彼女の妹に今日もゲームを挑まれる

森林達木

2分の1ゲーム

夏休み、とある日の出来事である。


岡姉妹とけいはいつものように三人で集まって、夏休みを満喫していた。

といっても専らエアコンの効いた岡家で、お喋りしたり宿題したり、冷たいものを食べたりして過ごすのが三人の定番であった。


昼に冷やし中華を食べたあと、数時間他愛の無い会話を続け、丁度話題も無くなった頃。

三人ともぼーっとテレビを眺めているその時である。


三角みすみさんからは、姉さんへの愛を感じられません」


夕方のニュースが流れるテレビを消して、芽々めめが突然言いはなった。


「え、そんなことないよ」


敬は半分閉じていた目蓋を擦りながら、芽々に答える。


「姉さん、おかしいと思いませんか」


「……んー? 何?」


「夏休みだというのに、姉さんと三角さんは毎日家でゴロゴロ。夏、カップル、高校生。この三つが揃って何も始まらないなんて、おかしいじゃないですか」


「そぉ……? もちろん出掛けたいとは思ってるけど夏祭りは15日だし、今日は猛暑だったしねぇ。別にこんな日があってもいいかなって」


「そうそう、俺もそう思う」


葵々ききと敬が互いに目を合わせて頷く。それを見た芽々は真剣な顔で呟いた。


「危険ですね」


「「何が?」」


「何も起こらない日常。マンネリとした恋人生活。いつしか互いの想いはすれ違い、夏の終わり。線香花火の灯がポトリ……」


「芽々、さっきから何を言ってるんだ」


ソファに深くもたれながら敬が洩らすと、反対に葵々は背を起こし、前のめりになった。


「確かに、めぇの言う通りかも」


「葵々? こんなの毎年のことじゃん」


「でも、恋人同士の夏は初めてだよ? 刺激が足りないよ!」


「つっても22日の旅行に備えて今は無駄遣い出来ないしなぁ。そんで外は暑いし……」


その時、芽々が手をパーにして真っ直ぐ突き出した。


「そこで私が家の中でも体験できる刺激を用意しました」


「刺激?」


「また変なゲーム考えたんでしょ」


「その通り。題して2分の1ゲームです」



2分の1ゲーム!!

そのゲーム内容を説明する前に、これから何が起きようとしているのかを説明しよう。

岡姉妹の妹の方、岡芽々は普段物静かで何を考えてるのか分からないミステリアス美少女である。だが実際は、自ら考案したゲームを突拍子もなく挑んでくるお茶目美少女なのだ!



「2分の1ゲームのルールは簡単です。今から三角さんに二択を迫ります。二択の片方は姉さん。片方は私。姉さんの方を当てれば三角さんの勝ちです」


「正解がアタシになるクイズってこと?」


「そういうことです」


「なるほど……けぇのアタシへの愛を試そうってわけね」


「その通り」


「面白そうじゃん!」


盛り上がる姉妹を尻目に、敬は少し怖じ気ついていた。

葵々を当てるゲームって、外したらどうする。気まずくなるしかないじゃないか。


「これ、一発勝負?」 


「一発勝負です」


「まじか……」


「三角さん、ご安心を。三回戦まで用意してます。二勝すれば勝ち越しですよ」


「よ、よし。なら最悪一勝すればあとはなんとかなるな」


敬も覚悟を決め、拳を握った。やる気になった敬と葵々を見て、芽々はこっそりほくそ笑んだ。



「第一ゲームは……手のひらマッサージゲームです」


手のひらマッサージゲーム!

ルールは簡単!

葵々、芽々が敬の左右の手のひらをマッサージする!

敬は左手、右手のどちらが葵々のマッサージか? を当てるゲームなのだ!



