人の話

@yorieru1253

人の話

こんにちは。こんな奴のお話を見に来てくれてありがとうございます。それではどうぞ。


毎日をただひたすらに生きてきた。たった15年それでも私にとったらひたすらと言えるほど永く遠く感じるものだ。ここから先、あと数十年も生きることを考えると圧倒的な時間の多さと、それに連なって出てくるめんどくささが頭をよぎる。生まれ落ちて人は80年間その五体と共に生き様々な出来事と人そして転落を感じる。私はその全てに疲れている。何故?まだ学生なのだろ?まだまだ生きるのに先走ったらダメだと?まぁそれが普通だろう。私の15年そう最初に言ったようにたった15年なのだ。私はもう疲れたのだよ。だけれどこのままそれだけ言い残して終わるのも私は悲しいものだ。だから私の歴史に触れてもらいたいのだよ。私は高宮 梓 (タカミヤ アズサ)ごくごく普通の名前だけど最後まで私の話を聞いてくれたら嬉しいよ。それじゃあ始めよう。

私は2009年2月に佐賀県佐賀市大和町にて産まれた。出産の時私は逆子だった。その時の母は何も言葉が出ないほど絶望していた。父から聞かされたことだった。逆子は普通に出産は難しい難産だと言われたそうだ。母はそれを聞かされた時ふと1つのからくりが現れそれを解いた。からくりの答えを知った時母は発狂したそうだった。腹を痛めながら必死に耐え、逆子体操もあれだけしたのにと嘆いた。助産師の下した発言と母のからくりの答えは一致した。帝王切開だったそうだ。帝王切開は危険すぎる行為だがこのまま私を残すのも危険。現代の医療の限界、それは無慈悲にも母体の腹を裂き、子宮から子供を取り出すというもの。辞めるよう懇願した母だった。私は自力で産めます、お願いですそれだけは絶対にと。父によればその時の表情と引きつった声を合わせたら。正しく死を恐れる姿だった。母の願いは虚しく腹を裂かれた。そうして私は産声をあげたようだ。母は意識がなく直ぐに適切な治療が必要だった。だが。2009年2月に母は私を産むため帝王切開を実行し大量出血によるショック死によりこの世を去った。その時父は、自分の愛する妻は私に殺されたと私は恨まれた。死んだ母の名前をずっと呼びいつか戻ってくることを信じて待っているような亡者に私の父はなっていたらしい。母の名前は高宮 マリナという。マリナ、マリナ、いつになったら帰ってくるんだい?僕はここで君を待ってるよと、もうここにはいないというのに。私は産まれしばらくし小学生になった。それまで父は私を恨みはしたが愛してはくれていた。きっと妻の残した自分たちの宝物は絶対大切にすると、父の心では決まっていたのだろう。だから私は普通の女の子として育てられて生きてきた。そして私は佐賀市立川上小学校に入学。小学生になる私を見て父は心配していた、学校のことで心配ももちろんしていた、だが1番気をつけるよう言われ続けたのは友人関係と交通事故だ。友人関係、むやみに付け込まれないようにすること。今言われたら単純すぎる約束だ、だが当時の私は理解は出来なかった。交通事故は私を失い1人になる恐怖と損失感。恐らくそれは自分のためだ。どちらの約束も守れた、まず約束を作らなくても良かった。友人関係に関しては誰とも関わる気がなくてそこでの6年まともに話をする人も出来なかったのだよ。交通事故はまず車通りが少なく近辺で起きる事故もなかったからだ。父は心配症だった。小学校の卒業式、父はいつものように私に朝食を作らせ、その飯に感謝し、今日の式はどうにか行くからねと笑顔で見送った、そうだ父はどの式にも来てはくれなかった、男手一つ私を育てるのに仕方なく仕事が忙しいからであった、わかったよパパじゃあ待ってるねっと、無邪気な私は笑顔でそう伝えた、私は6年とはあっという間だと思い淡々とその式を終わらせた。今日こそ父は来るだろう、だけれど卒業式に父は来なかった。いつも通り仕事が忙しく来れなかったのだろうかそう思い帰宅した。家の前に着いた時父の車は朝のまま放置されていた。そして家のカーテンにガムテープとカーテン。明らかに異常だった。その異様な空気を放つ家の前に立った時、金属のような硬い結界をどうにかならないかと模索するように私は周りをぐるぐると家に入るのを躊躇っていた。何十分こうしておかなきゃならないのだろうそう思い私は思い切って扉を開ける。ただいま!玄関で呼んだその声はやまびこのように私に帰ってきた、明らかな静寂。そして目から涙が出るような耐え難い臭いを感じた。車はあるだが父からの返事がない。徒歩でどこか行ったのか?そう疑問にも思った。だがその疑問も直ぐに晴れた。私の部屋で父は確実に自分の命を消し去るために。練炭自殺と首吊りを同時に行ってしまっていた。扉を開けその光景を見て驚愕し、その次に練炭の煙で私の体が一酸化炭素で犯され苦しく息もできずそこに倒れた。その後異変を察知した近所が通報し警察と消防隊が現れ私は何とか救助された。父は明らかな自殺。そして父の遺書もあったという。私は悔しくなった。父は死にたいと思うほどのことをしてきただから死んだ。それに1番近くにいた子供が気づけなかった。私は罪悪感とやるせなさをそこで鮮明に感じた。葬式の時祖父母は私に話しかけてきた。ごめんなさい何も出来なくて、本当なら私たちの家に来させたいけれど、そこまでお金もなく息子の給料と年金だけだった暮らしなの、ワシにも何も出来ない、金がなきゃ家を維持できないし生活も出来ないんだ、すまないがまだあの家で暮らしていってはくれないか、唖然とした、父の死に場所に私は囚われ、ましてや父が死んだのは私の部屋。私は耐えられなかった。子供のうちに両親を亡くし、たったこの身一つで生きることを強制される子供が誕生したのだから。祖父母は学費は払うようだ、そして保護施設にも預けようかと話もあったが、私は人と馴れ合うのが苦手だったためそれは私から断った。

