白苗
低田出なお
白苗
振り返った満の顔は、スマホの光に照らされているのもあって真っ白だった。
「みつ、る?」
横から聞こえるスミの声が反響する。問いかける様なそれを受けた満は、立ち尽くしたまま、まるで応じるように白い粘液を口から吐き出した。
「ひっ」
「っ!」
腰を抜かしそうになるスミを慌てて支える。顔を見れば恐怖に濡れ、目尻には涙が滲んでいた。
ドッキリ大成功である。
わざわざ時間をかけて準備をした甲斐があった。満が「スミの誕生日にドッキリがしたい」と言い出した時はどうしようかと思ったが、何とか上手くいったようである。
「け、警察、えと、あれ、スマホ、あ?」
「ああ、かけないでかけないで」
「いや連絡しないと! …あ、救急車!」
「落ち着けって、おい満、もういいだろ」
警察に連絡しようとするスミを落ち着かせ、白目を剥く満に声をかける。
満は、何も答えない。口元から流れる白い液体は、顎を伝って彼のTシャツへと滴っている。
「ちょっと、おいダルイって」
まだ演技を続ける満へ、呆れながら声をかける。しかし、満は立ち尽くすばかりだった。
「は? なに? どういう…」
「あーもう、てかまっさん、もう出てきていいから」
本来なら、もうこのタイミングでプラカードを持ったまっさんが、すぐ側の部屋から出てくる予定である。しかし、いつまでも部屋から出てくる様子がない。
「ちょっと、は? マジで何?」
状況が俺達によるものだと勘付いたスミは、俺の腕を掴んで問い詰めてくる。先程の恐怖より、怒りが薄ら表情に滲んでいた。
「あーだから、ドッキリだよ、ドッキリ」
「はあ? …………はあもう、ないわー」
スミはその場から数歩下がり、廊下の壁にもたれかかって頭を抱える。声色には呆れと笑いがこもっていた。
釣られて俺も笑う。
「やっば、まじ?」
「まじまじ、てかお前はいつまでやってんねん」
満の肩を押す。満は体を斜めによろけさせながらも、右足を一歩引いて立ち続ける。
「うわめんど」
「こわいこわい、こわいって」
満はまだ演技を止める気はないらしく、こちらが半笑いなのをお構いなしに白目を剥く。
俺はわざとらしくため息を吐く。そして、近くでまっさんが潜んでいる扉へ近づき、ドアノブを捻った。
ガチャ、ガチャリ。
……開かない。
錆びついた廃墟の扉は、こちらの力を意に介さない様に動かない。ドアノブは回っている様なので、問題は扉側にあるようだ。
「くっ」
後ろからスミの堪え笑いが聞こえてくる。その意味はすぐに分かる。部屋の中のまっさんが、中からこの扉を押さえているのだ。
「うわだるぅ」
「なに、実は三村もドッキリのターゲットでしたオチなの?」
「うわ嫌すぎるそれ、ちょっとー、まっさーん?」
扉を叩きながら中のまっさんに呼びかける。案の定、返事はない。
「ちょっと、まーじで、めんどいってほんと」
ドアノブをガチャガチャ回し、扉を押す。徐々に自分が、ノリではなく普通に苛立ってきているのが分かった。
「おい、はよ開けろや、おい、おもんない」
その時、肩に手を置かれた。もっと後ろからスミの笑い声が聞こえたから、それが満によるものだとすぐに分かった。
「おい、まじで」
いい加減にしろ、と口にしながら振り返る。
瞬間、俺の視界は真っ白になった。
「ぶぁ、たっ、ちょっ」
満が口の白い何かを吐きかけてきた事は、すぐに想像できた。生暖かく、粘度のある液体は、俺の顔面にべちゃりと張り付いてくる。
咄嗟に口元についたものを吹き、手で顔を拭う。何とか目元の周囲を手で拭き取り、視界を得ることが出来た。
「お前、まじ」
じわじわと込み上げてきていた怒りが瞬時に吹き上がり、突き飛ばそうとする。
その時、満と目があった。
満は左目は白目を剥いたまま、右目はじっと俺の顔を見つめていた。その目は血走っていて、つい怯んでしまう。
その隙をつく様に手首を掴まれ、扉へと抑え込まれた。
満の細く日焼けしていない掌が締め上げる様に俺の手首を握り締め、鈍い痛みが両手に走る。
掌が熱い。痛い。
抵抗しようと足を上げた。その時、さっきまで全く動かなかった背面の扉が、ギィと音を立てながら奥へと開き始めた。
バランスを崩した俺は、満に被さられる様に部屋の中へと倒れた。
背中を打ち、肺の空気が押し出される。
「うわちょっと、怪我するよー?」
スミの呑気な声が聞こえる。違う。おかしい。ドッキリじゃない。
「たす、ス」
馬乗りになった満から、また白い何かを吹きかけられた。口の中に生ぬるい何かが入ってしまう。ねちねちと気持ち悪い感触のそれは、薄らと甘かった。
すぐに吐き出そうと口を尖らせ、口の中の空気と共に吹く。
しかし、それを妨害するように何かが俺の顎を掴んできた。
「があ、ぁ」
伸びたそれを目で辿る。その先には、まっさんがいた。
その目は満と同じ様に、片目だけ白目を剥いていた。
まっさんはそのまま俺の上顎へと手を伸ばした。俺は、瞬時に何をされるのかを理解してしまった。
嫌だ、離れろ。キモい。キモい!
手足を動かし、暴れる。しかしそれは二人によって押さえつけられてしまい、抵抗は叶わない。
「え、何、あんたらそういう感じなの?」
そんなわけないだろ、たすけろよ。
必死に口を動かし、状況を理解しないスミに助けを求めた。
しかし、それも叶わない。口に吹きかけられられた白いそれは、喉の奥に貼り付き、俺に咳き込むことしかさせてくれない。
苦しさと不快感、理解できない恐怖に苛まれたまま、満のそれを吹きかけられ続ける。
向こうでスマホの録画開始の音が鳴ったのを聞きながら、俺は視界は真っ白になった。
視界が埋め尽くされる寸前に、「ふたりめ」という声が聞こえた。
白苗 低田出なお @KiyositaRoretu
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