第4話

 結論から言うと、大きな新駅舎の方はまだガラガラで、小さな方の駅舎には立ち食いの蕎麦屋さんしかなかった。だから私たちの夕食は蕎麦になった。

 縦長のお店に入る。時間帯もあってか、平日の割にそれなりの人がいた。おばあちゃんが注文を取りに来る。

「私、天玉そばで」

「私は……なんにしよかな。うーん……おろしそば、お願いします」

 おばあちゃんが厨房に注文を伝える。

「めぐるはおろしそばなんだね」

「ええやろ?」

 めぐるが親指を立ててくる。

「うん。いいね」

 そう肯定するとめぐるは顔を明るくして、その後急に目を逸らし、キョロキョロし始めた。挙動不審。なんで?

「あーあれやったら〜……その〜……」

 何か俯きながらもじもじしている。そして、意を決したようにバッと顔を上げた。

「半分こ、してもええ、けど……」

 なるほど。

「したいのね。半分こ」

 めぐるは照れて真っ赤になりながら口を窄めていた。そして、ゆっくり頷いた。

「それって、そこまで照れるようなことかな〜」

 純粋な気持ちを口にする。すると、めぐるに腕を掴まれた。

「そら……するやろ。だって私の食べ物が栞の体の中に入るんやで?」

「おおう……。ちょっとキモいね」

「キモいか……」

 めぐるは項垂れ、私の左手に縋り付いた。本当は「ちょっと」というより「相当」キモかったけど、さすがに本人には言えない。

 というか。

「あのーめぐるさん、人前ですよ」

「あっ!」

 めぐるは慌てて腕から離れ、一歩後ろに下がった後、照れたように笑った。

 私も不思議と嫌ではなかった。場所というのは不思議なものだ。これがめぐるの家だったら。あるいは、学校の近くだったら。私はそのスキンシップに嫌悪感を覚えて突き放していただろうと思う。

 めぐるの家なら、下心が透けて嫌になる。学校の近くだったら見られたくなくて嫌になる。

 だけど、ここは誰かの家ではない。当然、知り合いもいない。それが私を少し開放的にしているのだろう。

 もしも、めぐるがこれで満足できるのなら。恋を諦めてこの程度のスキンシップで満足してくれるなら。私はめぐるを嫌わずに済むかもしれない。

「天玉そばのお客様、おろしそばのお客様」

 立ち食いだから料理の提供はとても早い。汁が並々注がれているそれをこぼさないよう慎重にこちら側に動かしている最中、思った。

「これさ」

 二つの丼を交互に指差す。

「ツユありとツユなしだから半分こ無理じゃない?」

「あっ」

「……まぁ、食べよ」

 そう促し、私は食べ始めた。麺を啜る。決して高級じゃないけど、天玉の油が広がるお出汁でいただく蕎麦は美味しい。程よくジャンクな味わい。

 食べ進めながらちらちら横を見ていたのだが、めぐるは終始暗い顔をしながら淡々と蕎麦を啜っていた。


 立ち食いでご飯を食べたら座りたい。私たちは無言のうちに駅舎の真ん中にあるソファが並んでいるスペースに行った。夏休み前の平日ということで、椅子は空き放題。めぐるの申し出で一番周囲に人のいない席に座った。

「待ち時間、あとどれぐらい?」

「20分くらいやな」

「それまでテレビでも見てる?」

 辺りにはテレビが設置されていて、福井ローカルらしき番組が流れていた。

「うーん。私は栞と話したい」

「ストレートに来るね」

「うん」

 茶化してみたけど、めぐるは照れもせず、至って真面目な表情で私の方を見つめていた。そこで今までの温度感何か違うことを察して、私も目を合わせた。

「もう言うたけどさ。私、栞に振り向いてもらうのはもう諦めた。『私の一方通行でいいや』って思ったら急に心が軽くなった。だから、これでええかなって。……すごく寂しいけど」

 めぐるは、今にも泣き出しそうだった。でも、目の奥にはまだ力があって、訴えかけてくる。「これで終わりじゃない」と。

 めぐるがワンピースの袖で目頭を拭う。その瞬間、決壊した。涙が溢れ出して、めぐるのワンピースをグレーに染める。「えぐっ、えぐっ」と声に出さずに嗚咽する。何度も目頭を擦る。

 背中をさすってあげようかと思った。だけど、やめた。めぐるは今決死の覚悟で私からの恋を諦めようとしているのだ。そんなことをして勘違いさせたくない。報われない恋を受け入れためぐるへの敬意だった。

 やがてほんの少し落ち着いて、めぐるはこっちを見た。そして涙を流しながら口を開いた。

「でもな……でもな、やっぱり私は夕陽葵のしたことが許せないし、そんな人を好きになるのはいけないと思う。……そんな人のために盗みを働いてるだろうことも。だから……これは傲慢な言い方かもしれんけど。今は栞を正しくさせたい」

 そこまで言い切って、めぐるは大きく息を吸い込んで、吐き出した。

 今度は、私の番だった。私が動揺する番だ。

 盗みを働いていることがバレている。

 そして、私自身もめぐるの語り口から理解しつつあった。夕陽さんが正しい人物でないことも。

「……無理だよ。私は正しくない。きっと正しいめぐるの言い分を受け入れられない。私は歪んでるんだよ。第一、女の子が好きなんて、正しくない。私も、めぐるも、夕陽さんも」

「……そんな風に考えてまうんやね」

「うん」

「なら、やれるだけのことはするわ」

「いいよ」

 どうせ、何の意味もないだろうけど。

 歪んでいるパーツに油を差したって、絶対良くなったりしない。

「……最終的に栞に呪いをかけてまうかもしれん」

「……いいよ」

 私たちの会話はそこで途絶えた。

 それから私たちは移動して、切符を買って、ハピラインふくいが来て、そこに乗りこんだ。

 隣同士で座る。電車が走り出す。

 揺れる。

 私たちは確実に近付いている。

 だけど、確実に離れていっている。

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