第2話
「じゃあ今日の授業終わり! しっかり予習しとけよ!」
数学の山本がチャイムに背中を追われながらいそいそと教室を出た。クラスがザワザワし始める。
窓際にいた私はまず窓を閉めた。数学の山本は頭がおかしく、「暑さを克服するんや」と主張して真夏にも関わらず窓を開け、クーラーを入れない。クラスはいつも通り山本への罵詈雑言で盛り上がっていた。
ただ、それもどこか明るい。夏休みが近づいて来ているからだった。今日の学校が終わったらあと一週間で夏休み。みんなそれを知っているからどこか気楽に過ごせている。
窓の鍵を閉めた辺りで、肩をトントンと叩かれた。後ろを振り返ると、見慣れた女子が3人。羽川、今井、柏木。
「なあ小清水、土日ヒマ?」
私の肩を叩いた羽川がそう聞いてきた。
「別に暇だけど」
「お泊まり会せん? って話に今なっとって」
「別にええ……いいよ。誰の家でやるの?」
方言をそれとなく訂正しながら3人の顔を見回す。すると、3人は顔を見合わせた。それも、みんなどこか「どうしよう」みたいな表情をして黙り込んでいた。
「あれ、3人の家じゃないの? もしかして」
能天気を装って会話のパスをつなぐ。何かあるのだろう。羽川が耳元にやってくる。
「いやそれがな……実は白鳥さんのお家に、って話になってん」
「え?」
全く意外な人物だったので、素っ頓狂な声が出た。羽川が顎をくいっとして方向を指す。クラスの隅、出口側の後ろから三番目の席に長い髪を後ろでくくり、数学の山本への悪口で盛り上がる周囲に我関せずという様子で本を捲る女子の姿があった。
その様子が一人静かに池を泳ぐ白鳥のようで、「だから白鳥なのか」なんて思った。名字だからそんなわけないんだけど。
「小清水、白鳥さんと話したことある?」
「うーん……」
ちょっと考える。多分ないだろうけど、「実はあった」となると失礼だ。長い髪の毛を記憶と照らし合わせた。
「あ。あるわ」
入学式の時、体育館へ向かう階段で荷物を全部ぶちまけている女の子がいた。うちの学校は斜めの土地に建てられていて、体育館に行くためには屋外にある階段を使わなくてはいけなくて、そこで転んだらしかった。長い髪の毛先がノートか何かに巻き込まれていて痛そうに見えたのを覚えている。それを助けた時に一言二言会話をしたはずだ。
小刻みに頷いていると3人は安堵したような顔をした。
「いや、良かったわ。私、なんか別の人と間違えとるんちゃうかと思って。白鳥さんが『小清水さんがいるならええ』って言うもんやから」
羽川が胸を撫で下ろし、一歩後ろに離れた。
「……でも、そう言われるほどの付き合いではないけどな……」
白鳥さんはさほど目立たない立ち位置にいて、それが良いことか悪いことかは別として私と関わることのない人間だと思っていた。
「そうなん? でも……」
「あ、言わなくていい。別に大丈夫だから」
少し心配げな羽川を手で制す。彼女の心配は「それによって私が白鳥さんを拒絶しないか」ということだろう。
羽川は結構真面目なやつだ。例えば、英語のスピーキングの授業でグループワークになった時、話が弾まなさそうなグループに入って盛り上げる。今はもうやっていないけど、中学時代は委員長もやっていた。「正義感が強い」というと大げさすぎるけれど、そういう真面目な性格をしたやつだ。
だから、クラス内に知り合いが少なそうな彼女の友達を増やしてあげようとお泊まり会を企画したのだろう。
羽川のそれは時に大きなお世話になる。けど、今回の件は白鳥さんも織り込み済みのようだったし、私は納得して「全然行くから大丈夫」と返した。
「じゃあ白鳥さんも呼ぶわ!」
羽川がたったっと走っていって、読書中の白鳥さんに話しかけ、白鳥さんはバッグから栞を取り出して本に挟み、二人はやって来た。
「小清水も来ることになったから!」
「え、ほんまに!?」
白鳥さんが少し驚いたような顔をして羽川の方を見た。そのあと、恐る恐るといったそぶりでこちらを見た。
「あ、小清み」
「ず」と挨拶する前に白鳥さんはバッと後ろを振り返った。そこに誰かいるわけではない。困惑した。
