第3話

呼吸さえ微弱になっているレベッカを抱き上げ、ラクスは自身の屋敷を目指して駆けだした。

幸か不幸か、あまりに軽いその体と軽装の服のおかげで重さを感じることはなく、ラクスはスムーズに彼女の身を抱えて走ることができた。


「そ、それにしても、いったいこの子は……」


ラクスは侯爵位の貴族であるため、このあたり一帯においては顔が利く。

そんな彼が顔を知らない人物ということは、おそらくこのあたりで暮らしている人物ではないのだろうと推測される。


「(肌の色は白すぎて、腕や足はかなり細くなってしまっている…。しかも、この子はおそらく雨の中も構わずに歩き進んだのだろう、着ている服には泥水で汚れた跡がある……。いやいや、考えるのは後だ!今はこの子を早く屋敷の中に!!)」


とても普通ではない状況のレベッカを前に、ラクスはただただ必死に自分の屋敷の中を目指して駆けるほかなかった。


――――


「こ、侯爵様!?一体その方はどうされたのですか!?」

「屋敷の前で倒れていたんだ!かなり体が弱ってしまっているから、はやく手当を!!」

「しょ、承知しました!」


普段はのんびり屋でさぼり癖のあるラクス。

しかしそんな彼が今、鬼気迫る表情を浮かべて強い口調でそう言葉を発している。それを受けた屋敷の使用人たちに緊張感が走らないはずはなかった。


「で、ですが侯爵様、あいにく今はお医者様が不在でして……」

「それは問題ない。外傷はなさそうだし、状況から見ておそらくショック状態か栄養失調のようだ。救急用の栄養剤を打ってあげて、冷えている体をベッドで温めてあげれば、ひとまずは大丈夫だろう」

「わ、わかりました!」


ラクスの明瞭な指示のもと、レベッカへの手当ては非常にスムーズに行われた。

レベッカの体はラクスの腕からベッドの上へと移り、用意された栄養剤が打たれたのち、冷え切った体には温かい毛布がかけられた。

一連の手当てがすべて行われたのち、ラクスはレベッカの眠るベッドのそばの椅子に腰かけ、改めて彼女の様子を観察した。


「(…ん?なんだかさっきよりも表情が穏やかになっているような…)」


それはラクスの勘違いではなく、本当にレベッカは眠りながらもどこか安堵したような表情を浮かべていた。

それはきっと、彼女は今までにやわらかいベッドの上で横になり、温かい毛布に包まれるという経験がほとんどなかったからなのだろう…。

なにかいい夢でも見ているのか、安心しきった様子で心地よい寝息を立てるレベッカの姿を見て、ラクスは安心したように笑みを浮かべるのだった。


――――


「……?」


目が覚める感覚と同時に、体中に植え付けられた痛みが感覚としてよみがえってくる。

けれど、それをかき消すほどに温かくて幸せな感覚もあった。

自分でもよくわからないその状況を理解するため、私はそのまま周囲に目をやってみることにした。


「…目が覚めたかい?」

「…??」


えっと……何から理解すればいいのだろう??

私は今、信じられないくらいふかふかで温かいベッドの上にいる…。

頭を支えてくれている枕も、いつものような硬い置物じゃなくって、正真正銘本物の枕…。

そして目の前には、今まで会ったこの無いはじめましての男性が一人…。


「だ、大丈夫…??話はできそう?」

「は、はいっ!」


…いつもお父様に殴られているからか、不自然なほど大きな声を出してしまった…。

へ、変な女だと思われちゃったかな…。

私はそのまま上体を起こして、彼と向き合う形をとった。


「なら良かった。君、名前は?」

「は、はい!レ、レベッカと言います!」

「レベッカか、よろしく。俺はラクス・ランハルト、この家の主だ」

「こ、こちらこそよろしくお願いします、ラクス様っ!」


…ラクス様の明るい表情に、私はなんだか心が不思議な感覚を感じた。

彼と私はきっと、年齢も近いと思う………彼の方が少し年上だろうか…?

彼とはまだほんの少し話をしただけだけれど、それだけでもずっと長い間失われていた感情が心の中によみがえっていくような、そんな感覚を私は感じていた。


「レベッカ、君はうちの屋敷のすぐそばで倒れていたんだが……いったい何があったんだい?」

「そ、そうですか……私は倒れて……」


痛む体を必死に引きずって歩き続けていたけれど、到底目的地にたどり着くことは無理だったらしい…。


「君の様子はとても普通じゃなかった。なにか理由があったんだろう?話すのが嫌なら無理にとは言わないけれど……それでも、よかったら聞かせてほしい」


…思い出すだけでも心がきしんでいくあの日々。

話してもいいものかどうか、私は少しの間だけ悩んだ。

でも、すぐに私は決心した。

…この人には、すべてを知ってもらいたいと思ったから。


「あ、あまり面白い話じゃありませんよ……?」


私は一言だけそう告げて、これまでの事を彼に話し始めた。

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