「ルールは理解した。俺は目を閉じればいいのか?」


「あ、アイマスク持ってるよ。てかさー、ゲーム中のけぇを見て笑うの我慢する自信無いわ」


「笑い声したら流石にどっちか分かるな」


「それだと簡単すぎるのでヘッドホンしましょう。私の使ってください」


「おぉ」


敬は葵々からアイマスクを、芽々からヘッドホンを受け取った。

シルバーのボディに熊のシールが貼られたヘッドホンを抱えながら、敬は装着するのを躊躇した。


「俺は構わないけど、使っていいの?」


「三角さんなら大丈夫です」


「そか。じゃ遠慮無く」


「気配り出来男か? アタシには聞かないの?」


「マスクは使い捨てだろ。てかこれ、蒸気出る奴じゃね?」


「ビリってしなければ蒸気出ないから、そのまま使って」


「あい」


敬はアイマスクとヘッドホンを装着すると、両手を差し出した。


「きゃはっ……! ドッキリ仕掛けられてる人じゃん!」


思わず吹き出す葵々。


「三角さん、まだ聞こえますね?」


「聞こえる」


「じゃあ音楽かけますので、そしたら手のひらマッサージ開始します」


「了解」


芽々はヘッドホンに大音量で曲を流した。

敬は一瞬ビクッとしたが、静かに両手を広げている。


「じゃあ姉さんはどっちの手がいいですか?」


「ん、じゃあこのままの位置……じゃなくて逆になろうか。アタシ左手!」


「では私は右手を」


葵々は芽々を跨いで上手の方に、芽々は膝立ちで下手に移動した。

両者が敬の手のひらをゆっくり掴む。

ゲーム開始である。




葵々は敬の左手の平を揉みながら、敬の表情を観察した。


(どう? どう? アタシだって分かる?)


葵々がわざわざさっきまでと逆の位置に動いたのは、ちょっとでも難易度を上げようとする悪戯心であった。

敬なら例え目隠ししようとアタシの事が分かる……と信じていればこそ、問題が簡単すぎてもつまらないという考えだった。


(あ、今けぇ、にやけた?)


敬は今、手のひらの刺激のみを集中して感じているハズ。なら、この表情の変化は左手にアタシを感じたってこと?


試しに葵々はマッサージを止めた。


(どう? 寂しい?)


しかし敬は変わらず表情を崩し、口元がくねくね歪んでいる。


ふと敬の右手を見ると、芽々が真剣な顔で手のひらを揉んでいた。両手で包むように手のひらを持ち、親指でぐっ、ぐっとリズムよく押す様は堂に入っている。

揉まれる度に、敬の口元が連動するかのごとく平たく伸びた。


(げっ、これ、もしかして分かってない?)


敬の表情は明らかに芽々のマッサージに反応している。

葵々は今一度冷静に、敬が目隠しの状態で自分と芽々を判別することが出来るのかを想像してみた。


いや、無理な気がする。

手のひらへの振動だけで、一体どれほどの情報が伝わるだろうか。

あ、だからこれは2分の1ゲーム?

アタシへの愛情なんてハナから関係なく、左右どちらか当てずっぽうでも当たる、運のゲームなのか。


(待てよ……)


葵々は一瞬の逡巡の後、閃いた。


(前提条件を疑え。どんなゲームにも必勝法はある!)


葵々はマッサージするフォームを変化させた。敬の手のひらを両手で掴むのではなく、左手を添えるように支えた。葵々は自身の右手の親指を引っ込めて、代わりに人差し指を一本付き出した。

そして猛烈な勢いで敬の手のひらを人差し指でなぞり始めた。


(ス、キ! ス、キ! ス、キ! ス、キ! スーキ! スーキ! スキッ! スキ!!)


葵々の必勝法、それは指文字である。

敬の手のひらに「スキ」の二文字を繰り返しなぞる。そうすることで葵々はマッサージなんて回りくどいことをせず、直接敬に愛を送り付けられるのだ。


(マッサージゲームだが、マッサージの必要はない。要はアタシだって分かればいいんだから。芽々、このゲームは2分の1なんかじゃあない。アタシの勝ちね!)