そして最後祖父母から渡されたのは父の遺書だった。僕は子供の頃から好きな人と結ばれました。ですがその愛する妻はどこにもいない、いるのは僕たちの愛する娘だけでした。自分の子のために身を削り支えて生きるのが親というものだとしたら。僕のような弱心ものに務まることではありませんでした。僕はあの子を恨みました。何度も仇と思い殺してやろうと思っていました。ですが妻が最後に残していった子供は私の支えになってくれました。僕はあれだけ憎んだ子供をどうしようもなく愛していました。ここまで来ると愛なのか憎しみなのか分からないんです。僕はまともでは無い。愛するものがあるなら生きればいいさと思いもした。だがこうやって私は亡くなったでしょう。僕はいち早く自分の子供がひとりで生きれるようにそして早く妻と出会いたかった。またあってお話をしたかった。僕は行きたいのです。永遠の別れなど僕は嫌なのです。ごめんなさい。僕は迷惑しかかけれなかったよ。ごめんな梓。これが遺書の全文だった。父は死にたがっていた。私がひとりでもいいと感じたら、私を残して去ったのだ。なんとも哀れでそして大好きなパパであった。高宮 慎太(シンタ)。2021年3月にて、一酸化炭素中毒により死亡した。その後自分の部屋であの出来事を毎日鮮明に思い出しながら月日をひとりで過ごし私は中学生になった。佐賀市立大和中学校に入学した。独り身で生きていくにはこの場ではなるべく人間関係を作らなくてはならなかった。だが、両親が居ないことを肴に私は酷いいじめに遭った。両親が私を見捨てたと、捨てられるようなクズだと、愛されなかったと、人殺しと、違う、悪魔だと、違う、死んだ父が付いてる気持ちが悪いと、違う違う、なんだり噛んだり言葉て最初はこっぴどくやられた。違う、そう違う、間違いなのに耳を貸さない愚者、人は弱いものほど群れる、私は思った、人は独りだと力が弱い、だが弱いものに弱いものが合わさっていけば、人を殺せるほど恐ろしいナイフにもなっているのだと。父さん会いたいよ、母さんとも話してみたかった、いじめられている時の記憶を探って両親を思っていた。学年が上がるともうお遊びじゃ済まないことまでしてきた。トイレで下着姿を無理やり写真に撮られたり、骨が折れるほどの怪我もおわされた、その時から私は思っていたのだ、私はクズだから仕方ないのだと。クズは粛清される。私は母を殺し、父の思いにも気づけず、人と馴れ合うことすらしてこなかった。たすけてくれる人もいない。それは私を見てくれる人が誰もいないから。私を見てくれていたのは父だけだったのだ。痛感した。人との関わり。父はわたしにのめり込まないほどの友達を作って欲しかったのだ。私を知り助け合える人を作って欲しかったのだ。結局私は何もせず今こうして1人ただ日々の恥辱に耐えていた。そんな日。す、すみません。大丈夫ですか?ふと聞こえた優しい男の子の声。何故だろう引き込まれる感覚。私と彼はしばらくして友人となった。訳としてはずっといじめに耐えている私を見てこちらも耐えきれず支えになれればと言った。私は断った。わたしに今更そんなもの許されないからだ。だが彼は強引にも話を続けた。しばらくして彼の取り巻きが少しづつ私に馴染んできていた。中でももう1人の女の子は私と小学の頃から友達になりたかった子らしい。彼女の名前は 下嶋 美紀恵(シタジマ ミキえ)と言う。だがいくら友人ができてもいじめはなくならない。耐え兼ねた私はいつしか家に篭もり。父の遺書と生きていた頃の母の写真を眺めていた。会いたい。だがその寂しさの矛先は異性である彼に向かった。私と付き合ってくれないかと。私は踏み込んだ。怖くはなかった。ただ知りたかったのだ母の気持ちと父以外に愛されると私はどうなるのかを。彼は即答してくれた。いいですよ、と。それから彼とSNSで話すようになった。もちろん美紀恵ともだ。彼は私と話すのが楽しいらしい普通の女の子じゃないからと言う理由で。何にも執着したことは無い。この人はただの実験のようなものだ。試していた自分を。美紀恵からは他愛もない話世間話で盛り上がった。休日はよく外で遊びにも行った。親友だった。だが私はもうその頃から疲れていたのだ。今までを振り返ったり自分の行いを見直した時、すごく後悔をした。そして極論にたどり着く日もあった。私など生まれなければと。在り来りで誰もがいつしか思うこの言葉を私は今心の中で口にした。その度に腕は痛む。もう隠しきれないほど広がる淀みを流せないと不快感にも陥る。その度私は彼と親友に執着した。そう執着したのだ。