アクアマリンの秘密
高野ザンク
そして彼女は戻ってくる
森から戻ってきた翌日から敷島は隕石の分析に取り組んだ。エネルギー源をどう使うのかという問題も大事ではあるが、それ以上に、未知子を元の時間の元の場所に戻すことができるのか。そちらのほうがより難問に思えた。
「それはコンピューターが計算してくれるから楽勝。俺は式を入れればいいだけ」
敷島が簡単に答える。隕石を目の前にしている彼の背後で、2台のPCの画面上に、複雑な計算式が表示されては流れていく。
「その式が間違ってたら?」
「もちろん、今は間違いだらけだよ」
誠一の疑問に、敷島は隕石をピンセットで弄りつつ、こともなげに答える。
「一発で答えを出すなんて無理。少なくともこの時代でタイムマシンを発明してるやつはいないんだから」
隠して作ってるやつはいるかもしれないけど、と、小声で付け足す。
「だが、最後には正解に辿り着く。なぜならコレを完成させたのは未来の俺だ。なら、この俺が作れないわけはない」
そう言って顕微鏡を覗き込んでは、何やら記録し始める。
「君たち、いつまでここにいるの?完成したら連絡するから、家でおとなしく待ってなよ」
敷島は顕微鏡から目を離さずにそう言って、手で追い払うような仕草をした。
敷島の家を出たものの、落ち着かないし、かといって遊びに行く心境でもないので、未知子と誠一の足は自然と体育館に向かった。
未来に戻るために脱出マジックを成功させる必要はない。ただ、なんとなく自分がどうやってここにきたのか、はじまりの場所を未知子は確かめておきたかった。体育館にはバスケ部の数人が自主練をしていたが、舞台の箱と檻はまだそのまま残っていた。その傍らに立つ二人を気にする者もいなかった。
「手品部は僕一人しかいなくてね」
誠一が箱に目を落としながら、寂しそうに言う。
「僕の手品に対する熱意におされて、顧問の先生がついてくれたんだ。それでなんとかやってるんだけど」
「誰も注目してない……か」
未知子はあの日から置きっぱなしになっている手品道具の数々を見て、誠一の学校での居場所が少しわかった気がした。真面目で孝行息子だけど決して友達が多いタイプではない。家の事情もあって、先生は同情で顧問を引き受けたのではないだろうか。
「でも如月くんは将来、大手品師としてこの舞台に戻ってくるんだよ。みんな大歓声だったんだから」
未知子は心の底からそう思って言った。
「うん、そうなんだよね。全然実感湧かないけど」
照れくさそうに誠一が言う。ただ心なしか彼の表情は明るくなったように見えた。
ふと、未知子は脱出用のダンボール箱の色が気になった。
「この箱、青いんだね」
「え?」
誠一は質問がわからず、間抜けな声をあげた。
「だって敷島くんの箱は真っ黒じゃない?」
ああ、とようやく誠一は彼女の意図を把握した。
「青は僕が一番好きな色なんだ。誠実さを感じるだろう?」
誠一は箱をポンと叩く。
「だから大仕掛けの脱出に使う箱は、好きな色に塗ろうって決めたんだ」
誠実。誠一の名前の由来はそこにあるのかもしれない。今の彼にはその言葉が、そしてこの青がよく似合う。未来の彼は、さてどんな人だったろうか。
「未知子さんの好きな色は?」
急に聞かれて未知子は戸惑った。ピンクや白が好きと言えば好きだし、洋服なら黒やグリーンのものを買ってしまいがちだ。でも、誠一のように確固たる思いで、好きな色なんてない。
「じゃあ、私にはどんな色が似合うと思う?」
答えに詰まって問い返す。誠一は一瞬困惑の顔をしたが、すぐに彼女をジロジロと見回して考える素振りを見せた。
「未知子さんはそうだな……アクアマリン!」
しばらくの後、誠一が快活に答えた。
「それって青の一種でしょ?なに自分に寄せようとしてんの」
呆れて未知子が答えると、誠一は顔を赤らめた。彼が本当にそう思ったのか、彼女にも青を好きになって欲しくてそう言ったのか、未知子にはわからない。でも、悪い気分はしなかった。
その時、未知子の頭に何かが引っ掛かった。
私が入ったあの箱は何色だったっけ?確か黒ではなかったはずだ。だから敷島の家で箱を見た時、似ているけど違うと思ったのだった。
私の入った箱の色は
そう。アクアマリンだった。
「いいよ、それで」
未知子はあの箱ではない、誠一の作った青い箱を見つめながら言った。
「私はアクアマリンってことで勘弁してあげる」
決意に満ちたような未知子の言葉を、誠一はポカンと聞いていた。
その後、未知子は誠一に脱出マジックの仕掛けを教えてあげた。単純だけど身体能力は結構いるんだよ、と付け加えると、誠一は、僕には無理だ、と苦い顔をした。
「僕も未知子さんのようなアシスタントを探すよ」
未知子と誠一は顔を見合わせて笑った。微妙にズレていた二人の心が今日初めて重なり合った気がした。
居候し続けているアパートの部屋に、バタバタと階段を駆け上がって敷島が二人を訪ねてきたのは、その4日後のことだった。
「完成したぜ!これで未知子ちゃんは帰れる!」
誠一は未知子の顔を見る。彼女も自分のほうを向いているのに気づき、目線を交わすと、二人同時に頷いた。
タイムマシンを載せた台車を敷島の自転車で引っ張り、三人は体育館に向かった。
