第8話
「気の利いたことなんて言えん。でも私、栞のことが好き」
今、私はどんな顔をしているだろう。
ちゃんと笑えているだろうか? 取り繕えているだろうか? 擬態できているだろうか?
男の子が好きな女の子になれているだろうか。
多分、なれてない。だって、うまく動揺できてない。普通の女の子は、男の子が好きなのが当たり前だと思っている女の子は、きっとここで動揺する。そんな目線で同性を見たことがないから。
だけど、私は違う。だから、平然としている。きっと、バレてしまっている。どうしてかは知らないけど、女の子でも可能性があるって思われている。
だったら、「女の子をそんな目で見れない」は言い訳にならない。じゃあなんて言おう。
「ごめん」
そこで出てきたのは、私の本心だった。
「めぐるは良い人だと思う。だから言うね。女の子だからって理由じゃない。私には好きな人がいるの。だから、ごめん」
そのまま、私たち二人の空気は凍りついた。沈黙が重くのしかかる。でも、適当な言葉で誤魔化すよりかはきっと誠意ある対応をしたはずだ。めぐるもきっとそれに納得してくれる。
「嫌や」
冷たい声が吐き出される。
「嫌や!」
それが激昂に変わるまでは、一瞬だった。
ドガッ。激しい衝突音。床に何かがぶつかった音。何かをぶつけた音。
めぐるが、リモコンを床に叩きつけた音。
「私のことが好きじゃない栞なんて嫌。この恋が失恋に終わるなんて嫌。そんなの絶対に認めん。わざわざ二人っきりになるために私がどれだけ努力したと思ってんの? 邪魔な3人を遠ざけて、親を遠ざけて、そのためにどれだけ電話したと思ってんの? 全部、栞のためやんか! なんでわからんの!? なぁ!」
俯くしかなかった。嵐をやり過ごすためにベッドで毛布にくるまる子供のような、そんな気分だった。
「そんなにあの女がええんや! へぇ!」
「……は?」
「夕陽やろ!? あそこの美容室で働いてる、夕陽葵!」
鼓動がどくんと音を立てて跳ねた。
「なんで知って……」
狼狽して顔を見上げる。めぐるが鬼の形相をして私を睨みつけている。目があった。私の顔を見て、その形相が猟奇的な笑みに変わった。
「知っとるよ。なんでも。夕陽葵が全部話したわ。自分を好きな女の子がいること。名前は小清水栞。私と同じ学校に通っとって、一ヶ月毎に美容室に来る。だからずっとショートで、髪を伸ばさない。標準語に憧れて、方言が出ないように頑張ってる。いつも指名を入れてはバイトして買うたとは思えない高額のプレゼントをする。全部知っとるから」
その猟奇的な笑みと言葉に私は凍りついた。背筋に悪寒が走る。めぐるは、この女は何か犯罪じみた行為をして夕陽さんに私のことを喋らせたのだ。犯罪じみた、じゃなくて犯罪かもしれない。夕陽さんが犯罪に巻き込まれている。
その事実に私は憤った。全身の氷を溶かす炎が心に灯った。
「許さない。夕陽さんに危害を加える人のことは絶対許さない。借金か何かをかたに無理やり喋らせたんでしょ! 許さない。許せない!」
戦おうという勇気が湧いてきた。白鳥めぐるを睨みつける。白鳥めぐるは、まだ笑っていた。
というより、さらに笑っていた。「あはは!」と笑い声が反響する。異様な空気だった。やがて、笑い声が止んだ。
「夕陽葵はな、私のことが好きやねん」
そう言って、白鳥めぐるはその笑みを酷く落胆したような表情に変えた。
「……は?」
「あいつはエレクトーンの講師としてうちに来た。以来親に気に入られて、今でも定期的にうちに来る。……けど、私は嫌やった。ある日、私がエレクトーンを弾いてる時、あいつは私のスカートを脱がしてきた。悪ふざけやと思ってたけど、そこでは終わらんかった。私は昔、夕陽葵から性的暴行を受けたことがある。なぁ……それを聞いても、栞は夕陽葵のことが好き?」
頭がぐるぐる回る。意味がわからなくて、処理落ちする。酷く頭が熱い。一日切らずに放置してしまった勉強机の灯りのように熱い。それが冷めない。悪夢のような現実。それから覚めない。
「はぁっ、はあっ」
熱異常を感知したファンが回るように、息を吸った。全身が汗ばんで、体が重くなった。胸が溶けた鉛でも注入されたように重く、鈍くなる。気持ちが悪くなって、喉が詰まったような、そんな吐き気の前兆に襲われる。
私は右手に付けていたWiiリモコンのストラップを外して、そのまま投げ捨てた。ひったくりの様に自分のショルダーを引き寄せて、肩にかけた。
そして私は逃げ出した。
気が付いたら、私は家の外に出ていて、スマホを見ていた。ブックマークしているページを開いて、ページをスクロールしていた。「カット4,000円+指名料1,000円」を押していた。時間は、今からすぐ。
私は走った。
白鳥めぐるから逃げ出すように。
夕陽さんを求めて。
美容室へ走った。
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