月の色 夢の色

沙月Q

とある皇国……とある城……

 三日月の杖は王宮へのファストパス。


 サラハ族の女、キンメリーサは三日月型の飾りを掲げたその杖で、王宮のほとんどの場所へ入ることを許されたただ一人の魔法使いだった。

 国皇の嫡男である皇子リームフェドロの教師として……


 皇子の部屋に入ったキンメリーサはベッドの上で仰向けに寝転がったリームフェドロの姿に眉をひそめた。

「皇子様におかれましてはご機嫌麗しく……」

「リムでいいよ、キム」

 皇子はこの魔法使いの教師に、愛称で呼ぶことを許していた。

 そして彼の方も、この異国の女性を愛称で呼んでいた。

 だがキンメリーサは頑なに己を律し、皇子の許しを得てから、その名を使っていた。

 なので、皇子との授業は毎回必ずこのやり取りから始まるのだった。


「どうしたのですか? リム。とてもこれから授業を受けようという態度ではありませんね」

 皇子はガバッと起き上がると、キンメリーサに背中を見せて言い放った。

「キム! 僕は何色に見える?」

「はい?」

「言ってよ。僕にはちゃんとした色があるかな。灰色のつまらない人間じゃないかな」

「なぜ、そんなことを気にされるのですか?」


 皇子はゆっくりと振り返り、教師に向き直った。

 だがその視線は床に落としたままだ。


 皇子リームフェドロは十二歳。

 その年頃にしては少々小柄だが、武道の訓練も受けているので体つきは引き締まっている。

 黒髪の下に光る茶色い瞳は油断なく物事を見つめているが、それがかえって小動物のような愛らしさも醸し出していた。


「執事たちが話しているのを聞いたんだ。人間には色があって、成長するにつれてそれがはっきりしてくるんだって。偉大な人間や才能のある者ほどその色がはっきり表れるんだけど、ほとんどの者は灰色のつまらない人間になるんだってさ」


「ああ、人の個性のことですか。それは例えであってはっきりと見える色ではありませんよ」


 自分のアイデンティティに対する不安と期待……

 思春期の入り口にいる少年らしい悩み……


 それに加えて、この年頃の少年には別の変化も訪れるものだ。


 皇子は視線をチラと上げてキンメリーサの姿を見た。

 そしてすぐ横を向き、無理やり目を離す。


 そうしなければ、彼女を見つめたままになってしまうのが分かっているからだ。


 小麦色の肌に、南国のエキゾチックな衣装。

 銀色に輝く髪の両側からは、尖った耳が伸び大きなイヤリングが光っている。

 緑色の双眸はそれ自体が魔法のような光を放っていた。


 皇子は、十歳でこのサラハ族の魔法使いに出会った時、本当に妖精の女王ではないかと思ったりした。


「でもさ……僕には父上が灰色の人間に見えるんだ。つまらない凡人だからじゃない。いつも国のまつりごとのことばかり考えていて、格言のような言葉しか口にしない……僕はあんな風になりたくないんだ」


「おやおや……偉大な父皇に対してなんと失礼なことをお考えなのでしょう」

 魔法使いの諫言に、皇子は挑戦的な態度を見せた。

「キムの魔法でも分からないんだな。人の本性を見抜くなんて、悪魔でもないと出来ない芸当なんだろう」


 キンメリーサは手のひらを上げて翻した。

 すると、何かがその細い指の間に現れた。

「リムのおっしゃる色とは違うかもしれませんが、この破光晶を磨いて作ったレンズを使えば人の夢の色が分かりますよ」

「夢の色?」


 魔法使いの赤い唇が、形の良い微笑みを作る。


「人は皆、月のようなものなのです。月は様々な色を持ちますが、その実体は灰色の石の塊に過ぎません。それが色を持つのは、太陽や空気や様々な条件のせい。人も自分のまわりの人間との関係で、初めて色を持つのです。このレンズで見える色は、そんんなまわりの人とどういう関係を持ちたいか、という願望……夢の色なのです」


 キンメリーサは皇子の手を取ると、破光晶のレンズを手のひらにのせた。

 ジャスミンの甘い香りが皇子の鼻腔をくすぐる。


「これで人の姿を見れば、色だけでなくその色を濃いものにしている人間の姿も見ることができます。父皇のお姿もこれで見てみるといいでしょう。ただし、授業が終わった後で、ですよ」

「自分の色も、これでわかるかな」


 魔法使いの指が、レンズを持った王子の手の甲をそっと撫でた。


「それはお勧めしませんね。もし、自分の姿を見たらレンズはあっという間に壊れてしまいます。どうしても見たかったら、最後になさい」


 授業が終わり、三日月の杖と共に魔法使いが去ると、皇子はさっそく自室の窓から中庭を見下ろした。


 最初に目に入ったのは、でっぷり太った料理人ゴスケの姿だった。

 レンズをかざして見ると、ゴスケの周りにやはり太った女と何人かの子供たちの姿が現れた。

 彼らの姿は、ほんのりと橙色に光って見えた。

 恐らくゴスケの夢は、家族との温かい関係なのだろう。


 次に、皇子の武道の師匠でもあるビ・ゼン将軍が中庭に現れた。

 レンズ越しの将軍は、大勢の部下を引き連れていた。

 不思議なのはその姿が緑色に光って見えたことだった。

「そうか、国旗の色だ」

 将軍の夢は、部下たちとこの国の栄光に包まれることのようだ。

 

 それから皇子は何人かの家臣の夢の色と、その後ろにいる人々の姿を見た。


 誰しもが色を持ち、夢の対象である人々を持っていた。

 皇子は知った。

 この城に、夢のないつまらない人間……灰色の人間など一人もいないのだ。


 突然、中庭にいた全員が片膝をついて不動の姿勢をとった。


 皇子の父……国皇ヤズナルク=イ・ブッフフォルド四世が閣議を終え本丸に戻ってきたのだった。

 皇子は一瞬躊躇してから、ゆっくりレンズをかざして父皇の姿を見た。


「!」


 国皇は無数の人々に囲まれていた。

 老若男女……この国のあらゆる階層の人間たち……全ての国民……

 そして最も間近に見えたのは皇妃である皇子の母と、他ならぬ皇子自身の姿……


 その全てが、黄金色にキラキラと輝いている。


 その壮観な様に、皇子は言葉を失った。

 一時でも父皇を灰色の人間だなどと邪推した自分が恥ずかしくなった。


 自分もあんな偉大な人物になれるのだろうか……

 今、自分はどんな色でどんな人との夢を見ているのか……


 部屋の中を振り返った皇子は、大きな姿見に映る自分の姿にレンズをかざしてみた。


 皇子の姿は、薄紅色にぼんやりと輝いていた。

 そしてその背後には、彼の教師である美しい魔法使いが……


 ……一糸まとわぬ姿で微笑んでいた。


 ピシッという音と共にレンズが砕け散り、皇子の手から落ちた。

 皇子は悟った。

 自分を見たらレンズが砕けるというのは、レンズ自体のせいではなくキンメリーサがそう仕組んだに違いない。


 魔法使いは、皇子に何が見えるか知っていたのだ。



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