「場所も移動できるんだろ?だったらわざわざ体育館に行く必要はないじゃないか」
かなり重量のある台車を後ろから押しながら誠一が文句を言う。
「理屈ではな。ただ残念ながら今ある隕石のエネルギーだと時間を移動するのに精一杯なの!」
敷島もペダルを懸命に漕ぎながら反論する。
「それに、時間移動よりも空間移動のほうが計算が複雑なんだ。全く同じところに移動させるほうが事故の確率がぐんと低くなる。未知子ちゃんがぬりかべ女になって出てきたら、未来のお前が困るだろ?」
「私が一番困るよ!」
誠一の比ではないトーンで未知子が叫んだ。
体育館の舞台にタイムマシンを運び込むと、まず檻を降ろして、変わりにそれをロープにつないで引っぱって吊し上げた。
「位置はここでよし。未知子ちゃんが戻った後、念のためもう1回座標を測っておくから。あとは未来の如月に託す」
「絶対に間違えないでね。ぬりかべ女なんて嫌だからね」
未知子が誠一に念を押す。
「大丈夫。キミが未来の僕に嫌われてない限りはね」
誠一らしからぬ冗談にハッとして彼を見ると、いたずらそうに笑っていた。別れの時が近い。
「未知子さん」
誠一が真剣な声で訊ねる。
「僕は敷島の才能を信じてるけど、キミがちゃんと帰れるかどうかはわからない。……それでも行くのかい?」
確かに、元に帰れる保証はなにもない。ただ未知子は単純に自分の世界に帰りたいと思った。それが正しい気がしたのだ。平凡で取り立ててなにもない世界だけれど、いつまでも別の時代で夏休みを過ごしているのは間違っている。
ちゃんと元の時代に戻れるかはわからない。ましてや私の存在がちゃんと「この世界」に残るかどうかすら。でも、未来の(つまり私にとって現在の)誠一は、あの時確かに「なにがあっても無事に帰ってくるんだよ」と言った。彼には私が戻ってくるかどうかはわからない(それは彼にとっても未来だから)。それでも彼は私の帰りを待っている。今の彼が私の無事を願うのと同じように。その二人の想いに賭けようと未知子は思ったのだった。
「うん、私は帰る。敷島くん、それに今と……未来の如月くんのことも信じる」
「だけど、」
これは私が決めて、私が信じたものだから。
誠一の言葉を、そして自分の躊躇いを遮るように、未知子は誠一を抱きしめ、キスをした。
「私の時間でまた会おう」
未知子は想いを込めて伝える。誠一は照れくさそうに俯いて、やがて精一杯強がって言った。
「その時、僕はもうおっさんだけどね」
吊るされた箱の中に入る。床にはびっしりと隕石が敷き詰められ、黒褐色に鈍く光って見えた。ドアの中には、未来では仕掛け用だったレバーがそっくり同じ位置についていた。
「未知子ちゃん、これを持ってってくれ」
敷島が握り拳大の巾着袋を差し出した。
「肌から離さないように。じゃないと一緒に時間を超えてくれない」
「なに、これ」
中を確認しようとする未知子を制して敷島が言った。
「おみやげだよ、未来の俺に。……もし俺と会わなければ如月に渡してくれ」
それでも未知子が納得しない顔をしていると、ため息をついて言う。
「もしかしたら、それを未来に持ち帰ることが君がここにきた使命かもしれない。だから頼んだよ」
敷島が未知子の肩をポンと叩く。その顔は未知子に期待をかけているように見えて、ぎゅっと袋を握りしめる。
箱の蓋が閉じられて、未知子はひとり暗闇の中にいた。本当なら蓋を閉じなくてもいいようにも思ったけれど、誰もそれを言わなかった。下手すれば失敗に終わるかもしれないタイムスリップの瞬間を見たくも見られたくもない。
「3、2、1でレバーを引いてくれ」
敷島の声が外から聞こえる。
「わかった!じゃあね!」
未知子は叫んだけれど、自分の声が箱に遮られてるようにも感じた。二人との隔たりを感じて未知子は不安になった。
でも、私は帰らなきゃ。
「じゃあ、行くぞ!3……2……」
「1!」
未知子がレバーを引くとガチャリと音がして、床の隕石たちが光りだす。その光はあっというまに未知子の視界を白一色に染める。
過去にタイムスリップした時は箱の中が真っ黒になった。光が遮られたから真っ暗になって、だからそのまま真っ黒なのだと思ったけれど、今は真っ白だ。白と黒が対になっているのだとしたら、多分私は未来へ戻れるのだろう。あとは計算が正しいかどうかだけど。そこは“博士”に賭けてみよう。
誠一の願いと、敷島の才能。それはなんの裏づけのない、不確かなもの。未知子はそんなものに未来を預けている自分が少し可笑しかった。
やがて白い光が消え、一転周りが真っ暗になる。
(もしかして、わたし死んじゃったのかな)
そう思った時、彼女の耳には「オリーブの首飾り」が聞こえてきた。
黒い幕が剥がされ、檻越しに詰めかけた生徒たちの姿が見える。
ワーッという地鳴りのような大歓声があがり、皆が未知子の登場に目を丸くしていた。
檻の中から見下ろすと、歓声を浴びながら誠一が未知子を見つめていた。そこには手品が成功しただけでない、安堵の表情が見てとれた。
「おかえり」
誠一の唇がそう動くのを、未知子は見逃さなかった。
アクアマリンの秘密 高野ザンク @zanqtakano
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