「し、白鳥……めぐるです。よろしく」
背中を見せたまま挨拶される。肩も声もなんか震えていた。もしかして、私が怖がられているのだろうか。
「そんなに堅苦しくしなくていいよ。小清水栞です。なんか、エセ標準語みたいな話し方なのはあんま気にしないで」
まさか「好きな人の影響」とは言えないので、気にしないで欲しいのは本音だった。数件質問をされたことはあるが、幸い、それをカミングアウトするまでに至ったことはなかった。隣にいる羽川から「それほんと謎やな〜」と肩を揺らされる。
このままいつものように羽川たち3人とダラダラ話しても良かったけど、「今は白鳥さんが優先なんじゃないか」という目線を送る。すると羽川は当初の目的を思い出したようで、「そうだ」と白鳥さんの方へ話しかけた。
「白鳥さん、とりあえずLINE交換せえへん? 私グループ作るから、そこ招待するわ」
「あ、ええよ」
白鳥さんは淡々と羽川に応答しながらスマホを取り出した。どうも、怖がられているのは私だけらしい。
「追加した」
羽川が画面をタップしながら呟く。私もスマホを取り出し、LINEの通知を開いた。この5人のLINEグループができていた。
「じゃあなんかあったらここで相談な!」
頷く。みな頷いていた。その中で一人、白鳥さんがあっ、と思い出したような顔をした。
「泊まりに来るんは明日やんな?」
「うん。明日のお昼とかで。どう白鳥さん?」
「あー……せっかくやしお昼ご飯もうちで食べたいな。昼前はどう?」
「やって。小清水もそれでええ?」
「いいよ」
こういう時反射的に出て来そうになる「ええよ」を飲み込むのもずいぶん得意になった。夕陽さんの力って、好きの力ってやっぱり凄い。
少しニヤついた。誰も私の方を見ていなかったから気が緩んだのだ。それを白鳥さんに見られた。最初は動揺したような目をしていたけど、じきに目を細められた。鋭い目線だった。
焦って口角を戻す。それを見て、白鳥さんは目を逸らした。
そこで予鈴が鳴った。「ヤバい」という声が周囲から聞こえる。私たちも解散しなくてはいけない。
最初に席に戻ったのは白鳥さんだった。その様子に羽川は苦笑して「ま、明日仲良くなれるよな」と呟いて、席に戻っていった。それを見て今井と柏木も席に戻る。
私も席に座った。
次の科目は倫理だった。先生の話を考えながら、私はずっと白鳥さんから向けられた目線の意味を考えていた。孔子難しい話は女の子の心理を読み取るのには何の役にも立たなくて、「倫理なんて何の意味もない」という結論に帰した。
「バイバイ」と挨拶して、羽川たちと別れる。家に帰って、夕飯の支度をしているママに「ただいま」と言って部屋に戻った。
明日白鳥さん家に泊まるということは、一日部屋を空けることになる。それは、怖かった。基本的に親が部屋に入ってくることはない。だけど、万が一掃除とかで入られた日には大変なことになる。
そのワンシーンを想像して、思わず心臓が跳ねた。首の後ろに冷たい汗が伝う。
隠そう。誰にも見つからないように。
スクールバッグを床に置いて、クローゼットを開いた。いくつもの化粧品がクローゼットの奥まで並んでいる。
全部、私がドンキで盗んできたものだ。
これをメルカリで売って、指名料を払う。プレゼントを買う。
夕陽さんの笑顔を思い出してしまって、自分がどれだけ汚いお金を扱っているのかを理解して、吐き気が込み上げた。
それを誤魔化すように、私はその棚の一つ上にある冬服をまとめた箱を床に置いて、中身を全部出した。そして、底に化粧品を全部詰めた。その上に冬服をまた乗っける。少し嵩が高くなったけど、怪しまれはしないだろう。
箱を元の位置に戻す。
リビングから親がご飯を呼ぶ声が聞こえた。
深呼吸を一度した。そして、何事もなかったかのような顔を作って、食卓の席についた。
その日のメニューは鶏の照り焼き。美味しく食べた。味がしないなんてこともしない。美味しく食べて、「ごちそうさま」を言った。母は笑っていた。
私も笑った。
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