第7話

あまり思い出したくもないあの屋敷での日々。

私はありふれたそんな記憶の中から、ほんの一部の事をラクス様に話した。

最初は驚きを隠せないような様子だったけれど、次第にその表情は怒りに満ちたものになっていき、最後には静かにその体を震わせているほどだった。


「…この世界には、自分の娘にそこまでひどい仕打ちができる父がいるということか…。全く信じられない……」


そんな彼の様子を見て、私はどこか心の中が軽くなっていく感覚を感じていた。

私はただ彼に話をしただけなのに、いったいどうしてだろう…?

けれど、その答えは簡単に思い浮かんだ。

…私には今まで、自分の話を真剣に聞いてもらえる相手すらいなかったのだ。

だから、こうして私の言葉を真剣に聞いてもらえるだけで、なんだか嬉しくて涙が出そうになってしまうのだろう。


「…それじゃあレベッカ、君はその家を出て行って、当てもなく歩き続けていたのかい?その弱った体に鞭打って…」

「あ、当ては……」


教会……の事を話すべきかどうか、私は迷った。

というのも、それは現実かどうかさえ曖昧なほど昔の記憶。

ただの夢か何かの記憶なら、教会まで行ったところで何も変わることなく終わるだけの話…。

その言葉をかけてくれたのが誰なのかもわからず、言われた時期だっていつなのかわからない。

…いやそもそも、ラクス様にはこうして助けてもらっただけでも返せないほどの恩がある。

なのにそれに加えて、これから教会に行きたいなどと言い出したりするのは、非常識極まりない人間の言う事なのではないだろうか…。


「は、はい…。行く当てもないので、結局は帰るしかなくって…」


意識が戻れば戻るほど、感覚が現実に呼び戻されていく。

…ほかに行き場なんてない私には、結局あそこに帰るほかないのだ…。

仮にここを出て一人で教会を目指したところで、冷静に考えればたどり着けるはずもないのだから…。


「…ラクス様、私のような何の価値もない人間を助けていただいたこと、本当に感謝しています。おかげさまでもう私は大丈夫ですので、あとのこ」

「そんなのはダメだ!!!!!!」


ラクス様が強い口調で私の言葉を遮った。

…その様子は、私を抱きかかえて懸命に声を荒げてくれていた時の彼と重なった…。


「…戻る必要なんてない。君はこれまでよくがんがった。普通の人間が一生かけて味わうほどの苦しみを、まだ15歳にも満たない君は味わったんだ。…もう、これ以上苦しむ必要はない」

「で、ですが私は……」

「大丈夫!!」


自信なく発した私の言葉を、ラクス様は力強い口調で遮った。


「行き場がないのなら、ずっとずっとここにいればいい。俺はこう見えても侯爵なんだ。君をここにかくまうことくらい、別にどうってことは」

「それはダメだ」


…今度は、ラクス様の言葉が誰かによって遮られた。

その声は厳格さと力強さを感じさせ、まるで聞く者の心を震わせるかのようなものだった…。


「それは許されないぞラクス」

「父上…!?」


私とラクス様の二人に続いて、3人目の人物が部屋の中に現れた。

…その人はいかにもただものでは無いオーラを放ち、大きな体を伴って私の前に現れた…。


「我々は貴族家なのだ。素性も名も知れぬ一般人を勝手にかくまうことなどできない決まりだ。お前もよくわかっているだろう?」

「はぁー…。頭が固いなぁ父上は。いいですか?彼女の体を見ればわかるでしょう?このまま彼女を追い出したりしたら、今度こそ彼女は死んでしまうことでしょう。…せっかく引き留められた命を、わざわざ突き落とすようなことをする方が貴族家として失格だと思いますが?」

「貴族家とは人々を束ね、信頼され、その未来を預かる存在だ。ルールも守れない者に、人を守ることなどできるわけがないだろう」

「父上っ!!」


…二人がすさまじい殺気を放ち、言葉を用いた戦いが巻き起こっている…。

その原因が私であるなら、私のするべきことは一つ。


「ラ、ラクス様、私は大丈夫ですから…。こうして手当てをしてくださっただけでも、私にはもう言い表せないほどの幸せなのです…。すぐにここからいなくなりますので、どうかわた」

「それも認めることはできない」

「…??」


…これですべてが解決すると思っていた私。

でもそれは違ったようだった…。


「君はもうすでにこの家の薬やベッドを使っている。その報酬も払わずに消えるつもりか?」

「そ、それは……」


もちろん、それに関しては返しても返せないほどの恩だと自覚している。

…けれど、今の私にはなにかお返しできるようなお金も物もない…。

…今着ている服や下着を手放したところで、とても足りない…。

自分でもどうすればいいのかわからず固まってしまっていたその時、隣にいたラクス様が代わりに声を出してくれた。


「…父上、レベッカをどうされるおつもりなのですか?」

「別にどうもしないさ。ただ……」

「…ただ?」


威厳あふれるその人は、やや顔を後ろに向けて視線をそらしながらこう言った。


「…ここにいて我々のために働いてくれるというのなら、それ以上私は何も言うことはないわけだが」

「…はぁ???」

「コ、コホン…。おっと、邪魔をしたな。じゃあ私はこれで」


そこまで言うと、その人はどこか恥ずかしそうにそそくさと部屋を後にしていった。

全く状況がわからない私は完全にフリーズしてしまったけれど、ラクス様には状況が理解できたようで、彼はぼそっと一言つぶやいた。


「…あぁ、なんだそういうことか…。まったくどこまでも堅苦しい…」


頭を抱える彼に対し、私はどういったらいいのかわからず固まったまま…。

そんな私を気にかけてくれたのか、彼はそのまま説明を始めてくれた。


「え、えっと…。わ、わたし…」

「大丈夫だよレベッカ。父上もここにいて良いってさ」

「で、でも私がここにいたら…」

「あぁ、違うよ違うよ。父上ははじめから君をここで受け入れるつもりだったのさ」

「…え?」

「父上も言ってただろう?レベッカの事をいきなりかくまったりしたら、後から君の形だけの家族に君を返せと難癖をつけられた時、向こうの意見が通ってしまうかもしれない。けれど、君が俺たち侯爵家に仕えてくれるというのなら話は変わる。向こうが痕からなんて言ってこようとも、レベッカはれっきとした侯爵家の家族だと胸を張って言えるだろう?」

「た、たしかに…」

「それに、今侯爵家に仕えてくれている他の使用人たちへの気遣いでもある。無条件に君をここで生活させたら、表には出さなくとも不公平じゃないかという感情を抱かれてしまうかもしれない。でも、それだって君が仕えてくれるなら話は別。余計な摩擦や軋轢を生むことなく、この家に溶け込んでもらうことができる」

「す、すごい…。さ、最初から、そこまで考えられて…」

「あぁ、その通りさ。父上は最初からそう考えていたんだろうさ。……だったら最初からそう言えよなぁ…。まったく、素直じゃないんだから…」


勘弁してくれ…と言った表情を浮かべるラクス様の表情は、なんだかすごくかわいらしく感じられた…♪

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