私は誰かを本気だ愛すること、そして誰かを信じるようになっていた。不思議なものだった。学校に行けず1年。いつしか中学3年。私は気づけばネットで拡散されていた。中学生の下着姿必見!えろ過ぎ注意!などと。様々な角度から私は拡散されているのに気づいた。中学1年の時の写真だった。もう取り返しがつかなかった。学校にも連絡が来た。これはなんだと。何度も説明した。いじめっ子は処置されたが。私の方にも問題があると言われた。学校は私に処罰を与えた。地獄だ。おわりだ。死だ。死のう。終わりなんだ。死ぬ。死ぬ。しぬしぬ。死。死死。ししし。死しし死ししししし死死死しししししし。錯乱の中ひとつの連絡があった。今日あなたの家に行っていい?彼からだった。私は即答した。いいよ寂しい早く来て。我ながらもう隠しきれないほど動揺していた。彼が家に来て学校の事を話してくれた。たった一つのいじめと、学校の不手際でここまで悲しい過去のある女の子の人生は終わるのだと思った。彼は優しかった。彼といる時連絡が来た。美紀恵からだ。大丈夫?何か出来ることは無いか?何かあったら言ってね。彼女と彼はとにかく優しかった。私はこの寂しさとやるせなさをどこにぶつければいいのか分からなかった。しばらく話私は彼に告げた。私とひとつになって一緒に生きる気はないかな?と確かに聞いた。彼は躊躇って決めた答えは。YESだった。私は彼の優しさに漬け込んだ。利用したのだ。無償で愛をくれる人を永遠にしたいと。この体は穢れているもう世界が私を見て。私で快楽を得る奴もいる。そんな穢れた私の身体を彼は優しく作り替えてくれた。彼との1夜は長かった。まるで中学生と思えない思考とその行動。きっと大人が言うにはませているということになる。どうでもいい。私は私で生きて死にたい。そしてもう死にたい。それから彼と彼女としがない日々を過ごした。何ヶ月か何も無く過ごしていた。たった一人で。だが妙だった彼と身体を重ねた日からもう何ヶ月も生理が来なかった。美紀恵と彼にも相談した。美紀恵は決めれなかった。自分の決めれることじゃないと。私はあなただから相談したのだけれど。少し残念だった。彼からは私が産む気があるならそうするよ俺が責任取って働くからさ。そう頼もしげに答えくれた。安心したのだ。私は母親になれるかもと歓喜もしたしとても辛かった。この歳で命を宿した愚か者と。そう自分でも思った。でも母の気持ちを知りたいそのものは叶いそうだと感じる。彼はそれから学校をやめて働きに出た。もはや夫。そう感じているまだ知り合って2年というのに。子供を宿らせたからこその感情なのだろうか。美紀恵もたまに来てお腹に耳を当てて不思議がる。彼女の笑みはすごく愛らしかった。母性本能なのだろうか。私は一気に明るくなった。私は全身全霊でこの世界で人と手を取って生きていると実感できたのだ。そうして日々を過ごしてるとまたあの忌々しい日々を思い出す。父の事母の事。祖父母の事。いじめのこと。両親は美しく儚い思い出。そして悲しかった。祖父母はただの寂しさの思い出。いじめはただの怨嗟だ。腕の傷も治ってきた。学校には行けないがどうにかなるだろうそう思っていた。2023年2月29日私の誕生日そして卒業式の日。わたしの夫は大和町の交通事故により亡くなった。夫の名前は井田 安彦 (イダ ヤスヒコ)私のたった一人の愛していた人だった。もう言葉が出なかった。もう失いたくないものしか失わなかった。そして腹の子も腹を叩くことがなくなり医者にみせた。もう腹の子は。死んでいた。理由は。過度のストレスが子供にも渡ったのと、ショックで何も口に入らず体に栄養が供給されなくなったことでだそうだ。あっけなかった。ここまで紡いだ人生は今終わろうとしていた。さっきまで輝いてた日々と別れ。今は体と魂の別れの前。夫は交通事故で亡くなった。父の暗示だったのかもしれないと薄々思った。もしかしたら父が私をこっちに呼び込むために大切なものをとなんども思った。美紀恵に伝えた。私は今日全てを諦めると。卒業式の合唱が聞こえる。もう始まったのか。今別れの時、飛び立とう 未来信じて。この広い この広い おおぞらに。嗚呼私の死を歌うようだった。手すりから手を話しかけた時。梓ちゃん!なんで!死ななくてもいいじゃない!そう声を粗げてきた美紀恵がいた。どうやら卒業式を抜け出し私の元へ来たようだ。何故?私は聞いた。死んだら終わるだよ?分かる?うざったいほど聞いた夢の中で。死は救済じゃない。ただの締めなんだ。もう安らかになりたいそう願う。そう伝えた。

