第73話
自分の目の前に広がる光景が信じられないのか、セシリアは自身の目を見開き、言葉を発することができないでいた。
そんな彼女に向け、ラクスは極めて落ち着いた口調でこう言葉を告げた。
「この先に、君と約束した人物が待っている。レベッカはその約束をした人物ではなかったのかもしれないが、今の君はもうセシリアだ。二人の時間は再び動き出し、今こそ約束の続きを果たすときなんじゃないのか?」
「……」
そんなラクスの言葉を聞くセシリアの表情は、どこか儚く切なそうであった。
それはラクス自身もまた同じであり、彼はこれまでにセシリアに見せたことのない、笑っているような、それでいてどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
「ラクス様、私…」
「いいんだよ、もう」
ラクスは優しい口調でセシリアの言葉を遮ると、そっと彼女の手を取り、それまで以上に穏やかな雰囲気でこう言葉をつぶやいた。
「君はもうレベッカからセシリアに戻ったんだ。だけど、レベッカとして最後に言葉を告げさせてもらってもいい?」
「…」
セシリアはラクスの目を見据えながら、そっとうなずいて返事をした。
「レベッカ、俺はレベッカの事を心から愛していたよ。そしてそれは俺だけじゃなく、あの屋敷に住まう人間の全員がそうだった。君がうちに来てからというもの、それはそれは屋敷の中の雰囲気は見違えるように明るくなったし、君は出会って間もないながらも完全に家族の一員になっていた。レベッカ、俺は君との思い出は一生忘れることはないだろう。本当にありがとう」
「ラクス様……」
「セシリアに戻ったなら、君の愛するクラインと一緒に二人が幸せない未来を築いていけることを願っている。元気で」
「ラ、ラクス様、それはちがっ!!!」
「じゃあ、お別れだ!!!さようならレベッカ!!!」
「ま、まって!!!」
セシリアはラクスに何かを言いたげであったが、ラクスはその顔を彼女から見えないように隠しながら背を向けると、足早に彼女の前から姿を消していった。
とっさにその後を追おうとするセシリアだったものの、すでにあたり一帯は暗くなり始めており、また明らかに走るスピードもラクスの方が上であるため、一瞬のうちに姿を消していった彼の後を追うことは現実的に困難であった。
そしてなにより、ラクスの後を追おうとセシリアが足を踏み出したその時…。
「マルン…?」
「……」
マルンがセシリアの前まで体を動かし、彼女の歩みをブロックするような態勢をとった。
その目はまるで「一人にしてやれ」とでも言いたげであり、セシリアはそれもあってラクスの後を追うことは断念した。
そして、セシリアはそのまま体を
「この先に…クラインが待ってる…」
セシリアは誰に告げるわけでもなく、ぼそっと小さな声でそうつぶやいた。
その声色は嬉しそうな、切なそうな、期待するような、けれどもどこか残念そうな、いろいろな感情を孕んでいるように感じ取れた。
彼女はその場で深く深呼吸を行った後、意を決したようにその場から足を進め、教会の中にへと足を踏み入れていくのだった。
――――
ダッダッダッダッダッダッダッ
「はぁ…はぁ…はぁ…」
一方、思いのたけのすべてをレベッカに告げてきたラクスは、教会に隣接する林の中を行く当てもなく必死に駆けていた。
彼の目論見通りセシリアは後を追ってきてはいない様子であり、彼は良いとことまで来たことをその心の中に確信した後、服が汚れることも気にせず土の上に自身の腰を下ろした。
「はぁ…はぁ…」
無我夢中で走っていたためか、体を休めるとその途端に重苦しい疲れが一気に押し寄せる。
蓄積した疲労を口から吐き出すように荒く呼吸を行ったのち、彼は小さな声でこうつぶやいた。
「はぁ…はぁ…。はぁ、これが失恋か…」
その時のラクスの表情は、非常になんともいえない色調を示していた。
「この時が来るという事は前からわかってはいたが、それでもいざ来てみるとやはり
ラクスはその場で深いため息をつくと、自身の頭を右手で抱え、物思いにふけり始める。
…貴族家に生まれた若き侯爵として、これまで女性に困ったことはなかったラクス。
今回の一件はそんな彼にとっての、初めての失恋であった。
「(レベ……セシリアの奴、もうクラインと再会を果たせただろうか…。今頃はお互いが言えずに終わっていた言葉を交わしあって、思いを伝えあっている頃だろうか…)」
心の中でそう言葉をつぶやきながら、伏せていた顔を上げて空を見上げるラクス。
すでにあたり一帯は暗くなり始めているため、綺麗な青空を拝むことは叶わず、かといって美しい星空が見られるわけでもなく、その空はまさに今のラクスの心の中を示しているようだった。
「(けっ。なんだか自分を見てるみたいでいやだねぇ…。さて、暗くなる前に屋敷まで戻るとするか…。近くの商人にでも声をかけて馬を…??)」
そう思いその場から腰を上げたその時、ラクスは不意に後方に人影を感じた。
まだ見たわけではないものの、彼の本能が確かに人間の存在をその場に告げている。
「誰だ!!!……???」
勢いをつけてラクスが後方に振り返ったその時、その場には信じられない人物の姿があった。
「グ、グローリア…!?…様…!?」
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