第5話

「昔はサンダーバードで金沢まで直接行けたらしいんやけどね」

 誰もいない車内で彼女がそう溢した。

 ハピラインふくいはサンダーバードみたいな二列の席がある指定席制ではなくて、ごく普通の車両だった。

 ごく普通の車両の説明が少し難しい。長い椅子が向かい合わせになっていて、吊り革がぶら下がっていて……そんなよくある車両だ。

「今はこれ使わないとなんだ」

「うん」

 彼女が頷く。それから、言葉が無くなる。

 誰もいない車内に無音が響く。それは何にもかき消されなくて、すぐ隣にいるのが嘘のように彼女の存在を遠くに感じる。

「……せや! あれ言わな!」

 その無言を嫌ったのだと思う。彼女は勢いよく立ち上がって、大袈裟にリアクションを取った。

「あ、あの、泊まる宿があるやんか? そこお風呂、温泉で一部屋に一個あるタイプらしいんやけど……どうする?」

 照れながら、後ろに手を組んだめぐるが期待に満ちた目でこっちを見る。可愛いねだり方だとは思うけど。

「交互ね」

 バッサリ。

「そかー……そかー……」

 白いワンピースの彼女は目を瞑ってのけぞって、黒髪が揺れていた。悔しそうな表情が垣間見える。

 そんなやりとりですら、どこか上辺だけに思えた。

 この時間、電車は各駅停車だけだった。電車はトロトロと進む。けれど、確実に目的地へ近付いている。その目的地には、「夕陽さんのことを聞く」という私のゴールも設けられている。

 そこに近付くたび、どんどんめぐるのことがわからなくなっていく。恨めばいいのか、同情すればいいのか、友達になればいいのか、知り合いに戻ればいいのか。

 分からない。

 最初のスタート地点は、多分同じところだった。だけど、私たちの歩む道はV字に分かれていたみたいで、ずいぶん進んだ今では横を見ても彼女の姿はぼやけてしか見えない。

 彼女は、私とは違う道を歩いている。どこか、別の目的地があって遠くに行こうとしているような気がする。

 のけぞった体制から上体を戻して、ワンピースの彼女は向かい側の席に座った。可愛らしいフリルの付いた手を振ってくる。

 ちょっと手を振り返してはあげられない。突き放してあげるのが私の役目だ。じゃあどうしたかというと、曖昧に二、三回頷いた。

 彼女にとってはそれで満足だったようで、花が芽吹くようにパッと微笑んで、その後こちらと目があって気まずくなったのか、本を取り出し読み始めた。

 私もスマホを取り出して、いつも通り通知をスクロールした。まだ怖くて既読は付けられない。液晶の青い光に吸い込まれる。

 こんなに近くにいるのに。

 こんなに遠い。


 長い時間が経って、ようやく私たちは芦原温泉駅に着いた。伸びをしながらホームへ下りる。

 暗い。駅舎は古ぼけている。「それが味」という評価になるかはこれから次第。

 薄明かりの灯った2階を目指して、私たちは階段を上がった。夏の虫のように。誰もいない通路を自然と遠くに離れながら歩いて行った。

 改札に切符を滑り込ます。外に出る。

 そこには、灯りなどどこにもない。昭和っぽいフォントで書かれた看板。駐車場のような駅前。まばらにそびえる「P」の文字で「ような」ではなく「駅前が駐車場なのだ」ということに気が付いた。

 車は止まっていない。文字通り、誰もいない。

 田舎の温泉街に憧れていた。そこは人は少ないけど魅力的な自然や昭和レトロなかわいい建物があって、そこでの一泊は体も心も治してしまうような、そんな素敵な場所だと思っていた。

 ここは違う。

 自然も何もない、コンクリートづくりの田舎だ。

 そして気が付いた。私がひたすら無知だっただけで、温泉街なんてそんな田舎にあるものなのだと。

「こっち」

 呆然としていると、暗闇の中で一際目立つ白いワンピースの彼女が指を差していた。後ろについていく。この白い背中についていってばかりだ。

「ここや」

「……お土産ショップ?」

「ちゃう」

 何か大きなお店が手前にあって、その奥まで屋根が連なっている。その下にお店が何軒かあって、ベンチがあって、自販機があった。そのうち、灯りがついているのは自販機だけだ。

 その灯りに向かって、ふらふらと彼女が向かっていく。その姿に夏、斜めに花開く百合の花を連想する。風に揺られている姿だ。

 意味がわからず、その不安定な背中を早足で追いかける。

 百合の花が手折れたように、ベンチに座り込む。

「ねぇ! 宿、こっちの方向なの?」

「ちゃうよ」

 淡々と告げられる。顔色は、暗くて伺うべくもなかった。途端、怖くなった。彼女はある一点ですごく強引なのだ。それが発揮されたのではないか。

 顔色が見えなくなった瞬間、薄ら感じていた信頼感みたいなものは消し飛んで、私はその白が恐ろしくなった。

「よく見たらわかるやろ? ここはバス停。私たちは今から一緒に観光に行くんや」

「行かないよ! もう夜じゃん!」

「行くんや」

 怒っているわけではない。けれど、有無を言わせぬ迫力があった。

「行かないってば……! バスも来ないよ、こんな時間」

「せやな」

 その瞬間、彼女の膝上にあったバッグから眩い光が溢れ出た。強烈なその光をこっちに向けられる。

「これ」

 スマホの光だ。

「もう呼んであるんよ。タクシー」

 そのまま、遊ぶようにキラキラと光の向きを変える。

「呼ばれても行かない! だって私……!」

 あれ、次の言葉は「温泉旅館を楽しみにしてる」でいいんだっけ。

 頭に駅前の光景がよぎって、一瞬思考が止まる。

 その間に彼女の手元のスマホは口元をライトアップしていて、私が続きの言葉を言う前に口を開いたのが見えた。

「そこに着いたら教えてあげる。夕陽葵のこと」

 スマホ片手に、彼女は笑う。

 その間、変なことに、私は「彼女がスマホを使ってるのは初めて見たかもしれない」なんてことを思っていた。

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