第7話 泣いてる……?(sideユキネ)

 「リツちゃん大丈夫かなぁ」

 実技試験期間がやってきて、あたしは敷地内のコンサートホールにやってきた。六月だというのに珍しく晴れ晴れとした天気だ。あたしの目的は単純に、友人を応援すること。同じような目的の生徒なんてごまんといるだろうに、なぜかあたしは周りからじろじろ不躾な視線を浴びていた。

 「あれ、もしかして創路ユキネじゃない?」

 「うわ。なんであんな堂々と歩けるんだろうね」

 「御門の恥さらしのくせに」

 「こないだ女帝と話してたらしいぞ」

 「うへぇ、問題児二人じゃん。やっぱりそういうのって引かれ合うんだね」

 「暴力事件起こしたんだろ? なんで捕まんなかったんだよ」

 「しっ、聞こえるぞ。何されるか分かんねぇんだから声落とせよ……」

 もちろん話し声は全部聞こえていた。けれど慣れたものだ。多少辟易するだけで。あたしはどこ吹く風、とあえて悠々とホールに入り、てきとーな席に座って開演時間を待った。ホールはすでに満員なはずなのに、あたしの両隣りはぽっかりと空いていた。

 「はは、全く……露骨だなぁ」

 まぁ、両側のひじ掛けが使えるからいいや。あたしは席に浅く座って寛ぐことにした。

 「お、空いてるじゃん」

 のに、どかりと隣に座ってくる人物がいた。長谷部カナだ。

 「カナ。どうしたの?」

 「どうしたって、普通に聞きに来ただけ。ちょっと肘どけて。邪魔邪魔」

 あたしの隣に座ったカナは、自慢げに左手を見せてきた。

 「ほら、見てよこれ」

 いくつもの絆創膏やテーピングが施されている左手だ。

 「何これ」

 「名誉の負傷ってやつ? 潰れた豆、十個から数えてない」

 得意げに鼻を鳴らしながらカナは左手をひらひらさせた。あたしはなんだか嬉しくなって、その左手にパンチした。「いったぁ!?」とカナは悲鳴を上げた。

 「カナってなんだかんだ真面目だよねー。口は悪いけど」

 「あいつにムカついてるだけ。ま、一日二十時間は流石に無理だけど。あの高飛車女に頭下げさせるの楽しみだなぁー」

 「性癖歪んでるよ。くはは」

 「あんたが焚きつけたんでしょー!」

カナは「まったく……」と椅子に座り直しながら、ホールをぐるりと見渡した。

 「懐かしいなぁ、ここ。期末でユキに伴奏を頼んだ時以来?」

 「あー。一緒にやるはずだった子が怪我しちゃったんだっけ?」

 「そうそう。ユキってばマジで命の恩人だからさぁ。あれがなきゃ、アタシ留年してたもんなぁ」

 あたしは照れくさいのを隠すように笑った。

 「あれは楽しかったよ。いい経験だった。まさかあたしに伴奏を頼んでくるなんて思いもしなかったから」

 「アタシだってユキに頼むとは夢にも思わなかったよ。残りもんに福があったパターンかもね」

 「残りもん言うなっ」

 ブー……という音が聞こえ、客席が暗くなる。開演の合図だ。選抜オーケストラから実技試験が始まった。手が鳴り、演奏が始まる。

 「さて……次はリツちゃんのところか……」

 第一、第二オーケストラの演奏が終了し、暗転した。あたしが隣を見ると、長谷部がトイレを我慢しているみたいな表情をしていた。

 「カナ。ちゃんとリツちゃん応援してあげよ」

 「上手くても下手くそでも変な気持ちになるわこんなん……」

 「はは。素直じゃないな」

 第三オーケストラの面々が席に着き、最後にリツちゃんが指揮台に向かった。あたしは彼女の様子に違和感を覚えた。

 泣いてる……?

 目の周りと鼻が赤かった。足取りもおぼつかなく、指揮棒を握る手もどこか不安げだ。

 リツちゃんが指揮棒を振った。出だしはバラバラだった。

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