敬の表情もよく観察すると、これまでとは違う変化をみせている。

眉を上げ、口はへの字に動いた。明らかに指文字に対して反応をしていた。

それを見た葵々は芽々に言った。


「もういいんじゃない?」


「そうですね」


芽々も納得し、マッサージを切り上げる。そして敬のヘッドホンに流れる音楽を停止した。


「三角さん、三角さん」


芽々は敬の正面に回り、声をかけた。


「……」


「三角さん」


「ん、あぁ……聞こえる」


「さぁ、三角さん。どちらの手が姉さんだったでしょう?」


「……うん、結構自信ある」


「おお!」


葵々は敬の発言に、思わずガッツポーズをした。敬がと言えば、葵々の勝利だ。


「では三角さん、どうぞ」


が葵々だ!」


「なぁーーーー!!」


大声をあげ、手のひらで顔を覆う葵々。対照的に芽々は少し口角を上げた。

敬はアイマスクをおろして、姉妹の反応を確認した。


「まぶしっ。え、どっちのリアクション?」


「外れだよ! アタシが左手! もぅ、なんで気付かないの!」


「三角さん、右手の担当は私でした」


芽々は両手をワキワキして敬にアピールする。


「まじか……」


自信があったにも関わらず外して、うつ向く敬。


「けぇ、アタシ手のひらにス、キって書いたげたでしょ!」


「スキ? 書いた?」


「指文字! 分かんなかった?」


「あ、そういうこと?」


敬は瞬きをした。どうやら指文字自体は身に覚えがあるようだ。


「いや、何か人差し指? でグリグリされてるとは思ったよ。けどツボかなんかを押してるのかと思って」


「そっちかーー!」


「で、ツボとか詳しそうなのは芽々だから……左手は芽々かなって」


「どの辺のツボを押されたんですか?」


悔しそうな葵々を尻目に、芽々が敬に話しかける。


「この辺……」


「そこは労宮と言って、ストレスに効くツボですよ」


「ほら、やっぱり詳しい」


「ほら、じゃない!」


「すみません……」


敬は背中を丸めて、小声で謝る。


「それに……いや、何でもない」


優しくて気持ちいいマッサージをしてくれたから右手が葵々だと思った。と言いかけて、これは何のフォローにもならないことに気付いた敬は口を閉ざした。


「それに、何?」


「つ、次のゲームは何かな?」


強引に話を進める敬。


「第二のゲームは……匂い当てゲームです」


匂い当てゲーム!!

二人の匂いを敬が交互に嗅ぐ!

どちらが葵々かを当てる!

それだけだ!


「それは簡単だね」


「じゃあ早速スタートしましょうか」


「え、匂いを嗅ぐって、何か変態っぽくないか」


二人の匂いを嗅ぐということは、芽々の匂いも嗅ぐということである。

敬は乗り気ではない姿勢を葵々にアピールした。


「別に。それでけぇが喜んだら変態だけど、匂い嗅ぐだけなら変態じゃないよ。ゲームだよ」


「そ、そうか?」


何故葵々が乗り気なんだ? という疑問もあったが、葵々がいいのならまぁ、いいか……。と敬は納得した。


「流石にこれは分かるでしょ……!」


葵々としては、マッサージゲームの負けを取り戻したい一心である。ゲームの種目はこの際何でもよかった。

それに勝算もある。姉妹といっても使ってるシャンプーは違うし、敬との距離感も芽々とは違う。普段から嗅ぎなれた、馴染みのある匂いを選べばそれで正解になる筈だ。


敬はまたアイマスクをした。

あとは音楽を流せばゲーム開始である。


「三角さん、肩を叩いて合図します。そしたら思いっきり鼻から息を吸い込んでください」


「あい。……あぁ、吸い込む回数は無制限なん?」


「決めてください。姉さん」


「じゃあ一回」


「一回か……」


「では、音楽をつけますね」


敬は一瞬肩を震わせて、すぐに落ち着いた。ソファに浅く座り、ロダンの「考える人」のような姿勢になる。


第二ゲーム開始である。




敬の頭の中は、ヘッドホンから流れる音楽に染められていた。

誰でも知ってるような明るいポップスが順々に流れていく。80年代か90年代? いつ頃かはよく知らないが、少し古いヒット曲のベストアルバムか。


(季節外れだな……)


スキーを題材にした楽曲のサビで、思わず歌い出しそうになる。

そのすんでのところで敬は肩を叩かれる感触がした。


(今の叩く強さは……葵々? いや、トントンッとしたスピードは芽々のような気も……)


敬は匂いで二人を嗅ぎ分けるこのゲーム、全く自信がなかった。

洗い立てのバスタオルからも存在感を感じる父親の体臭ならともかく、女子高生二人の体臭なんてあってないようなものだ。ドリンクバーにある爽健美茶くらい存在を感じない。


(何か他の情報をくれ……葵々)


先程のマッサージゲームでは、葵々は指文字とかいう反則スレスレの行為をしてきた。しかし葵々はそういうやつなのだ。

暢気に見えて、打算も働く。小中高と一緒に居たが、どんなクラスの環境でも発言力があった。

いつだって人気者の葵々と……目立たず大人しい芽々。整った容姿は共に備わっているが、性格は全くの正反対。

そんな二人はいつだって仲良しで、我が儘を通したり、相手の気持ちを無視したりすることは決して無い。

しかし姉妹で戦うゲームの時だけは話が変わる。

二人とも「勝利」に対して貪欲で、真剣で、子供に戻ったかのような自己中心さをみせる。


ならばこそ、葵々は敬に正解させるためのヒントをくれるだろう。

敬は意を決して、鼻から深く深く息を吸い込む。目の前の人物の匂いを、一度きりしかない大切な権利を存分に使い、ゆっくりと嗅いだ。


(すぅーーーー………)


フローラル……甘い、鼻の奥をくすぐるような匂いだ。

敬にとっては意外だった。葵々も芽々も、匂いなんかしないと思っていた。しかし、するのだ。

視界を塞いだことで研ぎ澄まされた感覚が、敬に香りの存在を気付かせた。


そうか、これが………葵々の匂い………かな…………?