「そう…そんなに死にたいんだね梓ちゃん…」

「うん…もういいでしょ?もう何も私には残ってないのよ」

「残っているなら美紀恵あなただよ」

「なら…」

「ん?」

「ならもう残さないであげるよ…」

「私も梓ちゃんと一緒に死んであげるよ…」

「その必要はないよ…死ぬ理由がない」

「あるもん!あるんだもん!」

「だって…私にとってあなたしか…あなたしかいなかったの!」

「薄いね…」

「薄くていい心は弱いのよ…」

「私はあなたと死ねるならいいの」

「一人でいるのはいやでしょ?梓ちゃん…」

「うん…確かにね…」

「じゃあ…お願い出来る?」

「死んでも親友だって」

「うん…約束…」

「でも梓ちゃんはあっちでも待ってる安彦くんにも会わないとねお父さんとお母さんにも」

「そうかもね…でも大丈夫」

「絶対一緒だから…」

「ありがとう…」

「こちらことありがとう…」

じゃあ死のう。私のたった15年はこれだ短いけど疲れるにはそれなりだと思った。人は心が弱い。誰かが支えないとダメな生き物さね。でも支えたって森羅万象が許さないなら許されないこともある。だから私たちは死ぬんだ。こんな不条理な世界に抗うため。人は五体でその80年間を生きる。だけど私はそれを押して固めたのを押し付けられた人生だった。でも悔いは無い。私は私なりに幸せだったよ。最後まで私の話を聞いてくれてありがとう。そしてさようなら。また逢う日まで。

ゴド!!

2023年2月29日 高宮 梓 下嶋 美紀恵 高度からの衝突による損傷により死亡。



人の死は呆気ない


人の話 終わり

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