜族と巨人族が熾烈な縄張り争いをし続けた土地で、竜族、巨人族双方の多くが彼の地で倒れ朽ち果てた。しかし、皮肉にも、朽ち果てた彼らの体が土に還ることでコローの土壌はとても豊かになった。だからコロー丘陵地帯で採れる農作物は、格別の味を誇るんだよ」

 ズワシはテーブルのお茶を一口飲むと、嬉しそうに蘊蓄うんちく話をはじめる。


「あー、その、なんだ……。ズワシ、勇者の話は?」

 アタシは再び心の中でため息を吐きつつ、ズワシに声をかける。

 ズワシの悪い癖さ……。昔から、蘊蓄を語ることに意識が行って、話の本筋から脱線していってしまう。結局、周りの人間が脱線した話を本筋に戻してやらないといけなくなる。


「ああ、そうだったね。勇者の話だった」

 ズワシはそこで一旦言葉を止めると、真面目な表情になる。

「……勇者を召喚したのは、確かに私だよ。君に話そうと思っていたことは、私がなぜ、勇者を召喚したのか、ってことなんだ」


「……んで、なんで勇者を召喚したんだ?」

 アタシはお茶を一口飲むと、そうズワシに聞く。


「ニッポンって知ってるかい?」

 ニッポン…………? ズワシが全く意味の分からない単語を口にする。

「ニッポン……? さあ、全く知らないな」


「まあ、そうだろうね。私もニッポンが何なのかよく知らない」


「そのニッポンとやらと勇者とは何か関係があるのかい?」


「確証はないよ。でも、関係がある可能性はある」


「何だか、まだるっこしい言い方だね」


「…………そのことを君に話したくて呼んだんだ。ただ、話は長くなるよ。だから、お茶を用意した。……聞いていくかい?」


「聞くも聞かないも、聞いていかなきゃならないんだろう?」


 ズワシはニッコリと笑う。その意味するところは「その通り」さ。

 だけど、そんな話をされたら否が応でも気になり出す。勇者、ニッポンとかいう謎の何か……。


 それがほんの僅かにでも、勇者を殺すために役に立つというなら、ズワシの長話に付き合う意義もあるさ。


「どういうことだか、聞かせてもらおうか」


「ああ、もちろんだよ。……ニコ、ハープルの失踪事件は知っているかい?」


「もちろん。有名な失踪事件さ。帝国領ハープルの領主ガイスター伯爵の次男坊が突如として失踪した事件だね。失踪に至るまでの経緯、それから失踪後まで不可解な出来事が多く、未だに謎が解明されていない未解決事件さ。……だけど、それが何だって勇者やニッポンとやらに関係があるのさ?」


「うん。今から、およそ二〇〇年前のハープルの失踪事件。そこから話をはじめよう」

 そう言ってズワシはお茶をもう一口飲む。


 話が全く見えない……。

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