いや……どうだろうな………。葵々は花の匂いよりも柑橘系の匂いの方が好きなイメージあるな……。これは花系だったから、そうなると違うか……。


(今は結論は下せない。相対的評価をとろう)


敬は全く判断がつかず、二人目の匂いを嗅ぐことにした。

敬は指でわっかを作り、OKを示す。

「もう十分」という合図が姉妹に伝わったようで、直ぐ様肩を二回叩かれた。二人目が目の前にスタンバイしている。

敬はまず鼻から息を深く吐いた。寿司屋のガリで口内をリセットする、それと同じだ。

そして思いっきり、力強く吸い込んだ。


その時だった。


「アアッ!!」


鼻腔に匂いが充満した瞬間、敬は思わず叫んだ。


「アッ」


敬は直ぐに「しまった」と思った。特にルールでは言われてなかったが、姉妹同様、敬自身も声を出したら駄目な気がする。

しかし、敬は声を上げずにはいられなかった。


(今のは……凄い!!)


柑橘系だとか、ローズ系だとか、そんな物差しでは測れない。視界が塞がれてるからこそ、この匂いの映像が脳内で鮮明に出力された。薫風のように爽やかで、星月夜のように輝いている。そんなイメージだ。

匂いは更に敬のとある記憶を呼び覚ました。


ーー数年前、中学生の夏休み。

宿題の読書感想文を終わらせるため、図書館に向かう敬と少女。駅前商店街の、太陽が照りつけるアスファルトを無邪気に走り抜ける。

図書館の入り口、自動ドアが開くと同時に二人は飛び込み、冷えた空気を全身に浴びてぶるぶると背伸びをした。

敬が冷水機に駆け寄ると、一足先に割り込む少女。「まだ?!」と叫ぶと「お待たせしました」と少女が冷水機から離れ、敬は急いで給水口に顔を近付ける。

するとーーー

冷水機から、つい三秒前まで水を飲んでいた少女の匂いが、ふわっと敬を横切った。


あぁ、あの記憶の少女は……確か。

そう……あれは葵々だ。

匂いが呼び起こしたのは、中学生の葵々との何でもない思い出だった。


一人目のフローラルな匂いではこの衝動は起きなかった。それに比べて二人目は、自らの思い出とガッチリ紐付けられた親しみある匂い。


そうだ……。前提条件を疑え。

このゲームは葵々の匂いを当てるゲームだが、正解するのに葵々の匂いを知っている必要はない。何故ならば、匂いは「思い出」を呼び起こす。

その思い出に導かれるままに、回答することこそが必勝法なのだ。


そして……正解の根拠は思い出だけではない。

生物が発する匂いの中にはフェロモンが含まれているという。

一説には、身体の相性が良い異性のフェロモンを、本能的に良い匂いだと感じるのだとか。

敬は二人目の匂いに、どうしようもなく惹かれる部分があった。

今すぐにでも抱き締めて、飽きる程にキスがしたい。なんて、ちょっとポップスに影響されたフレーズが思い浮かぶ。


間違い無い。二人目が葵々だ。



そんな熟考の最中、敬は自らの臀部が揺れるのを感じた。揺れるというより、振動? トントンとリズムを感じる。

ヘッドホンから聴こえる音楽ではない。腰かけたソファが微細に揺れ、その振動が臀部、骨を伝って脳に響いている。


どうやら目の前で誰かが床を叩いていて、その揺れが敬に伝わっているようだった。


あぁ、アイマスクをしてても分かる。

葵々が爆笑しているのだ。


敬が匂いを嗅いだ時に意図せず「アッ!」と叫んだもんだから、それが可笑しくて転げてるに違いない。

というか、ヘッドホン越しでもうっすら葵々の笑い声が聴こえてくる。

これはもう、決まりだな。


「もう、当てていいか?」


敬が呟くと、ヘッドホンの音楽が止んだ。同時に視界も明るくなった。

芽々がアイマスクを取ってくれたのだ。

瞬きを数回して真っ白な視界を馴らすと、そこには目がうるうると光る葵々が床に仰向けになっていた。


「ふ、ふふふ。け、けぇ……今度は当たるんでしょうね」


「笑ってただろ。葵々」


「ひゃあっ! あははは!! だって、けぇがアッッ! って! あははは」


敬に突っ込まれたのが余程ツボだったのか、しばし笑い転げる葵々。

そんな姉を横目に芽々は進行を続けた。


「三角さん、では問題です。姉さんは一人目ですか? 二人目ですか?」


「今度こそ自信ある」


「おお!」


葵々が飛び起き、敬に期待の視線を送った。


「葵々は、二人目だ!」


「えーーーーーっ!!」


「どっち?!」


「三角さん、残念です」


「……マジ?」


敬は開いた口が塞がらなかった。


「マジはこっちの台詞だから!! じゃあ、けぇは臭かったのがアタシだって思ったの?!」


「え、ああ………ん?」


何? 「臭かったのがアタシ」?

