Day.1 テレビに映っている人が目の前にいる(2)


♦♦


 北川さんに体をゆすられて意識を取り戻した。彼女の慌てている声が少しずつ大きくなって、やがて水面に上がったかのような開放感がある。まるで眠っている間呼吸をしていない感覚。そのせいか、心臓が締め付けられるような苦しさがあった。

 あの数分の間で眠るのは変だと感じたらしく、彼女は俺を起こす行動に出たという。俺だって何事もなければそのまま病院食を食べていただろうし、確かにあの会話の流れでという選択肢はない。


 そこには主治医の先生も同席していて、体調について根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。外科的には肩の打撲ぐらいで大きな異常はない。記憶障害なども疑われたが、名前も所属も両親のことだって全て覚えている。普通に健康体と言って過言ではない。――ある異常を除いて。


「ねぇってばー。そろそろ認めなよ。自分はもう普通じゃないってことを」


 幻聴! 幻覚! ソレ以外の何物でもない!

 いまこうしてテレビで聞いたことある声も、日常あらゆる場所で見たことがある姿形も、全て偽物でしかない!

 俺以外に誰も居ない病室なのに、さっきまでテレビで取り上げられていた人間の声がするなんて不思議な話でしかないだろう? じゃあ今、俺の視界の片隅で宙を舞ったり俺を揶揄からかったりするこの存在は何なんだ?


「チラチラ見てるの分かってるんだからね」


 天真爛漫さすら感じる彼女の言葉に、思わず反応しそうになる。

 声だけでも人を惹き付ける何かを持っているようだった。可愛らしい声と容姿は良いバランスで、人気女優に上り詰めたことも納得できる。

 ――ってそうじゃない。今はまず、この状況が夢であることを証明するしかない。とりあえずもう一回寝れば解決しているだろうか。瞼を閉じてみる。


「おい寝ても変わらないぞ」


 頼むから消えてくれ。


「本当にいいのかなぁ」


 なんでも良いからいなくなれ。


「今なら私の色んな姿見せられるのになぁ」

「――!」

「意外と単純だね。男ってみんなそうなんだ」


 うっすら片目を開けてみたが、彼女はソレを待ち構えていた。俺の真っ正面、宙に浮いている瑞鳥光莉と瞳が合う。それは死んだ人とは思えないぐらいに大きくて輝いていた。

 ひゅるひゅると俺に近づいてくる。のっぺらぼうではなく、確かに瑞鳥光莉そのもの。けれど――地に立ってはいない。下半身がもやみたいになっていて、浮いている。これを人間と呼ぶ方が無理がある。

 それでも――死してもなお、瑞鳥光莉はオーラを放っていた。俺が動揺しているからとかじゃなくて、直感がそう言った。


「ビビらないんだ。ま、さっきまで散々ビビってたもんね」

「……まあ」


 彼女の嫌味にも何て返せば良いか分からなかった。


「君、コミュ障?」


 そのせいか、瑞鳥光莉はとんでもなく失礼なことを言ってくる。油を注げば本性を現すとでも思ったのだろうか。これが彼女のやり方だと考えると、芸能界が少し怖くなった。


「別にそこまでひどいとは思ってない」

「お、確かに。ハッキリ否定するのは良いことだよ」

「……どうも」


 会話をしてしまった。相手が瑞鳥光莉とかじゃなくて、人間じゃない何かと話をしてしまった。この先自分の身に良からぬことが降りかかりそうな気がしてならない。


「てかさ、もっと喜びなよ! 私と話せてるんだよ!」

「いやまあ……別にファンとかじゃないし……」

「あ?」

「スゴイウレシイデス」


 思わず本音が漏れたが、今はあまり下手な発言はするべきではないだろう。相手がどういう存在なのかも分かっていないし、何が目的なのかも不明。

 というか、自分がここまで冷静になれるとは意外だった。二度気絶しているとは言え、この状況を飲み込もうとするだけのキャパシティーは俺にはないと思っていた。


 腕を組んで考える。少し右肩が痛むが気にならない。


「私を無視する余裕はあるんだね」

「別に無視はしていない。考え事を」

「それを無視って言うんだけど……!」


 いま握りこぶしを作っている目の前の彼女。先ほどニュースに取り上げられていた瑞鳥光莉の姿とうり二つだ。というか、多分本人だろう。それはつまり――幽霊、ということになる。

 でも俺は元々霊感なんてものは持っていない。よくある心霊スポットとかには近寄らないようにしていたけど、誰かの家で不気味な気配を感じたこともない。まあ……誰かの家に行く機会もなかったけど。


 つまり――。


「俺がこうしてようになったのは、事故が原因ってことか。普通に考えたらそうだ」


 そう結論づけるのが自然だった。これ以外に大きなきっかけは記憶にないし、何かの衝撃で俺の体が変わってしまったのだろう。


「――うっざ!! ムカつくんだけど!!」


 抜群の推理だったが、その満足感を吹き飛ばすほどの声量が響く。これも多分、俺以外には聞こえていないと思うと何かせつない。


「それ、私が言いたかったんですけど!! あんたさっきから何!? のに無視するし、一人で結論づけるし! こういうのは二人で話をするから面白いんでしょ! あ、さてはぼっちでしょ!? 友達いない人なんだ!」


 そこまで言われると、さすがに頭に血が上る。


「別にぼっちでも良いだろ。文句を言いたいのはこっちだ。起きたらいきなりが出てくるし、次は死んだはずの瑞鳥光莉が浮かんでるし。この状況を受け入れる方が難しいに決まってる」


 思えば、こうして会話したのっていつぶりだっけか。看護師の北川さんを除けば、マジで思い出せない。誰とも会話しない日常を送っていたし、それが普通だと考えていたから。

 やがて沈黙が訪れる。さっきまで俺を見つめていた大きな瞳も、バツが悪そうに視線を逸らしていた。でもそれはほんの数秒で、視線が戻ってくるころにはケロッとした顔をしていた。改めて見ると、とても死んだとは思えないほど綺麗な顔立ちをしていた。


「ま、君がぼっちでもなんでもいいや。今の私を見て、普通に喋れるってだけで、肝が据わってると思うし」

「……どうも?」

沢城三月さわしろみつき君。の言うとおり、事故に遭ったから今の状況がある。それは理解してくれる?」


 冷静に問いかけられる。それを茶化す理由もないから、素直に頷いた。


「この世に嫌気が差したから死んでみたけど、未練があったことは誤魔化せなかったみたい。そこで、まさに死のうとしていた君を助けた」


 それが本当だとするならば。医者の言う『奇跡的に助かった』という言葉がなんとなくしっくりくる。その言葉の先が気になったから「どうして?」と問いかける。


「なんとなく、人生を諦めているように見えたから」


 顔には出さないようにしたが、それは俺の核心を突く言葉だった。

 ここで何かを言い返せば必ずボロが出る。何も言わず、ただ彼女の発言を待った。

 ふわりふわりと近寄ってくる彼女。香水の匂いも何もしない。手を伸ばせばすり抜けていくであろう、その細い体は、本当にもう、この世にはいないのだろうか。

 俺だって、人生を諦めたわけではない。本当は、まだまだやりたいことが多くある。でも、俺一人の力では打破できないことも知っていた。だから――どうにでもなれと思って少女を助けただけだ。


「ねえ、人生を謳歌してみない?」

「……皮肉が効きすぎてませんか」

「ふふっ。確かに」


 死んだ彼女が言うセリフだから笑えない。でも悪い気はしなかった。

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スター女優に取り憑かれて―逆転人生を謳歌する― カネコ撫子 @paripinojyoshiki

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