第4話
――レベッカの記憶――
この生活がいつからどのように始まったのか、詳しいことはあまり覚えていない。
私は物心ついた時からあの家族のもとで暮らしていた。
気づけばリーゲルお父様に殴られ、気づけばセレスティンとマイアに嫌味を言われる生活が当たり前になっていた。
ある日の事、私はお父様のお部屋に呼び出しを受けた。
もちろん行きたくなんてないけれど、行かなかったら後からなにをされるか分かったものじゃない。
私は嫌がる心を無理やり押し殺し、体を引きずるような思いでお父様の部屋に向かった。
…お父様の部屋の扉を見ると、いつも動悸と吐き気が私を襲う。
これまでこの部屋の中で、何度たたかれ殴られてきたことだろう…。
お前など誰にも愛されていない、生きていたって誰にも喜ばれはしないと言われたことだろう。
…たった一人のお父様から何度も何度もそう言われ続けることに、今まで何度絶望してきただろう…。
コンコンコン
「し、失礼します…」
震える手をなんとか押しとどめ、私はお父様の部屋の中へと足を踏み入れる。
そこには私の部屋とは比にならないほどのきらびやかな家具やインテリアが配置されていて、窓のそばには綺麗なフルーツが置かれていた。
…お腹がすいている私には堪える景色だけれど、そんなことを考えても仕方がない…。
あれを私が食べられる日は、きっと死んだって訪れないのだから…。
「お、お呼びでしょうか…」
私の視線の先にはお父様と、もう一人の姿があった。
その人物は私の姿を見るなり、にやにやとした表情を浮かべながらこう言葉を発した。
「クスクス…。相変わらず汚い容姿ねぇ…。もしも私がそんな姿に生まれていたら、もう一生鏡なんて見られないわ。あぁ、そもそもあなたに鏡なんて過ぎたものでしょうけど♪」
「はい…。もしも私は生まれ変われたら、お母様のようなお美しい容姿に生まれたく思います…」
「あらまぁ、うれしいことを言ってくれるじゃない♪」
お父様が横にいる手前、そう言っておかないと後からどんな仕打ちを受けるかわからない…。
もちろん私は本心では、生まれ変わったらお母様のようになりたいだなんて微塵も思ってはいない。
厚化粧からくる不健康な肌色、鼻の奥を刺激する下品な香水の香りをまき散らすような女性になど、絶対になりたいはずがない。
「それであなた、レベッカをどうして呼び出したのでしたか?」
「あぁ。レベッカ、最近このあたりでお前の事が噂になっているらしい。あまりにもお前がやせ細っている上に顔色が悪いから、俺がお前を虐げているのではないかという、でたらめな噂がな」
「まぁ、世の中にはそんなありもしない噂を流す人がいるのですのねぇ…。あなたがレベッカにこんなにも愛情をかけているっていうのに、いったいどこを見てそんなことを考えたのでしょう(笑)」
そのうわさを流した人は、この世界で一番常識的で聡明な人なのではないだろうか。
今の私の姿は、誰がどう見たってなにか問題を抱えているようにしか見えないだろうから。
…反対に言えば、満足に食事や睡眠時間を与えられないばかりか、一方的に理不尽に殴られるような生活を送る中で、そうならない方が無理だと思うけれど…。
「事実無根なうわさ話を流されることほど迷惑なことはない。そんなものは放っておけばいいだけの話だが、このままではあらぬ疑いを広めてしまいかねない。その誤解を早いうちに解いておくために、お前にひとつプレゼントをやることにした。ありがたく受け取ると良い」
プレゼント、と言えば聞こえはいいけれど、不気味な笑みを浮かべながらそう話すお父様の姿を見せられて、素直に喜べるはずがない…。
けれど、それを表情に浮かべてしまったりしたらそれこそお父様の機嫌を大きく損ねてしまう…。
私は湧き上がる不安感を押し殺し、お父様が差し出してきた一枚の紙を手に取った。
「これは……絵画展のチケット…ですか?」
「ああ、日付は明日だ。行くのはお前と俺と、そしてセレスティンの3人」
「マイアは別の予定があるらしいから、私たちだけよ。明日が楽しみね♪」
…マイアがいなくて、私とお父様とお母様の3人だけでお出かけ…。
しかも行き先は有名な画家の絵画展…。
なかなかに高額なチケットであるから、そこに集まるのはそれなりに地位や権力を持つ人たちが多い…。
…私を虐げてきたことを隠ぺいするには、都合のいい人たちが集まる場所…。
「…はい、私も明日が楽しみです…」
…もしかしたら、という嫌な予感ばかりが頭をめぐり、私はより一層強い不安感を抱えていた…。
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