第72話
ラクスはセシリアに対して背を向けた状態のまま、やや先ほどまでよりも小さな声でこう言葉を発した。
「聞いたんだよ、全てをね」
「すべて…?」
「レベ……セシリア、俺がノルドの一件で王宮に連れていかれることになった事は知っているな?」
「はい…。私は眠ってしまっていたんですけど、起きた時にレベルクさんやエリカさんから聞きました…」
「あの時、グローリア様から話してもらったんだ。ほかでもない、セシリア・ヘルツの事をね。そしたらすべてがつながった」
「………」
ラクスが少しづつ話を進めていっているためか、セシリアはまだ彼の真意を読み取れない。
その一方、二人を包む雰囲気がそれまでのものとは違っているという事をマルンは感じ取ったのか、彼は目的地を目指して駆ける足のスピードを少し緩め、二人が会話を行いやすいように足音も小さくするよう気遣った。
「最初に話をしたとき、俺は君にこう質問した。『行く当てはないのか』と。そしたら君は『ない』と答えた。けれど、その表情は明らかに何かを言いたげだった」
「そ、それは……」
セシリアはラクスの言葉を、肯定することも否定することもなかった。
そんな彼女に対し、ラクスはそのまま自身の言葉を続ける。
「そして次が図書室だ。君に仕事を教えていたエリカは、時々君に休みを与えていた。その休みの日、君は決まってあの図書室にいた」
「そ、それは…。もっと勉強して、早く侯爵家のお役に立ちたいと思って…」
「もちろん、その思いはうれしいよ。でも、理由はそれだけじゃなかったんだろう?」
「…?」
「俺が図書室に現れた時、君は毎回決まって自分が呼んでいた本を机の下に隠した。…君はそれで隠せたつもりになっていたかもしれないけど、君がよく触っていた本棚は君以外誰も読まないようなマイナーな本しか置いてなかった。だからその棚にある本は全部かなりのほこりをかぶっていたんだ。ただその中に一冊だけ、ほこりをかぶっていない綺麗な本があった。それが君が愛読していた本であろうことは、簡単にわかった」
「……」
「その本は、ある教会の歴史や事柄についてまとめられた本だった。…俺は君が行きたがっている場所が、その教会なんじゃないかと思った」
「……」
ラクスからかけられた言葉を、セシリアは否定しなかった。
この場において彼女の見せたその返事は、ラクスの言葉を肯定するものととらえて差し支えのないものだった。
「けど俺は、その教会に何があるのかなにも知らない。考えたって分かるはずもない。だから俺はその事をグローリア様に話したんだ。彼なら何か知っているかと思ってね。そしたらグローリア様は、君の過去の話を教えてくれた。君は近衛兵クラインと、ある約束をしていたんだろ?あの時は国を巻き込んだ争いが激化していて、次期皇帝の娘である君は常に危険となり合わせ。いくら隠し事してその存在を秘密にしていたとしても、それが万全の安全を保障するはずはない。そこで君とクラインは、ある約束をした。もしも二人が争いに巻き込まれ、互いのいる場所が分からなくなったなら、その時は教会に集まって必ず再会を果たそう、と」
「……」
穏やかに、それでいて優しい口調でそう語りかけるラクス。
セシリアはここでも沈黙を貫き、直接の返事はしなかったものの、ラクスの背中に自身の頭をこてりとくっつけ、その頭を少し上下に動かすことでうなずきを表現し、彼の言葉にyesと答えてみせた。
「クラインはその約束の通り、時間を作っては君に再会することを夢見て教会に足を運び続けた。雨が降ろうと風が吹こうと、君とまた会えるならとその心を躍らせ、待ち続けた。しかし、再会が実現することはなかった。君はリーゲルの元で囚われてしまい、自由のない生活を強いられていたから……と言いたいけれど、それだけじゃない」
「……?」
「君は心から二人のことを思い、リーゲルに連れ去られた後も二人に迷惑をかけるまといと必死だった。だから君はそれまでのセシリアという自分を捨てて、レベッカという新しい自分を作り出した。クラインと再会の約束をしていたセシリアはもういなくなってしまった。だから君は教会に行くことをしなかった。そうじゃないのか?」
静かに大地を駆ける音が耳に届けられる中、ラクスはセシリアに対してそう言葉を投げかけた。
それに対しセシリアは、自身の頭をラクスの背中にくっつけたまま、独り言をつぶやくように小さな声でこう言葉を発した。
「分からないんです、自分でも…」
「分かるさ。ほら」
「……!?」
ラクスがセシリアに対して言葉を返したその直後、マルンは駆けていた歩みを止め、その場で停止した。
慣性によってセシリアはラクスの背中に強く押しつけられる形となり、若干痛そうに眉をひそめる彼女だったものの、目の前に広がるその光景を見て、感じた痛みなど全て吹き飛ばされた様子。
「こ、ここって…」
「あぁ、教会だよ。まぎれもない、君たちが約束した場所だとも」
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