葵々の発言に敬は違和感を覚え、口ごもった。その反応に眉をひそめる葵々。


「え、確認するけど。けぇが途中叫んだのってからだよね?」


「……まぁ、……そう」


「やっぱり」


敬は葵々に同調した。葵々が「確認」してきた時は同調一択だと、敬は長年の付き合いで理解していた。

敬の返事に満足した葵々は、意地悪な顔をしながら隣の芽々を肘で小突いた。


「アタシ、ゲームの直前に制汗スプレーちょっと使ったのね。でも芽々は使わなかったのよねー」


「姉さんのような小細工は使わず、素材で勝負したくて」


「素材て! それ汗臭いだけだから! エアコン効いた部屋だけど、人間って結構汗かくんだよ! で、案の定けぇはむせてるし」


「むせてる……あぁ、むせたな」


「ね、だからアタシ絶対勝ったと思ったの。でもさー、けぇ酷くない? 臭いからアタシって思ったんでしょ!」


「はは、いやーすまん……」


曖昧な返事をしながら、敬も状況を理解した。今回も間違えたのだ。葵々と芽々を。

フローラルでさっぱりした香りの一人目が葵々で。印象的な香りで懐かしい思い出が甦った二人目が芽々だった。これを間違えるとは全く思わなかった。


葵々は間違えられたことを怒っている。が、敬にとってそれは幸いなことだった。


葵々は勘違いをしている。

一人目は良い匂いだった。二人目は臭かった。だから敬は臭かった二人目を選んだ。そう思っている。

実際のところ、敬は自分の好みの匂いだったから二人目を選んだのに。


この勘違いはそのままにしてもらおう。間違えたことを怒っているなら、その方がずっとマシだ。敬はこれ以上このゲームについて言及するのを避けるため、芽々に話を振った。


「あーあ、残念だった。ところで芽々。今、二ゲーム終わって……」


「姉さんのゼロ勝二敗です。残念、ゲームセット」


「ワンモアチャンス!!」


目を見開いた葵々が立ち上がり、人差し指を二人の前に付き出した。


「ゲームは三つ用意してるんでしょ? なら最後のゲームもしよ! ね!!」


「する意味ないでしょう。姉さんは二敗してるんですよ。三角さんには姉さんへの愛は無い。証明完了です」


「いや、その証明は俺も困る」


「せめて一勝! 一勝したい!!」


「けれどもう暗いし……三角さんも家に帰りたいですよね?」


芽々は敬の前で膝をついて、上目遣いで視線を送った。


「いや、もう一勝負付き合おうよ」


敬としても、葵々をこのままにして帰るのでは後々気まずい。どんなゲームでもいいから一勝をさせてあげたいと思った。


「分かりました。では三角さん、少しお待ちください」


芽々は敬にアイマスクを被せ、ヘッドホンの操作をした。敬の耳に大音量の音楽が流れ始める。敬は身体を一瞬ひきつらせたが、そのまま黙りこくった。


「……では姉さん、冷蔵庫を開けてください」


台所を指差す芽々。


「え? なんで?」


「次のゲームはハーゲンダッツを使います」


「ハーゲンダッツ? あぁ、確かに入ってた!」


「ええ、私が第三ゲームのために買っておきました」


葵々は突然前髪を触り始める。


「あー、あれゲームに使うんだ。バニラと抹茶があったけど、両方使うの? かたっぽじゃ駄目?」


「両方使うに決まってるじゃないですか。ゲームのルールは三角さんにアイスを一口食べさせ、どっちが姉さんの好きな味かを当ててもらうんです」


「あー、了解。アタシが好きなのが抹茶で」


「私がバニラです。その名もアイスゲーム」


「ごめん、抹茶は冷蔵庫に無いよ」


「え? なんでですか?」


「アタシが昨日食べた」


「え? なんでですか?」


「いや、めぇがアタシのために買ってきてくれたと思って」


「え? なんでですか?」


「好きだから思わず! ねぇ、なんでなんで言うの止めて! 怖いから!」


まさかアイスをゲームに使うとは予想だにしなかった葵々。それはそうとして、冷蔵庫の中身を勝手に食べる癖は直した方がよい。


