第4話 私の言う通りできないなら

 「ホルン! 出だしはもっと自信を持って! もごもごしない!」

 私は指揮棒で指示を出しながら注意を叫ぶ。

 「バス! 遅れてる!」

 「オーボエ! もっと繊細にして!」

 「チェロ! たるまないで!」

 「ヴァイオリン! リズム乱れてる!」

 「そこはもっと雄大に! 速くしないで! 遅くもしない! 一つの流れになって!」

 弾きながら容赦なく指摘される数々に、団員たちの顔色がどんどん悪くなった。冷や汗をかきながら必死に演奏される音がどんどん悲惨になり、私はやむなく決断した。

 「ストップストップ!」

 私が大きく手を振ると、演奏が中断される。オーケストラから一斉に「やっと終わった」と言わんばかりのため息が漏れる。

 「クラリネット。音が悪いです。香川さんですか?」

 私がそう尋ねた香川さんは「は、はい!」と身体をビクつかせた。

 「え、えっと。その、リードの調子が悪くって……」

 「木管楽器がリードに左右されるのは私も理解しています。それならなぜ予備のリードを用意しないんですか?」

 「う、そ、それは……他のがダメになっちゃって」

 「大事な楽器の管理をしていないんですか? 何をやってるんですか、あなたは。そもそも新しいのを買えばいいでしょう」

 「買う余裕無くて……今月お小遣いが」

 「お金の問題? そんなものどうにか工面しなさい。何が優先なのか分かっていますか? あなたはなぜこのオケにいるの?」

 「ちょっと、いい加減にして!」

 クラリネットパートリーダーの西島カノンさんが声を荒げた。髪をポニーテールに纏めた気の強い性格をした彼女は、香川さんを慰めるように背中に手を当てながら、私を責めるように見た。

 「どうしてそんなに一人を集中攻撃するの!? リードがダメになるのはしょうがないじゃん、どんだけ練習してると思ってるの!」

 「練習は当たり前です。『どれだけ』なんて時間を誇って意味があるんですか?」

 「そんだけ頑張ってるってことじゃん!」

 「それは本番の結果で判断されることです。ちなみに西島さんは良かったですよ。先ほどの感覚を忘れないでください」

 「そういう意味じゃない!」

 「ま、まぁまぁ」

 言い争う二人に耐え切れなくなったのか、コンサートミストレスの宮本アイリさんが立ち上がる。背が高く腕も長い彼女が立つとそれだけで目を引く。戸惑ったような表情で私と西島さんに交互に目を向ける。

 「ほら、カノンちゃんも空矢さんも熱くならないでさ。ね? 止めたってことは指摘があるからなんでしょ? まずはみんな、それを聞こうよ」

 「……ふん」

 カノンは不承不承ながら、といった様子で椅子に座り直した。そして「大丈夫?」と心配そうに隣の香川に声を掛けていた。

 「じ、じゃあ空矢さん、お願い」

 「ええ。冒頭のところですが、やはり管、特にホルンです。ここをしっかり決めなければ後の説得力が無くなります。なので────」

 二時間に及ぶ練習が終わり、団員たちは疲れ切った表情を浮かべながら音楽室を後にした。夏が近づいているとはいえ、もうすっかり日が沈んでいた。

 「では、練習後の軽いミーティングを始めます」

 宮本さんの号令で各パートリーダーたちが指揮台の周りに集まった。週に一度、必ず行う各パートの意思疎通を図るためのミーティングだ。コンミスの宮本さんが私に話を振ってきた。

 「えーっと、オケが始まって三週間経ったわけですが、空矢さん。率直にどう?」

 「朧げながら形にはなってきたと思います。しかし試験までは残り二週間弱。このペースでは間に合いません」

 「それは空矢が逐一止めるからじゃないの。そもそも八分くらいの曲で二時間練習っておかしいだろ」

 チェロパートリーダーの獅々田ナオヒトくんが苦言を呈した。眼鏡の奥の切れ長な目には私に対する不信感がありありと見て取れた。

 「ならどうしろと?」

 「ある程度細かいことは飛ばしてもっと全体を見るとかさ。全体的には完成度は上がって来てると思うけど」

 「だから言いましたよね、形にはなってきてるって。ですが、細部に神は宿る、と言います。全体的に見てばかりいて気付いたら芯がボロボロ、なんて話になりません」

 「あのさぁ。たかが単位を取るためのテストにいちいちそんな時間かけてらんないんだよ、こっちは。それよりもオープンキャンパスの本番を意識した練習をするべきなんじゃないの」

 「たかが? テストは他の生徒にむけて公開されます。そこで恥を晒してもいいと? 私たちは客前で常に完璧な演奏をしなければならないんです。音楽家とはそうあるべきです」

 「ちょっ、ちょっとちょっと! 喧嘩しないで!」

 急に宮本さんが私たちの会話を止めてきた。私は首をかしげて彼女を見る。

 「喧嘩?」

 「喧嘩だよ! もう、ほんと落ち着いて。落ち着いて情報交換しよ、ね?」

 「私は落ち着いています」

 獅々田くんは小さく舌打ちした。

 「とにかく! 時間が無いなら細かくネチネチ追い詰めて間に合わなくなるか、全体的な完成度を上げる方向にシフトするか二つに一つだろ。賢い空矢なら分かるよな?」

 「どちらも取るのが音楽家では?」

 「くそ、話通じないなぁもう!」

 頭をかき乱しながら獅々田くんは立ち上がり、ロッカーに向かい荷物と楽器をまとめ始める。慌てて宮本さんが獅々田くんの元まで駆け寄った。

 「え!? ナオヒトくん、どこ行くの!」

 「こんなミーティング無駄だ無駄! 女帝さまは俺たち庶民の言うことなんて聞く耳持ちやしない! とっとと帰って練習する!」

 「ま、待ってよ!」

 宮本さんの説得虚しく、獅々田くんは本当に帰ってしまった。

 「……じゃ、あたしも」

 「カノンちゃんまで!?」

 それまで黙っていた西島さんもさっさと荷物を背中に担いだ。

 「ごめん、アイリ。ちょっと今日は冷静に話し合いできる気分じゃない」

 「そんな、酷いよ」

 「ナオの言う通りだよ。酷いのはあの女帝でしょ。あんな奴、とっとといなくなればいいのよ。お金だってあんたは掃いて捨てるほどあるんだろうけどね、こっちは違うんだよ」

 吐き捨てるように言い残し、西島さんも音楽室を出た。宮本さんは途方に暮れたように佇んだ。

 「まぁ、良い部分もあんだけどねぇ。空矢さんのアドバイスのおかげでうちのパートが良くなったのは確かだし」

 ホルンパートリーダーの乾ケンくんが去っていく西島さんの後ろ姿を見ながら言った。小太りな彼は見た目通り穏やかな口調で続けた。

 「でもほら、言い方とかさ。もっとあるんじゃないかな。正論で詰めるの、僕あんまり好きじゃないなぁ」

 「私の言う通りできないなら抜けてもらって結構です。正論と認めているなら従ってください。ホルンは良くなってきています」

 「あ、はは……」

 乾くんは苦笑いを浮かべた。

 「……じゃあ、もう今日は解散で。また明日の練習で会おう、みんな」

 宮本さんは諦めたように呟く。私は真っ先に立ち上がり、「失礼します。お疲れさまでした」と頭を下げた。

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