「すぐ買ってきてください」


「えー、無いなら無いでゲーム変えない?」


「であれば私はゲームを降ります。姉さんが別のゲームで続けたいなら御勝手に続けてください」


「分かった! 買ってくる! 買ってくるから!! 五分待ってて!!」


「姉さん、財布」


「ありがと!」


葵々は立ち上がり、財布だけ持って玄関を飛び出した。

「五分待ってて」というのは、アイスを買って戻ってくる所要時間である。岡家は静かな住宅街に並ぶ一戸建てで、表の道路を渡れば直ぐそこにコンビニがある。

ダッシュ移動且つ信号運に恵まれれば、往復約五分といった計算だ。


葵々が扉を閉めて数秒、戻らないことを確かめた後、芽々はゆっくりと敬へと近付いた。




(三角さん……)


芽々はヘッドホンの音楽を止め、敬に話しかけた。


「お待たせしました。第三ゲームのルールを説明しますね」


アイマスクをしたまま今までじっとしていた敬は、一瞬遅れて反応を示す。


「あ、ああ。何かの準備してた? 目隠し取っていいの?」


「まだ取らないでください」


「あ、うん」


「……三角さん、第三ゲームですが……」


芽々は途中で口をつぐんだ。一瞬躊躇うような間が空いて、そしてゲームを発表した。


「キスゲームです」


「え?」


敬は、耳を疑った。


葵々が家を飛び出してから、一分経過。


「ルールはこうです」


キスゲーム!!

二人が交互に敬へキスをする。

どちらが葵々かを当てる。

それだけだ!


「ちょ、ちょっと待って。キスって。葵々? 葵々いいのか?」


「第三ゲームをしたいと言ったのは姉さんですから」


「そ、そうだけど」


「それに思い返してください。最初のマッサージゲームは三角さんの触覚を。次の匂い当てゲームは嗅覚を試していたんです。だから最後は当然味覚を試すというわけです」


「なら、まぁ……筋は通ってるか」


敬は予想外のゲーム内容に慌てたが、芽々の発言に一応納得した。

筋は通っている(?)し、そもそも葵々が目の前でOKしてるんだから、納得するしかないだろう。


敬はアイマスクを着けたままだった。

ここに葵々が居ないとは、思いもしなかった。


「まぁ、キスする場所にも寄るしな……」


「口にしますよ」


「えっ」


「言ったでしょう。味覚を試すって。音楽流します」


「えっ、んっ? 本当に?」


芽々は話を中断して強制的にヘッドホンを作動させた。今は一刻を争う。


(姉さんが戻るまで後四分くらいか……)


芽々は壁の時計と敬の表情を交互に見比べる。

敬がここでゲームを放棄することも考えられた。彼女の妹とキスなんて出来ない、そう言ってヘッドホンとアイマスクを自ら取ればいいだけのこと。

だが、敬は何もしなかった。


この敬の反応は、想定どおりだ。

敬は先の二ゲームでアイマスクとヘッドホンが装着されてることに慣れてしまった。ゲームの最中に自ら外そうという発想は限り無く失われているに違いない。

そして葵々が二敗しているというのも大きな要因だ。敬は葵々の性格にとても理解がある。学校生活の中では我が儘を言わない葵々が、唯一我が儘を言える相手が敬なのだ。葵々がゲームに勝ちたいからもう一勝負! と我が儘を言ったからには、敬はそのお願いを絶対に無下にしない。


(そう、全ては計算通り……)


今日行ったマッサージゲーム、匂い当てゲームは布石だったのだ。全てはこの第三ゲームを行うために、芽々が仕掛けた綿密な策略。


(後は……私が勇気を出すだけ……)


二分経過。


芽々は動いた。

ソファに深く腰かける敬に向かって一歩、二歩と歩み寄る。


芽々は額にかかった前髪をそっと払う。視線は敬の薄ピンクの唇に釘付けになっていた。


(ほんの……ほんのちょっとでいい。だから敬さん。お願い。今だけは)


芽々は敬の肩を両手で掴んで。


(私だけのものになって)


二人の唇が、そっと触れあった。


その瞬間。


この夏一番の刺激が、芽々の身体中を駆け巡った。


三分経過。


一瞬のふれあいの後、唇は既に離れていた。だが芽々は敬との距離を保っていた。二人の顔の間はたった5センチ。


(敬さん、敬さん、敬さん……)


キスを終え、芽々の頭の中は敬一色になっていた。体が熱い。手の平も、首も汗をかいていた。芽々は敬の肩を掴む力を少し強めた。


(もう一度だけ……もう一度くらい……)


その時。

外からバタンッ! と音がした。


瞬間、敬から顔を背ける芽々。

止まっていた時間の堰が崩壊したかのように、心臓がバクバクと鼓動する。急いで振り返るも、葵々が帰ってきたわけでは無さそうだ。

耳を澄ますと自動車のエンジン音、タイヤが擦れる音もする。微かに「パパー」という声も。


(お隣さんか……)


先程の音はどうやら車のドアの開閉音だったらしい。

凄く焦ったが、お陰で正気に戻ることが出来た。あのままだと、葵々が帰宅するまでキスを続けてたかもしれない。


(ここまでか……)


芽々は敬からそっと離れた。

急いで冷蔵庫を開け、ハーゲンダッツのバニラを取り出す。ヒヤリとした空気が芽々の肌を伝った。


四分経過。


(けど、十分だ。十分すぎる程に……)


スプーンを食器棚から取り出す。

アイスの蓋を外し、包装のビニールを静かに剥がした。


(姉さん、意外と気付かなかったな……)


このハーゲンダッツだが、実は夏休みが始まって早々に冷蔵庫に買ってあった。冷蔵庫に入っている抹茶のハーゲンダッツは、葵々が勝手に食べてしまう。誰が買った物であろうと、勝手に食べてしまうのだ。それはこの家の常識であった。今回芽々が利用したのはその常識である。

葵々が冷蔵庫にあるハーゲンダッツの抹茶を食べる事。それが2分の1ゲームを仕掛けるトリガーであった。

今回、葵々が中々アイスの存在に気付かず、八月に突入したことはちょっとした誤算であった。


(……長かった)


ソファに黙って座る敬を眺めながら、芽々はバニラアイスを口にする。


(美味しい。けど……)


ハーゲンダッツのバニラの濃厚さは格別である。だが今日だけは、その濃厚さが大したものだとは思えなかった。


(今年の春、姉さんが三角さんに告白した。前々から予定していたことで、私も応援するのを余儀無くされた。その結果二人は付き合い、私が三角さんとキス出来る可能性は完全に無くなった……)


スプーンをアイスに数回突き立て、表面を削りとる。


(だけど私は、前提条件を疑った)


削ったアイスを舌に乗せて、溶けるのを待った。


(付き合ってないとキスしちゃ駄目なんて、法律にはない。だから、いつものように私はゲームを考えた。ゲームなら、私は姉さんと対等に戦える。ゲームの中でなら、私はどこまでも自分に正直になれる。だから……)


その時、玄関のドアノブがガチャガチャと動く音がした。


「ただいまーー!!」


「お帰りなさい」


ーー五分経過。

葵々が元気良く、帰ってきた。

芽々は急に背筋が強ばり、手汗をかいた。さっきまでの幸せな気分が消え失せる。バニラアイスは既に溶け出していた。


「外、洗濯物干しっぱだったよ! 忘れてた!」


「あ、そうですね。後でやっときます」


「ううん、アタシやる!」


「じゃあ後でにしましょう。三角さん待ってます」


「OK!」


走るようにリビングに踏みいる葵々。急いで抹茶アイスをレジ袋から取り出し、食器棚へ向かった。


「あれ? けぇにルール説明したっけ?」


引き出しからスプーンを取り出しながら質問する葵々。


「姉さんが出掛けてる間にしておきましたよ」


「そっか。あ、めぇもう食べさせてる!」


「はい」


机の上のバニラアイスを見て、自分が二人目であることを認識する葵々。食べさせる準備が出来、早速スプーンで抹茶アイスを一口掬った。


「けぇ、あーんして?」


スプーンを敬の口へ運ぶ葵々。口を開けさせようとして、敬の肩をポンと叩いた。

だが、敬は口を開けようとはしない。

当然だ。今の敬にとって、肩を叩かれるのはキスをされる合図だからだ。

そうとは知らない葵々は、一向に口を開けない敬にじれったくなり、スプーンを強引に口へと捩じ込んだ。


敬はビクッとした後、「ウッ」とむせるような反応はしたものの、ねじ込まれたアイスを吐き出すことはなかった。


「フフッ」


むせた敬を見て、芽々は少し笑った。


(三角さんからしたら、キスされたと思ったら突然唾か何か飲ませられたような感覚でしょうか)


緊張が少し和らいだような気がする。敬を見ていると落ち着くな、と芽々は無意識に感じた。


アイスを暫く口にいれていた敬だったが、どうやら飲み込んだらしい。沈黙の後、敬は恐る恐る指でわっかをつくった。


音楽を止め、芽々はアイマスクを外した。


「あー……その」


何か言いたそうな敬に、芽々は回答を促した。


「三角さん、一人目と二人目。どちらがだったでしょう?」


「それは、二人目が葵々。……だよな?」


「正解!!」


葵々は両手を上げて喜んだ。


「決め手は、『アイス』ですよね?」


芽々は言葉を選びながら、敬に質問した。


「そうだな。最初何を口に入れられたかと思ったが、まさか抹茶アイスとはな。葵々らしいと思ったよ」


「そう! 抹茶と言えばアタシだよね?! 分かってくれると思った!」


「まぁな」


二人のやり取りを聞いて、芽々は鼻から息を吐いた。敬は一連のやり取りを「葵々がキスする時、口移しでアイスを食べさせて自分をアピールした」のだと解釈したようだ。これまでのゲームの布石がよく効いたのもあるだろう。


芽々は敬にハーゲンダッツのバニラを差し出した。


「はい、三角さん。賞品のアイスです」


「え? 食べていいの?」


「どうぞ」


「アタシのはあげないから!」


葵々は溶けない内に、抹茶アイスを急いで頬張っていた。


「いただきます」


既に半分溶けていたバニラアイスを、敬が一口掬う。


「うめぇ」


「あ、そのスプーン。間接キスですね」


「うっ……?」


「キス」という言葉に反応する敬。その反応も芽々には愛おしかった。


これで帳尻は合わせた。

敬はバニラと抹茶のアイスを食べた。

そして、キスもした。

今後、今日の話題が出てもそれぞれが矛盾することはない。話題が出ても、芽々が介入すれば誤魔化せる材料は揃っている。

葵々は「アイスゲーム」をして、敬は「キスゲーム」をした。この二つが同時に成立したのである。

後は敬がキスの話題をこれ以上掘り返さなければ、今回の一件はこれでおしまいである。


その時だった。


「……というか葵々、その、良かったのか……?」


「え?」


敬は恐る恐る葵々に確認を仕掛けた。

ゲームとはいえ妹とキスしたことをどう思ってるのか、聞かずには居られなかったからだ。

その発言に、芽々が切り返した。


「ああ、姉さん。最初はどうなることかと思いましたね」


「あー、まぁアタシも走りながらここまでしなくてもいいじゃん……って思ったけど、そもそもやるっていったのアタシだし」


「それに、正解しましたしね」


「そう! 正解したから結果オーライっしょ!」


「そ、そうか。まぁ結果オーライだよな!」


「そういうことー!」


「あはは!」


芽々は二人が笑ってるのを見て、静かに笑みを溢した。

芽々は今、会話にしれっと介入し、「葵々がアイスを買い出しに走ったトラブル」の話題に改竄した。

よく聞くと話が噛み合ってなかったが、敬としては「結果オーライ」という返事が聞けた以上、深く踏み込むつもりはなかった。


芽々は右手で左手を強く掴み、密かに安堵した。





「あー、じゃあそろそろ帰るわ」


壁の時計を見上げながら、敬が言った。


「うん、また明日ね」


「あーあ。明日こそ宿題しなきゃだな」


「それ今朝も聞いたけど!」


「いやもう夏休みずっと言ってるくね? ははは!」


敬が身支度を整え、玄関に向かう。

玄関まで着いていく姉妹。


「あ、洗濯物入れるの忘れてたんだった。またね! けぇ!」


「おー。お邪魔っしたー」


葵々は見送りも早々にリビングへと戻っていく。

玄関で敬と芽々は二人きりになった。


「……じゃ、また明日」


「はい。また明日」


敬は芽々と目を合わせなかった。視線を下げ、芽々の唇辺りに視線がいっていた。

敬が反転してドアノブに手を掛けたとき、芽々が突然死角から顔を覗かせた。


「また、ゲームしましょうね」


芽々は敬の耳元でそっと囁くと、蠱惑的な笑みを浮かべるのだった。


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彼女の妹に今日もゲームを挑まれる 森林達木 @moribayashi27

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